後編 上 花音の告白


「小百合がさ、そこでなんて言ったと思う?『アホ』だって言ったんだよ。そりゃないよなって話だよな。」

「………」

「花音……元気ない?」


 俺は、風がいつもより、吹き荒れる夜の歩道橋の上で、花音の隣に居座り、小百合とした会話の内容を話していた。なぜ小百合との会話を花音に話していたのかと言うと、彼女との接点が今や、小百合しかなくなっているからだった。


 花音が幽霊になって、初めて話した日から、二週間近くも経っていた。最初の方は、話足りないなんて、思っていた。二週間もすれば、話のネタなんてものは尽きてくるもので、新たな共通の話題を探していたのだが…


 幽霊になった花音は、学校にも社会にも当然のことだが、切り離されている。そうなると、俺がどんなに新しい話題を切り出しても、彼女にとっては、知らない話題が大半になるのは当然だった。そうなると、唯一の共通点である小百合だけが、共通の話題として挙げられたのだ。


「ん…?いや、別に…なんでもないよ…」

「でも…」


 しかし、今日だけは、小百合の話をする俺に花音は冷たい態度を取っていた。いつもなら、俺の話を真剣に目を輝かせてくれた花音は、そっぽを向いている。

 なんでそんな反応なんだよ…花音…


「本当に何でもないから。」

「本当に………?」

「うん…心配してくれて、ありがとう、陽くん…」


 俺の心配を、振り払うように笑顔を向けてくれた花音だったが、彼女の笑顔は、引きつっているように見えた。

 花音には、幽霊になる前から、言いたくないことはこんな風に、ひきつった笑顔でごまかす癖があった。


「別に俺は…」


 でも、俺はそれに関して、何も言わない。花音が今言いたくないのなら、聞かないのが良いだろうと思うから。それが、付き合ったころからの当たり前で、俺はいつも踏み込まないようにしていた。


「もっと、小百合ちゃんとのこと、教えてよ」

「あぁ…」


 そう花音は、小百合の話を催促しながらも、またもや顔を俺からそらし、冬の夜空を見つめ始めた。隣で空を見つめる彼女は、依然として寂しそうな顔をしていた。


「えっと…どこまで話したっけ…そうそう、小百合の初恋の相手の話だったな。」


 なんで…そんな顔するんだよ…

 そんな思いで、俺はいっぱいになるが、それでも、花音に楽しんでもらえるように、小百合との会話を思い出す。


「さっきも言ったけど、小百合のことを庇ったその子が、小百合にとって初恋だったって言うんだ。なんかドラマチックだよな…」

「うん………」

「しかも、その男の子が小百合を励ますために、漫画をあげてたって言うんだけど、俺も持ってたんだよ、その漫画。結構好きだったんだけど、どこにやったんだっけな。」


 必死に盛り上げようと言葉を弄する俺とは反対に、俺の話を聞けば、聞くほど彼女の顔は暗くなっていくのが、分かった。


「っ………小百合ちゃん、こんなの当てつけだよ…」


 そして、唐突に花音が、小百合への恨み節が効いた言葉を吐いた。


「当てつけ?何言って?」


 なんでなんだよ…花音。お前、小百合のこと、嬉しそうに語ってたじゃないか…

 俺は、花音が小百合に向けた敵意に、驚きと疑問を感じ、顔を少しゆがめる。


「ねぇ…陽くん」

「ん?」


 それでも、花音は言葉を訂正することはなく、さっきまで、空を眺めていた顔を、急にこちらを向けたと思ったら、


「私のどこが好き?」

「えっ…急だな」


 真剣そうな顔つきで、聞いてきた。

 俺は、唐突な確認に驚く。今まで花音が、こんな風に『好き』の確認をしたことはなかった。それは、好き同士でいる、そんなことは明白の真実だったからだと俺は思っている。

 しかし、俺が花音を愛しているという明白の真実は、今の彼女にとって、信用に足りるものではないらしい。


「そりゃいっぱいあるよ。」

「例えば?」

「俺の話聞いてくれるし、俺のことを一途に思ってくれる。そんな女の子のことを嫌いになる要素なんてあるわけないだろ?」


 俺は、素直に思ったことを告白した。

 花音は、俺をまっすぐに、愛してくれている………

 俺の行動を全て、受け止めて笑い合ってくれる………

 最初は、俺の一目ぼれで、告白したのがきっかけだったけど、花音はそれに答えてくれた。そんな彼女をもっと好きになるのは当然だった。

 だからこの俺の言葉には全く、嘘も偽りもない。心からの言葉。


「私と話してて楽しい?」

「楽しいよ…」


 ただ俺の言葉は、何の意味もなく、依然として、不安そうに質問を繰り返す花音に、俺はちゃんと言葉として、「楽しい」と答える。


「私は楽しくない…」


 しかし、花音から帰ってきた言葉は想定より、ずっと冷たいものだった。


「………えっと…ごめん」


 俺は、絞り出すように謝るのが精いっぱいだった。

 花音が俺をこんな風に冷たく責め立てることなんて、一度もなかった。そんな純粋で優しい花音だったからこそ、冷たい態度や言葉が突き刺さる。

 なんでだよ………花音。昨日までは、普通に話してたじゃん。俺が何かしたなら、教えてくれよ…


「陽くんは悪くないよ…だって私が幽霊だからだもん。」


 俺はずっと、自分のせいで、花音はこんな態度を取っているのだと思っていたが、彼女が口にしたのは、自責の言葉だった。 


「陽くんが毎日学校や家での話をしてくれる度に、私うれしかったよ…」

「なら…」

「でもね…私には、その毎日なんてないから。」


 彼女が、涙を少しずつ、瞳に貯めていくのが見てとれた。


「陽くんが、小百合ちゃんと楽しそうにしてるのを横目に見てても………私は…一緒に陽くんとは過ごせない…」

「花音…」


 彼女の涙は、とうとう零れてしまっていた。

 花音の悩みは、幽霊になって、一緒にいられないことにあったのだ。

 俺は、自分の愚かしさに頭を抱えた。


 ――俺はいつも自分ばっかりで…花音がこんなに悩んでたのに…


 花音なら、大丈夫。俺とは違って、強い子だから、ずっと俺と一緒じゃなくても、平気なものとばかり思ってた。

 けど実際は、花音も、幽霊であるばかりに、小百合を介してでしか、一緒にいられないと、悩んでいたのだった。


「本当に私と話してて楽しい?君の話を聞くだけしかできない。新しいお話もできない私と話してて、楽しい?」

「そんなの…」


 彼女の言葉には、一緒にいられない寂しさだけじゃなく、怒りも含まれているようにも聞こえる。

 彼女との話が楽しくない時なんてなかった。必死に俺の話を一から十まで全て聞き逃さないように必死に耳を傾けてくれる人との会話が楽しくないわけなかった。

 ただ………俺の話を聞いてくれるからこそ…反対に、花音自身の話が聞きたいと思うことが、何回もあったのは事実だった。


 だからなのかもしれない…俺の話を聞いてくれるだけじゃなくて、自分のことも含めて話してくれる、小百合との会話が楽しく感じたのは。


「………小百合ちゃんと話すよりも楽しい?」


 俺の心を見透かしたように、花音は、小百合を引き合いに出してきた。

 彼女の言葉には、さらに怒りがこもっていた。自分を省いて、楽しそうにしている俺と小百合に対する怒りが。


「………楽しいに決まってるじゃん。そもそも花音に会うために小百合に会ってるんだよ…」

「………っ!」


 俺は、彼女の求めている言葉をかけようと心掛けるが、小百合との会話も楽しみにしていた自分がいるのも事実だったからこそ、少し言葉に詰まる。

 すぐに返答しなかった俺を見た、彼女は目を丸くし、歯を食いしばりながら、


「私はっ!楽しくないよっ!全然っ!楽しくなんかっ…ないん…だよぉ………」


 嗚咽混じりに、泣き出した。目を必死に手で擦る花音だったが、次から次へと涙が漏れ出している。


「花音………」


 そんな様子の彼女に手を伸ばそうとするが、


「やめてっ…!」


 力のこもった腕で、振り払われてしまった。


「なんで…なんでぇ…」

「………ごめん」


 泣き崩れる彼女を前に、俺は花音を傷つけてしまった罪の意識で、花音を抱きしめることもできず、ただ棒立ちで謝るしかなかった。


「小百合ちゃんが好きなのは、陽くんなんだよっ!」


 それでも、花音は勢いを緩めることなく、俺をこき下ろすが、俺は花音の反応以上に、花音が発した言葉の内容について、驚いた。


 小百合の好きな奴が…俺?そんなわけが…だって、あいつは初恋の相手が…


 ――いや…確か、俺、あの漫画を上げた気がする。それも当時好きだった女の子に…。もしかして…、小百合の初恋の相手って………。


「えっ…」

「私、小百合ちゃんの独り言、たまたま聞いてたんだよ…」


 少し事態が分かってきた俺に、顔を真っ赤にしながら、花音は訴えかけてくる。


「小学校の時、会ってたって。小百合ちゃんの初めてを奪ったのは、陽くんだって言ってた。」

「そんな…」


 小百合の初恋の相手は俺だったって。

 でも、それだと、花音は、小百合の初恋相手が俺だと気付きながらも、意気揚々と小百合について話す俺の話を黙って聞いていたことになる。


「私、最初は言葉の意味が分からなかった。けど、陽くんの話聞いて、分かっちゃった。小百合ちゃんの初恋の相手って、陽くんなんだって…」

「あっ………あぁ………」


 罪の意識で、俺は言葉にならない音しか出せなかった。上手く呼吸もできなくなっていく。


 ――どんな気持ちで、花音は、俺の話を聞いていたのだろうか…


 視界が狭くなり、花音の表情がよく見えなくなるが、むしろ良かったのかもしれないと思う。それが見えてしまったら、俺はきっと立っていられなかったから。


「そんな…」

「でもね…ハハッ………私悪い子だから、こう思ったんだ。『小百合ちゃんには悪いけど、陽くんは私を見てくれる』って…」


 皮肉めいたように笑う花音。ただ彼女の語気からは、全く楽しそうにも、嬉しそうにも聞こえず、ただただ辛く、冷たい寂しさしか感じられなかった。


「当たり前だろ…俺が好きなのは、かの…」


 俺は限界になった頭をフルに回転させ、取り繕おうとする。


「けど!陽くん、小百合ちゃんのこと話すとき、すっごい笑顔だった。私に向けてくれる気まずそうな笑顔じゃなくて、心の底から笑ってるような笑顔だったんだよ!」


 しかしここまで、来てしまったら、そんな取り繕った回答なんて意味をなさない。


「本当のこと、答えてよっ!」


 鋭い言葉が響き渡る。胸を苦しくさせる。

 それでも、やっぱり俺は花音を失いたくないと思うから、


「っ…俺は…小百合のことも、友達として好きだけど、花音のことは恋人として好きだよ!」


 精一杯、声を絞り出すようにして、花音を欲した。

 小百合のことが好きになっていることを隠してでも。その行為が、どれだけ不誠実でくそ野郎だったしても、花音を失ってしまうことに比べれば些細な事のように思えた。


「やっぱり、言い切ってくれないじゃん…。そうやって隠すじゃん!本当のこと教えてくれない…」

「だからっ………」


 ただもちろん、そんな俺の最低な言葉は受け入れられるものじゃないなんてことは分かってた。

 顔を真っ赤にし、怒りを露わにしていた花音は、少しづつ語気が弱くなってきている。それは、半ば…諦めているような口調に聞こえた。


「もういい…言い切ってくれないなら…」


 彼女の怒りは鳴りを潜め、淡々と冷たく語ってくる。


「私、小百合ちゃんの体、全部奪っちゃうから…」

「えっ…何言って…」


 咄嗟の言葉で、すぐに花音の語る意味を、俺は理解できなかったが、花音の矛先はいつの間にか、小百合に向かっていたらしかった。


「最近、気づいたんだ。私、小百合ちゃんの体に長くいられるようになってきてるって。」

「花音…何考えてるんだ…?」


 花音の言葉の意味を理解しようとするが、思考が追い付いていない。いや、正確には一つの答えを導き出してはいたのだが、あの優しかった花音からは考えられない答えだったから、信じられなかった。


 ――花音…そんなことする奴じゃないだろ…


「…私、小百合ちゃんに体返さない…」

「何言ってるんだよ!俺が悪かったから、そんなこと…」


 呼吸もままならないままではあったが、俺は勢いの籠った言葉を吐き出すことができた。それが、花音のために出た言葉なのか、それとも小百合のために出た言葉なのかは分からない。


 花音は、俺の言葉を受け取ると、あざ笑うようにこちらを覗き込んできた。


「陽くんだって…喜んでくれるでしょ?本当に小百合の事より、私が好きなら…」

「そんな…」


 その様子には、今までの優しくて、純粋な花音は感じられなかったが、


「やめてほしいなら…私を拒絶して…」


 慣れていない、人を小馬鹿にするような態度は続かないのか、哀しそうな表情に戻る。


「だからっ…!」

「私はもう逃げない。」


  俺は情緒も、言ってることも、無茶苦茶な彼女を説得しようとしたが、花音の覚悟は固まっていた。


「…花音………」

「………」


 とうとう何も言葉を交わしてくれない彼女に、俺は決断を迫られる。


 花音が隣にいてくれた日々。花音がいなくなって、震えるように過ごした日々。そして…小百合と花音と俺、三人で過ごした日々が次々と頭をめぐった。

 俺にとっては、かけがえのない毎日だった。あの初デートも、あの喧嘩も、あのキスも…花音が大切だから、一生忘れない。


 ――でも…俺は、弱かった…また会えた花音との心の距離が離れていった。今まで好きで好きでたまらなかったからこそ、心の距離がどんどん離れるのに耐えられなかった。


 ………無性に小百合の笑顔が温かく感じてしまってた。


「そんなマネ…しないでくれ………」

「やっと言ってくれたね…」


 俺の選択は、決まってしまった。俺は、花音を拒絶した。


「でも…いやっ………花音…これは…」


 花音を拒絶してからも、迷ってしまう俺。二度とあの日に戻れない。そんな思いが俺の決断を鈍らせる。


「…私より、小百合ちゃんのことが大切なんでしょ…」

「っ………」


 しかし花音は、温かい笑顔で、俺の迷いを優しく、振り払ってくれた。

 ――あの笑顔に俺はどれだけ救われれば、良いのだろうか…


「ごめんね…こんな責めるようないい方しちゃって…でも、どうしても、小百合ちゃんのことを嬉しそうに語るあなたに我慢できなくなっちゃって…」


 何もかも終わってしまった関係に、花音は晴れやかな笑顔を取り繕っていたが、眉は歪に曲がり、頬は痙攣している。


「…私と一緒にいても、君は幸せになれないもん。いいんだよ、陽くんはそれで。」

「なんで謝るんだよ…なんで、こんな最低な俺を許そうとするんだよ」

「だって私、陽くん………いや、もうこの呼び方はダメ…だよね。太陽くんのことがすきだったから。」


 いつも以上に、優しくしてくれる花音に、俺はどんどん別れを実感していき、彼女が、陽くんから、太陽くんと呼び方を変えた瞬間、


「…そ…そん…な…あっ…あ…ぁぁああ!!」


 俺はもう立ってられなくなった。喉からは、潰れたような声しか出せず、頭を抱え、しゃがみ込む。涙に鼻水によだれに、顔面がぐしゃぐしゃになるが、全く気にしない。歩道橋の乾いたコンクリートに零れ落ちていった。


「………私、もう二度とここには来ない。」

「花音…俺は…」

「今までありがとう、太陽くん。二人のこと、応援してる…」


 顔を背け、毅然とした態度で花音は、俺に淡々と別れを告げていく。向けられた背中からは、花音の感情は読み取れないままで、彼女の体は光り始めた。それは、花音との一生の決別を意味している。


「待ってくれっ………」

「………」


 別れの光が彼女を包み込んでいる様子に、俺は言いたいこと全て、吐き出すと決意した。


「本当にごめん………俺、小百合のこと、女の子として、好きになってた…」

「うん…」

「でも、俺…」


 背を向け、静かに聞いてくれる花音をいいことに…


「…俺…君のこと、花音のこと…大好きだった…」


 ――やっぱり最低な言葉を吐き出した。


「ずるいよ…」

「ごめん…」


 彼女を取り囲んでいた光は、徐々に力を弱めていき、冬の夜空に溶け込むように消え去っていった。

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