中編・下 小百合との茶化し合い

「よっ!太陽、来たね。」


 いつものように、小百合が俺を屈託のない笑顔で迎えてくれた。あれから二週間、平日は毎日のように、歩道橋へ、小百合と花音に会いに行っていた。


「待たせたか?小百合。」


 座る場所が歩道橋に有るわけないので、俺は小百合の隣に位置取り、手すりに背中を預けた。隣に位置取った俺を当然のように、受け入れる小百合。これが二週間程度で日常になっていた。


「確かに待ったね…三日間ぐらい」

「じゃあ、風呂に三日も入ってないと…汚いねぇ…」

「あぁああん!?ちゃんと入ってるから!」


 まぁ、二週間も毎日会っていたら、小百合とも、仲良くなるのは必然と言えば、必然だったのかもしれない。


「だいたい、お風呂に入ってない方が、太陽は喜ぶんじゃないの?」

「そうだな…この前の部活帰りの小百合は、確かに少し香ばしい匂いが…」

「ごめん…私が振った話だけど、やめてください…」


 俺と小百合は、こんな風に軽口を言い合えるほどの関係性になっていた。

 最初の一週間は、小百合との気まずい時間が流れていたが、花音が、集合時間になっても現れないことがあった。そのたびに、俺は、場を繋げようと、好きな漫画やスポーツの話を必死にするのだが、妙に話が合った。

 女の子の趣味とはかけ離れている、俺の好きな漫画や野球選手のことは、あらかた知っている様子の彼女。そんな彼女に俺は、ついつい話し込むが、小百合は嫌な顔もせず、むしろ、俺の知っていない分野のことまで、深く、話に付き合ってくれる。

 だから俺は、花音と会うことだけではなく、小百合と話すことも、楽しみになっていた。


「今日は、もう花音来てる?」

「いや、まだ来てない。最近花音来るのが遅いんだよね。」

「そっか…」


 花音との大切な時間が後伸ばしになっていることに、昔なら、『早く花音に会わしてくれ』と焦っていたのだが、今は小百合がいるから、いくらかは落ち着いている。

 花音との、互いの気持ちを探り合う真摯な会話と、小百合との、あっけらかんとしているどこか心地いい会話。その二つの温度感がちょうどよかった。

 もちろん、小百合だったとしても、別の女の子とここまで仲良く話していることに、花音に対して、不義理を働いていると思うこともあった。

 ただ小百合は俺のことを、恋愛対象として見ることはないと、たかくくっているからこそ、無条件に、二人の女の子の温かみを受け取ることが出来ている。


「あのさ、小百合?」

「ん?」

「幽霊が見えるようになったのって、生まれた時からだったのか?」


 俺は、ふと彼女の体質について、質問した。別に何か特別な意味がこの質問にあったわけではなかった。

 強いて言うなら、小百合のことを少し知りたいと思っただけだった。


 ――深い意味はない、彼女の過去や人柄、恋愛対象もろもろがどんなものなのか気になっただけだ。


「何?突然?」

「いや…なんとなく、聞きたくなった。」

「プッ………何それ、おかしい。まぁ隠すことでもないからいいんだけどさ。」


 質問があまりにも突拍子もないことだったし、意図も読み取れないものだったからだろう、彼女は不意に零れてしまったような笑顔をする。


「幽霊が見えるようになったのは、小学校のころ」

「小学校か…なにかきっかけみたいなのはなかったのか?」

「特になかったかな。ほんとに突然。」


 何かを思い出すように、雪が降り続けている空に目を移し、小百合は語りだした。


「ふぅん…幽霊が見えるようになった時、不便に思うことはなかったのか?」

「うぅぅん…あんまり、気持ちのいい話じゃないんだけどさ。」


 自分の過去を語る彼女は、眉をひそめ、『気持ちのいい話ではない』と前置きをする。思っていたより、真剣さがにじみ出る小百合に、俺は手すりによりかかる体勢から、姿勢を正し、彼女のする話に身構えた。


「当時、誰も私が幽霊見えるって信じてくれなかったんだ。それこそ、両親も、友達もね。」

「まぁ………そりゃ、いきなり言われて、信じるなんて、俺にも無理だったしな…」


 それこそ、俺も花音の存在がなければ、最後まで、幽霊なんて馬鹿げた話を信じていなかっただろう。

 けど、それでも小百合が理解してほしい、信じてほしいと思うのは、当然なわけで。学校の廊下で初めて話を聞いた時、彼女を信じてあげる気持ちが一つもなかったことに、俺は罪悪感を覚えていた。


「あんたの場合、そうでもないんだけどね…」

「ん?どういうこと?」

「まぁ、そんなことはどうでもいいんだよ。」


 そんな苦虫をかみつぶしたような顔になっていた俺を見て、『あんたの場合、そうでもないんだけど』と何か含みのあるようなことをいう小百合だったが、返答は不必要だと言わんばかりに、俺の質問を断ち切る。


「とりあえず、私のこの体質は理解されなかった。今では仕方ないことだって分かるけど。当時の私にとっては、割り切れなかった。」


 当時を振り返っているだろう小百合の顔は、どんどん歪んでいった。

 小学校なんていう、無邪気さから異物を排除したくなる時期に、幽霊が見えるだなんて、告白することの生み出す結果なんて目に見えている。


「めちゃくちゃいじめられたし、こんな体質じゃなきゃ、どれだけよかったかって思った。」

「そうか…」


 幽霊が見える少女の赤裸々な告白が、いじめに発展するなんてことは高校生にでもなればすぐにわかった。

 けど、そんなのは、いろんな経験をした高校生だから分かるんだ。小学生の小百合にそれが予想できるはずないし、予想できたとしても、誰にも話せない、誰にも理解されないなんていう残酷な現実が待っているだけだ。


「けどね……一人だけ小学校の時、幽霊が見えることをアホみたいに信じてくれた男の子がいたんだ」

「アホって…小百合、結構ひどいこと言うな…」


 唐突に声が明るくなった小百合。恐らく、『アホ』と強調された男の子の事を思い出したんだろう。その男の子のことで表情を明るくした小百合に、俺は少し可愛らしいと思う反面、どこか、もやっとした気分に襲われていた。


「実際、私をいじめてる奴に特攻しかけて、ぼこぼこにされてたり、私を励ますためなんだろうけど、全く興味のない漫画とかくれたりしてたから、相当アホだった…」


 謎の、もやっとした気持ちを抱える俺を横目に、その男の子のアホさ加減を語る小百合。しかし、言葉とは裏腹に小百合の顔には罵倒の意味合いなんて感じられず、むしろ頬を緩ませ、嬉しそうな顔になっていた。


「…そんなアホでバカな奴に救われたんだ。」

「しれっとバカ追加されてるのは置いといて…いい奴だったんだな、その子。」

「うん、本当にいい奴だった…」


 あれほど、バカにしていた男の子のことを、『いい奴だった』と素直に語る小百合は、いつもの明け透けな、男勝りの表情ではない。明らかに女性を感じさせる、優しさと恥じらいがにじみ出ている表情をしていた。


「もしかして、その子が初恋だったりしたのか?」


 そんな表情を見て、俺は小百合に質問する。

 この質問の意図には、純粋な疑問もあったが、自分の醜い願望が多分に含まれていた。


「うん…そうなるかな」


 恍惚こうこつの表情を浮かべ、答える小百合に、俺は、自分がこんなにも醜い願望を持っていたのだと理解した。

 ――小百合には、恋人なんていてほしくない、初恋の相手もいてほしくない。出来ることならば、俺が…

 そんな醜い願望が。


「………今でもその子のこと思ってるのか?」

「そう…かもね、でもその子、今は私の届かない存在になっちゃってるみたいなんだ」

「届かない存在…?」


 自分自身の醜い願望に気付いてしまった俺は、必死に声を取り繕い、自然な会話を心掛けるが、小百合の初恋の相手が気になってしまっていた。

 ただ初恋を語る小百合の返答は、冷たさを感じるような口調だった。


「そう、私が入っちゃダメな存在。私が入ったら壊しちゃう存在…」


 捨てるように言う小百合は、諦めなのか、寂しそうで、泣きそうな顔をしていた。

 ――そんな顔をさせる奴のどこがいいんだ…好きにさせた女の子をほっぽりだす男のどこがいいんだ。

 そんな醜い自分の考えに俺は自己嫌悪するが、それでも小百合のために、


「事情もよく知らない俺がこんなこと言うのも、あれかもだけどさ…」

「ん?」

「一回手を伸ばしてみたらいいんじゃない?」


 必死にアドバイスをする。友達として。

 そのアドバイスが、彼女にとって、正しいのか、なんて分からなかった。けど俺は、自分の気持ちに素直でいるのが小百合には似合うし、そうであってほしいと思ったから、その男の子に気持ちを伝えるべきだとさとす。


「その子だけじゃなくて、その子の周りも傷つけるのに?」

「それでも…何もかも、小百合が全て我慢するのも違う気がするんだよ」


 小百合は、俺の変に遠回しな言い方について、何も言ってこなかったが、空を見つめていた顔をこちらに向けてきた。その顔は、悲しみとも言えない微妙な表情をしており、


「そうかな…?」


 ただそう呟いた。まるで神に許しを請うような、静かにつぶやく可憐な小百合に、俺はなおも、心を動かされる。


「………でもやっぱり私には無理だよ…」


 しかし、小百合の芯にある正義感や自己犠牲は、固いようで、俺から目をそらし、自らの気持ちを隠し通す道を選び取った。


「だって…、そいつのおかげで、私は今こうしてこの体質にも向き合えるようになったんだ。そんな奴を、私の我儘わがままで傷つけるわけにはいかないよ。」

「そうか…」


 彼女の決意の強固さは、彼女自身の顔が物語っていた。しっかりと前を見据え、口を固く閉じている。


「でもね………最近は、あのアホだけじゃなくて、今は太陽と花音、二人のおかげで、この体質が好きかもとすら思えるようになってるんだ。」

「俺たちが?」


 こわばっていた表情をいつもの明け透けな顔に戻したかと思ったら、今度は、はにかんだような笑顔をこちらに向けてきた。


「今までは、どうにか、この体質を隠して、日常生活を送れるようにしようとしか考えてこなかった。」

「小百合…」

「けどね。花音を私の体に降ろして、二人の間を取り持つことが出来た。二人の役に立てた。だからこそ、今は、この体質で良かったって思えるようになってる…」

「………」


 話し終えた小百合の隣で、俺は、咄嗟に手で口を覆い隠していた。しみじみと語る小百合に、俺の口角が上がっていたからだ。

 もちろん、花音という存在がいるのに、小百合にここまで心揺さぶられるなんて、許されないとは重々理解していたが、それでも笑みがこぼれる。

 だって…今までは、ただ小百合におんぶにだっこで、頼りきっているだけだと思っていたのに、小百合に対して、意図的にではないにしろ、何か返すことができていたのかもと思えたから。


「って私の昔話ターン長すぎたかな。」

「いや、いろいろ聞けて良かったよ。小百合の初恋の相手も聞けたしな。」

「悪かったね!私には先約の想い人がいるのさ!」


 先ほどまでの空気感から、大きく雰囲気を変えた小百合。今までの内容を茶化すように、俺を指さし、小馬鹿にしたような笑顔を向けてきた。


「ふんっ…自分でアホとかバカとか言ってたやつのことが好きなんだな」

「うるさい!ほっとけ!」 


 空気を湿っぽくし過ぎないように配慮された、からっとしていて、俺のことをいじるような笑顔に、俺も茶化して返す。

 話を茶化してきて、女の子らしさを感じさせない小百合。そんな様子に俺は、小百合に対して抱えた醜い願望と、花音に対して抱えた罪悪感を紛らわせることができた。

 無配慮に見える配慮に満ちたこの会話に、心地よさを感じていると


「あっ!花音、来たね!お待ちかねの太陽が待ってるよ!」

「おっ!来たか!花音…あんまり待たせないでくれよ。さっきまで、小百合の失恋話聞いてたんだけど、気まずくて、気まずくて…」

「へぇ~…そういうこと言うのね。花音、あんたの彼氏サイテーだ。」

「ほっとけ。」


 花音がやってきたようだった。体を俺とは反対に捻り、小百合は花音がいるであろう方向を見つめ、屈託のない笑顔を向けた。

 しかし、花音を見ているだろう小百合の表情が少し、不安そうなものに変わる。


「ん?花音?どうしたの?」


 小百合は、花音に話しかけているようだったが、上手く返事をもらえていないのか、しばらくの間、小百合は不安そうな顔をしていた。花音を直に見ることの出来ない俺をほったらかしにして、二人は何か会話していたが、


「………なら、いいんだけど…じゃ、時間もないし、さっ!私の体に降りてきて。」


 そう小百合が、語ると彼女の周囲が光り始めた。 

 暗くなる前から降っていた雪は、落ち着きを見せ、小百合の姿をくっきり、俺の目に映し出した。

 しかし雪の降っていない、夜の歩道橋には、風が吹き荒れる。

 ――俺は嫌な胸騒ぎがしていた。



※※※



「嘘っ………!うそ、うそ、うそ……」


 私は、昔から察しがいいと言われてきた。それこそ、その人が言ってほしいこと、してほしいことは大体、少し観察するだけで分かるくらい。ましてや、陽くんのことなら…全部察してあげられる、分かってあげられるなんて、思ってた。


 ――けど、それは思い上がりだと気付いちゃった。私は気づくことが出来なかったみたいだった。


「小百合ちゃん…もしかして、陽くんのことが…」


 私と同じ人を好きになっている人がもう一人いることに…。私の好きな人は、私以外の人を好きになり始めていることに…。


「ん?花音?どうしたの?」

「小百合ちゃん…」

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