後編 下 今でも君を思い出す
疲れた。ただただ疲れていた。さっきまで雲一つなかった空は、急激に様子を変え、優しく、でも大量に雪を降らし始める。
「う…うぅぅん…終わった?太陽」
「あぁ…終わったよ」
あぁ、本当に終わったんだ…
意識を取り戻した小百合は、いつものように体を伸ばしはじめた。そんな、ここ二週間でお馴染みになっていた小百合の姿に俺は、惹かれている。
花音と別れたから、小百合のことがよりそんな風に見えるのかもしれないと考えると、自己嫌悪で反吐が出そうになった。彼女に別れを告げたのが、辛くて、苦しいから、小百合に寄っかかりたくなっているのかもしれない。
なんて最低なんだ…花音の前では、小百合に執着して、小百合の前では、花音に執着するなんて…
「………何があったの?太陽」
「ん?」
そんな自己嫌悪が頭の中を堂々巡りしていると、小百合がこちらに質問を投げかけてきた。ただ、俺たち二人を案じてくれる小百合が、こう質問してくるのは想定内だったから、俺は毅然として応える。
「………なんで泣いてるの?」
こちらを不思議そうにのぞき込んできた小百合の顔には、"花音"が流していた涙が依然として、頬を伝っていた。
「それは、俺が花音にひどいことをしちゃったから…」
「違う…確かに私…いや、花音が泣いてるのも気になったけど、どうして太陽も泣いてたの…」
「えっ…」
けれど、小百合は俺の想像を超えて、お節介だったようで、花音だけじゃなくて、俺の心配もしてきた。
俺は小百合が戻ってくる前に涙も鼻水もティッシュで吹き、泣いていた痕跡を隠そうとしたのにも関わらず、小百合は、一瞬で俺の涙にも気づく。
人がどれだけ隠そうとしても、心の傷に気づいてしまって、こちらを慮ってくる小百合だからこそ、俺は…
「ねぇ…なんで………昨日まで楽しそうに話してたじゃん、二人とも!なんでこんなことになってるんだよ!」
「小百合…」
こちらを問い詰める小百合の表情には、怒り以上に、哀しみがにじみ出ていた。眉を八の字に曲げ、歯を食いしばる彼女。自分のためじゃなく、人のためにそんな表情をしてくれる小百合に俺は改めて、彼女に対する思いを認識する。
「ねぇってば!」
「小百合っ…!聞きたいことがある…」
「えっ………」
だから、俺は覚悟を決めることができた。
「小百合は今…彼氏とかいるのか?」
「はっ?何…言ってるの…?」
さっきまでは、ただ困惑の表情をしていた小百合だったが、俺の発言を受けて、彼女の声色に、怒りが含まれているように聞こえた。
当然と言えば、当然の話ではあった。だって、小百合が望んでいたのは、俺と花音の幸せな日々だったんだ。俺が花音ではなく、小百合に言い寄るような質問を正面切って言うことが彼女を怒らせるなんて分かっていた。
けど…それでも聞かなくちゃ、言わなくちゃいけなかった…
「意味わかんない!本当に…何言ってるの!?」
「小百合、今回だけは、真剣に応えてほしい…」
「なんで…そんな真面目なトーンでこんな質問できるんだよ…
真剣に応えれるわけないでしょ!こんなバカげた質問!」
俺は血の気が引く感覚に襲われていく。それは、小百合の語気に気おされただけじゃなくて、これからしなきゃいけない行為に緊張と高揚と、絶望していたからだ。
「…答えてよ。何があったの?」
「それは…まだ言えない…それが花音との約束だから」
「やっぱり、花音と何かあったんだ…」
冷静に小百合は、花音と何があったのか、探りを入れてくる。彼女がこんな風に探りを入れてくるのは、事情を把握して、俺と花音を意地でも戻そうと思っているからだと分かった。
「答えてくれ…」
けど、俺はそんな優しい小百合を受け入れられないから、答えを急いだ。
「だからっ!」
「頼むよ…小百合」
「…っ!」
急いでしまうから、俺は小百合の名前を呼ぶにも歯を食いしばったような声になってしまう。いや…正確には、そんな声をわざと出してしまう。
だって俺がそんな声を出せば、小百合は
「はぁ…そんなに聞きたいなら言ってやる…私に彼氏はいないし、これから誰かと付き合うこともない!これで満足…?」
俺の望み通り、答えてくれるなんて分かっていたから。身勝手な自らの望みのためだけに、小百合に返答を強制する自分にやはり反吐が出る。
「あぁ…十分だ…十分すぎる」
けど、俺の心は、傷付くことを、自己嫌悪することを望んでいたようだった。
だって、俺が花音を裏切って傷つくことも、小百合の返答を誘導して自己嫌悪に陥ることも一つの答えに近づくことを意味しているから。
「小百合…俺は…君が好きだ…」
「はっ………?」
俺が小百合に告白してもいいという答えに。
「はにかんだ笑顔が好きだ。俺の話を楽しそうに聞いてくれる君が好きだ。」
「違う、違う…そうじゃないでしょ…」
「君の語る話が好きだ。前髪を指でかき分ける仕草が好きだ。」
「やめて…」
「俺と花音を心配してくれる小百合が好きだ。…君が好きなんだ。」
「やめてって言ってるでしょっ!!」
俺の言葉の羅列に、両手で顔を覆い隠し、拒絶の言葉を発した小百合。
けど、彼女の華奢な手では覆い隠せれていない耳は、真っ赤に染まっていた。
また彼女の拒絶の言葉も震えてはいたが…どこか…悲しみとかだけではなく、プラスの感情も含まれてるんじゃないかって思えるような微妙な声色だった。
もし勘違いなら、俺って相当痛い奴だななんて、思う。
けど小百合の反応に、俺はつい希望的観測を抱く。
小百合も俺と同じ気持ちでいてくれてるんじゃないかって…
「自分の言ってる意味わかってる?」
「分かってる…分かってるから、聞かせてほしい。小百合の答えを。」
「っ…!分かってない!全然わかってない!」
「小百合…」
「気軽に名前で呼ぶな!それは、あんたと…友達だから言い合えるんだ…」
小百合の表情は隠され、読み取ることは出来ないが、さっきまでの微妙な声色は、元の怒った口調に戻っていったように感じる。
「だいたいなんなんだ!私の答えって…。私があんたのこと、好きだとでも思ってるのか?だとしたら思い上がりもいいところだね…!」
「むしろ…そっちの方がいい。俺だけが好きなら、傷つくのは俺だけだから…俺が小百合に軽蔑されるだけでことが済むんだから…」
「済むわけないだろ、もっと花音が傷つくだろ!今からでも遅くない、こっちに来るな。花音の元に戻ったげなよ…」
「っ………」
手で覆い隠し、伏せたままにしていた顔を小百合が上げると、そこには花音が流していた涙に加えて、大粒の涙が次々と溢れ出ていた。
小百合が花音を思い、泣く様子に俺は言葉を失うが、それでも必死に絞り出す。
「もうこれ以上ないくらいに、傷つけたんだよ…」
「ふざけるなっ!ふざ…けるなよぉ…」
「もう俺たちが…俺と花音が戻る事はできないんだ…」
色白な頬を伝う涙がとうとう地面に落ち始める。
「ずるい…ずる過ぎるよ…」
「ごめん…」
「そんなこと言われたらさ…」
もう俺は、躊躇しない。小百合を求める。小百合の顔をしている花音でもない。たった一人の女の子を愛したい。
「私、自分に素直になりたくなっちゃうじゃん。我儘になっちゃうじゃん。」
「それで………いや…それがいいんだ、俺は。」
「こんなことやめようよ…誰も幸せになれないよ…」
「そうだな…けどいつかは、傷が癒える…かも………しれないから。」
傷が癒えた時、俺は何も気にしなくなるのだろうか。花音のことをすっかり忘れて、心から笑ってるのだろうか。
そんな考えが脳裏をよぎり、言葉に詰まる。
やっぱり…俺はまだ花音のことも…
「っ…傷が癒えた時、花音が救われ無さ過ぎるよ。」
「………」
彼女の潤んでいる瞳は、いつの間にか出ていた月の光に照らし出され、いつも以上に美しさを際立たせていた。
ただ小百合の美しさに見惚れると同時に、彼女の出した言葉に、胸が抉られるような痛みを感じる。
花音は、俺に教えてくれた。人を愛することを。愛した人を亡くす辛さを。心から愛してくれているからこそできる自己犠牲の形を。
教えてくれたことを、与えてくれたことを何も返せずに彼女を忘れ、彼女を犠牲にし、彼女を踏みにじる。
「………」
「太陽とは、話にならないよ…」
覚悟していたはずの傷の痛みに耐えきれず、黙る俺に対して、業を煮やしたのか、小百合は泣いていた顔を俺からそらし、誰かを探すように雪の降る空に目を向けた。
※※※
「花音、花音!いるんでしょ!出てきてよ!」
「………」
押し黙る太陽と私、二人しかいない歩道橋の上で、雪の勢いを増し続けている空に向かって、私は声を出し続けていた。親友の彼女を探し求めて。
私は絶対に嫌…こんなの
「花音っ!ふざけないでよっ!こんな勝ち逃げ許さないからっ!」
「……っ」
だから、私は彼女を煽った。私の言葉に太陽が、何か言いたげな声を上げた気がしたが、今太陽と話すと、決意が揺らぎそうだったから、わざと無視する。
ただ、私だって勝算なしに煽ったわけではなかった。あそこまで本気だった花音なら…
「…勝ち逃げってどこが勝ってるって言うの?小百合ちゃん…」
「花音!」
「っ………花音、いる…のか…」
こうやって、花音は静かな怒りを露わにして、出てきてくれるって分かってたから。
背後から現れた花音は、眉を少し歪ませながらも、なお可愛らしい顔立ちで、歩道橋から離れた空中に浮いていた。
花音が私の前に現れる時は、いつも神出鬼没だったけど、必ず地に足を付け、歩道橋を登るようにやってきていたのだが、今の花音は自身が幽霊であると誇示するように目線より少し高い位置から私を睨む。
そんな姿に私は、太陽が花音の姿を見られなくて良かったと思う。太陽がこんな表情した花音を見たらいつ心変わりしてしまうか分からなかったから。
「勝ってるよ。花音、あなたそれ分かってて、こんな方法で太陽と別れたんでしょ…」
「何のことかな……小百合ちゃん。ひどい言いようだよ」
花音は、空中に浮いたまま、言葉を交わす。
分かってる…あなたの優しさにかまけて、ひどいことを言ってる自覚はあるよ…けどさ…
「だって…そうじゃない。こんな別れ方したら、太陽くん、あなたのこと忘れない。忘れられない、絶対に。」
「ふふっ…おかしい」
私は、血液が沸騰するんじゃないかってくらい、花音への怒りでいっぱいだった。彼女が、本心では太陽と別れることに全く納得いってないって、表情からありありと伝わってきたから。そんなに大切に思っているのに、私と太陽を思って、自分を犠牲にしようとしているから。
………意趣返しのように、わざと傷口を広げるような別れ方を太陽としたから。
「…それこそ、本末転倒じゃない?忘れてほしくないなら、わざわざ自分から、太陽くんと別れを告げたりしないよ、私。」
「そうだよ…本末転倒なんだよ…なんで、自分から別れようなんて言ったんだよ!花音!」
私の怒りも、何かを隠しているような嫌な笑顔で流される。口角は左右で異なる曲がり方をし、眉はあの優しそうな花音の面影を感じさせない。
「………小百合、花音と何を話して…」
私と花音の会話に驚く太陽。
「ごめん、太陽…私が良いって言うまで、少し黙ってて」
「えっ…」
「お願いだから…」
「分かった…」
けど、私は、花音の本音を引き出すことに集中するため、彼の口を閉じさせた。
花音の本音を引き出すためには、正攻法じゃ伝わらないと分かり、私は、心から思ってしまう醜い想いを語ることにする。
「あぁあ…私本当に失望したよ、花音には。」
「………」
脚色してはいるけど、嘘ではない感情。この感情をぶつける私は今どんな顔をしてるんだろうか。
私のこんな反応を、予想していなかったのか、花音は少し苦しそうな表情をする。
「そんな程度だったの?太陽への思いは。」
「………違う」
苦虫をかみつぶしたような表情の花音に私は畳みかけた。
「何が違うのさ!たった一度振られただけで、諦めて」
「…やめて」
言葉をぶつけるほど、私の中の激情は勢いを増し、花音の表情がどんどん崩れていくのが見て取れた。
「ほんとうに…太陽のことが好きだったの?」
「………」
けど花音を苦しめることに、私の心が追い付かなくなるのを感じ、とどめをさすため、冷笑しながら、この言葉を投げかけた。
「どうせ…太陽のこと、要らなくなったんでしょ?」
「うるさい…うるさい…うるさいっ、うるさいっ!うるさぁぁああいっ!」
いつもの温厚な様子からは、想像もできない声量と深い怒りが込められた鬼のような表情を花音は見せる。
「そんなの小百合ちゃんに言われたくないよ!返してよ!私の陽くん返してよ!うっ…うぅう…」
ようやく、引き出すことができた、その表情に私は、
「なんなのよ、それ…勝手にそっちが自分の彼氏、寄こしたんでしょ!勝手に怒んないでよっ!」
「うるさい…うっ…うぅ…あぁあ…ぁああ」
更に怒り心頭だった。
あぁ…なんて、私ってひどい奴なんだろう。
「私がどれだけ二人のために我慢したかなんて、分からないでしょ!自分の初恋の人と出会えたと思ったら、いつの間にか彼女作ってて。どんな嫌な奴が太陽の彼女なんだろうって思ったら、心から好きになれる可愛い女の子で。」
今まで隠していた私を花音にも、太陽にも見せびらかす。
「だから、二人の応援になろうって思って。けどそれでも好きになっていく気持ちは抑えられなくて…。」
「小百合ちゃん…」
ほんと…見せるつもりなんてなかったのに。
いつの間にか、私の頭の中には、『花音のために』とかそんなことは一切なくなっていた。ただひたすらに胸が痛くて、熱くて、苦しい。
こんなに苦しくなるのは、大好きな花音が太陽と添い遂げられなくなるからなんて、大それたものじゃなくて、私が太陽の最初の女の子に成れなかったからって理由が強いんだろう。
「それなのに、なんであんただけ被害者なのよっ!うっ…くっ…ぅう…ずっ」
言いたいこと全てを吐き出して、何も言葉にできなくなるけど、代わりにもっと大量の涙と鼻水が出てくるのが分かった。
「………」
「………」
少しの静寂が二人を包む。
雪は依然として振り続けていたが、少し落ち着きを取り戻し、いつの間にか遠くの方から、太陽の光がうっすらと見え始めていた。
「………二人とも…」
「あっ…」
…いや三人だったっけ。すっかり太陽のこと忘れてた。
「ぷっ…ふふっ…くくく」
「えっ…」
一人の男の子をめぐった喧嘩だったのに、いつの間にか、男の子は完全に蚊帳の外で、立ち尽くしている様子に私はつい、ばかばかしくて笑いが出る。私は、すべてをさらけだしてしまったせいか、どこか清々しい気持ちになっていた。
「小百合…」
そんな私に引っ張られるように依然として、宙に浮いている花音が声をかけてくる。
「呼び捨てなのね…」
「私…特別、好きな人と、特別、嫌いな人は呼び捨てにするって決めてるから。」
でも確か…太陽は『陽くん』呼びだった気がするけど。
なんてしょうもないことまで、考えが至るほど、彼女の表情は、さっきまでの嫉妬に狂う鬼のような形相から変わり、いつも見てきた優しい花音になっていた。
「私はどっち?好き?嫌い?」
「両方…」
「ふふっ…」
悪戯っぽい顔だけど、人を思う優しい表情。私はこの子のこんな顔に負けたって思ったんだ。
この子となら、太陽も幸せになれるだろうって。
「ねぇ、小百合」
「ん?」
「ありがとう…」
「やめてよ…感謝されることなんてやってないから。むしろブちぎれさせただけ。」
そう単に彼女を煽って、彼女を怒らせて、そして逆切れしただけ。言葉にすると相当ひどいな…
「ふふっ…あのさ小百合ちゃ…小百合、お願いがあるんだ。もう一度だけ、太陽君と直接、話をさせてほしい…」
さっき決めた呼び方に不慣れな花音は、言い間違いを挟みながら、真剣な目線で私を見つめてくる。
「それって…」
「安心して…小百合から太陽くんを奪うことはないから」
「…いや、そういうことじゃ」
「一つだけ、一つだけでいい…太陽くんに呪いをかけさせて…」
『呪いをかける』と語る花音に、私は全くといっていいほど、嫌な感情を覚えなかった。
「うん…」
私は、降っている雪が反射光でもう見えなくなるほど、明るくなってきた朝方の歩道橋の上で、花音に体を預けた。
※※※
「久しぶりって…いうのもおかしいよね…」
「あっ…っと…まぁそうだな」
置いてけぼりになっていた俺をやっと構ったかと思ったら、小百合は、花音だった。
正直、小百合に無視されていたことも、花音とあんな別れ方をしたしたこともあって、彼女に息苦しさを感じる。
しかし、それでも花音特有のふんわりした物言いも、暖かな俺を見守るような目線もやはり、好きだから、つい俺は口角が上げてしまう。
「おいっ!太陽」
「うわっ!」
「ふふっ…驚きすぎだよ。太陽くん。」
「…おぅ」
小百合のように、俺を呼び捨てにする花音。彼女の少し茶目っ気の効いたいたずらっ子の様な笑顔に心が揺れるが、それでもやはりあの時の彼女の泣き顔が脳裏に張り付いて、まともに返答できなかった。
「なんて…意地悪ぐらいしてもいいよね」
「何言って…」
小声で何かを言ったように聞こえたが、
「太陽くん!私一つだけ言いたいことがあって、小百合にお願いしたんだ。」
「あっ…あぁ」
花音の吹っ切れたような声と態度でかき消される。
「私ね!」
「…うん」
けれど、やはりはつらつとしている花音に俺は、どうでもいいかとすら思えてきていた。最後に見た花音のひどく悲しげな表情が頭から離れないからだろうか、今の彼女がする笑顔は、俺の心を動かすには十分だった。
「ぜったい、ぜったい小百合ちゃんに君をあげたくない!私だけのものでいてほしい!」
「………っ」
ただ、そんな明るさを持った彼女の語る内容は、俺の裏切りが現実だったとたたきつけてきた。
「私だけとデートして、私だけにキスして、私だけと一緒になってほしい…」
「なんでそんなことを今になって…」
最後の最後まで、自分の嫌な感情を隠し通そうとした花音とは思えない、あまりに明け透けで正直な言葉に、俺は驚きを隠せなかった。
「だって…」
俺の質問に、一瞬明るい顔をしていた彼女に影が差し、ひどく寂し気な表情になったと思うが、
「ううん…こんな顔じゃだめだよね…小百合ちゃん」
瞬時に声も顔もすぐに明るいものに変えた。
…でも、元の作られたような明るい表情に、完璧には戻らないようで眉が少し曲がっているように見える。
「だって!私のことを忘れてほしくないから!どれだけ、私を傷つけても、太陽くん自身が傷ついても一生償ってほしいから!」
「あっ…」
彼女の態度が無理やりなくらい明るく感じたのは、間違いではなかった。
花音の言葉の節々には、強い嫉妬と憎悪と哀しみが含まれていた。そして花音の語った内容は、そういった感情を彼女に抱かせたのは、俺であることをひしひしと伝えている。
それでも彼女は、無理にでも顔を歪ませ、笑顔を作っていたんだ。
その態度に少し怯むが、花音が望んでしているのだと思うと、俺は何も言うべきではないと感じる一方で、
「無理していないか…」
「してるけど…それ以上に大切なことがあるから。」
そんな悠長なことを言っていたから、彼女の気持ちを無下にしていた後悔を思い出し、改善する。
「我儘なこと言ってるけど、これだけは伝えたかった…約束してほしかった。………少しだけでいいの…一週間に一回でいい…私を思い出してよ…」
花音の顔は、張り付いたような笑顔だったが、声色だけは彼女の本心を映し出しているのか、冷たさを感じた。
「………あぁ…絶対、忘れない」
そんな様子に、俺は誓う。これ以上彼女を傷つけないと。彼女のことを忘れないと。
「ありがとう、太陽くん、小百合」
そう言って、花音が作られた笑顔から、安心したような顔に変えたと思うと、
「最後に一つだけ。これは小百合にも言ってない、わがまま」
彼女は、頬を赤く染め、顔を俺に近づけてきた。
「ん………」
彼女の唇が俺に添えられる。以前のように何度も求めあうようなものじゃなかった。ただ触れ合うようなキス。
そんな前までの俺にとっては、物足りないキスであっても、今の俺にとっては十分すぎて、目尻に涙が溜まっていくのを感じた。
「………ん…んはぁ」
先に離れたのは、花音だった。
「…じゃあね、太陽くん。私は、君がこれからもっともっと小百合ちゃんと愛し合うことを祈ってるから」
口元に少し残った、俺のものか、花音のものか、小百合のものか分からない涎をぬぐいながら、彼女は艶やかで、寂し気で、優しそうな表情で言う。
「…だって小百合を好きになればなるほど…太陽くん………陽くんは…私を思い出してくれるんでしょ…」
暗い暗い雪の降る夜が明け、温かく、煌びやかな太陽の光が後ろから彼女を包み込んだと思うと、小百合の体から一筋の光が天に昇っていくのが見えた。
あれから数年経っても、俺はあの言葉が忘れられないままでいる。今でも隣に眠っている小百合を抱きしめると、優しい瞳と小動物のような可憐さを持ち合わせる彼女を思い出していた。
知らない女が、死んだ俺の彼女だった。 hiziking @hiziking-sub
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