中編・上 花音との口づけ

「あの後、陽くんはどうしてた?」

「花音が亡くなった後?」

「そう…」


 抱き合っていた俺たちは、一旦離れ、歩道橋の手すりに手を置き、横並びで互いの近況を話し合っていた。花音との久しぶりの会話。なかなか前みたいに、息つく間もないほど話し合うってわけにはいかなかったけど、それでも俺は、だらしない笑顔になっていた。


「俺は、部活に勉強っていう、いつもの生活が有無を言わせず、戻ってきてた…ただ何をするにも手がつかなかったけどな。」

「そっか…」

「…花音は、逆にどうだった?」

「えっ?」


 俺の質問に少し目を丸くする"花音"。そんな彼女の反応に俺は、ほんの数週間、会ってなかっただけなのに、ずいぶん懐かしく思う。


「実は、幽霊になってからは、記憶がはっきりしないの…死んだときのことは、嫌でも鮮明に思い出せちゃうのにね…」

「花音…」


 そう語る花音は、青ざめて見えた。花音、自らが体験した死の記憶。俺にはそれを推し量ることはできない。


「最初はね、思いっきりお腹を蹴られたみたいな鈍痛がするんだよ…そうかと思ったら、体は宙を浮いてた。浮いてる間は、夢か何かかと思うんだけど、固い地面に当たった瞬間、やけどしたのかってぐらい、体が熱かった…」

「そうなんだ…」


 聞いてもいないのに、自分の臨死体験を花音は、俺に話し出す。正直聞きたくないとも思ったのだが、俺はただただ、相槌を打った。

 だって、花音は、ただ聞いてほしいんだろう。自分の辛かったこと、痛かったことを吐き出したいんだろう。

 死を語る彼女の表情は、穏やかそうでもあり、哀しそうでもあった。


「熱いって思ったら、切り裂くような痛みに変わってね。痛い!助けて!なんて声を出そうとするんだけど、案外声も出ないんだ………視界も真っ暗になって、この世界には私一人だけなんじゃ…そう思うようになってた。」

「ごめん…ごめん…」

「ふふ…なんで、陽くんが謝るの。でもありがとう…手握ってくれて…」

 

 花音の話を聞いていると、自分が体験したことではないのに、俺は、無意識で花音の手を握ってしまうほど、身震いし、恐怖を覚えた。

 多分当時の花音は、もっと怖かったんだろう、誰かに助けてもらいたかったんだろう…そしてその誰かはきっと、両親や友達、「恋人」だったりしたんだろう。

 

「ごめんね…、こんな聞きたくもない話聞かせちゃって。」

「そんなことない。花音の話なら何でも、聞きたいから。」

「じゃあさ、小百合について、喋ってもいい?」


 しんみりとした空気にしすぎたと思ったのか、花音は雪の夜空に向けていた顔をこちらに寄せ、笑顔を作り、意外な話題を取り上げた。

  

「いいけど…これまたなんで、あいつの話を?」

「だって、小百合、かっこいいし、すっごいいい子なんだよ!」

「まぁ、言い方があれなだけで良い奴ではあるのか…?」

「うん…初めて会った時も、すっごい気が合っちゃって!」


 小百合を手放しで、褒める花音に、俺は、実質、小百合との初対面だったクラスでの会合を思い出す。なかなかに高圧的な初対面。最初は意味の分からない罵倒からだったな…

 花音もそうだけど、なぜ俺の周りの女の子は言いたいこと、言わなきゃいけないことを最後に持ってくるんだよ…


「小百合ね、最初は速攻私のことをお祓いしようとしてきたんだ。だけど、小百合が私のこと、見えてるのに驚いちゃって、駆け寄っちゃった。」

「あぁ…本人からそこらへんは聞いた。花音って、結構リスキーなことするよな…」


 当人は、そんな花音のことを可愛らしいと評していたが、もし小百合が無慈悲に花音を祓おうとしたとき、どうするつもりだったのだろうか。


「だって、幽霊になってから、ずっとフワフワしてても私を見つけてくれるい人はいなかったから。」

「本当に一人もいなかったのか?」

「うん…それこそ、陽くんも………私の葬式で泣いてる陽くんを励ましたいのに、触れ合いたいのにできなかった…」

「………」


 俺はまたしても押し黙ってしまった。花音が居なくなって、この世で一番つらいのは俺だと思っていたのに、本当につらかったのは、花音だったって知ったから。

 触れ合える距離にいるのに、触れ合えなかった花音。触れ合えないとあきらめた俺より、どれだけ辛かったのだろうか?


「でもねでもね!だからこそ、小百合ちゃんと出会えた時はうれしかった!」


 それでも、どれだけ辛い想いをしていたとしても、花音は、明るく、雰囲気を作ってくれる。


「そっか…あいつには感謝しなきゃいけないな…」

「そうだね…私と陽くんをまた引き合わせてくれたんだから…」


 小百合が、花音の話し相手になってくれたことを、感謝した俺に対して、花音は、二人を引き合わせてくれたことに感謝していた。


「そう…せっかくまた出会えたんだよ…」


 さっきまで、明るい雰囲気で小百合に感謝していた花音だったが、いつの間にか、頬を染め、声色も弱弱しい…いや正確には、甘い声に変わっていた。


「だから…陽くん」

「…花音」

「昨日の続き、したいよ…私。」


 そう言うと、花音はゆっくりと瞳を閉じて、こちらに唇を近づけてきた。俺を誘うような謳い文句には似つかわしくない、花音の純真で恥ずかしそうな様子に、心臓がうるさい。

 俺は、そんな”花音”から求めてくれた、久しぶりで、待ちわびた口づけに応えようと近づくが、


「…待ってくれないか、花音。」

「なんで…?」

「これは…小百合に言ったのか?」


 唇を待ちわびる小百合の顔に俺は立ち止まった。唇を近づければ、近づけるほど、小百合の綺麗な切れ長の目や、美しい長い睫毛が鮮明に見えてしまう。そんな状況に、俺が興奮しているのは、花音とのキスだからなのか、小百合とのキスだからなのか分からなくなっていた。


「言ってない…」

「だったら、ダメだろ…」


 小百合の顔に少しでもときめいてしまった罪悪感で、俺は花音との口づけから逃げた。だって、こんな気持ちになるなんてことは、花音にも、小百合にも失礼なことだって思ったから。

 そんな逃げに、花音は、俺をちょっとだけ睨みながら、不満げだった。


「ウソ…小百合には、ちゃんと言ってる…」

「そっか…ならしょうがな…ってウソ!?」


 けど不満げな花音は、意外にも強情で、一瞬空いたと思った退路を塞いできた。

 俺は、キスに貪欲な花音と、キスしていいと認めている小百合、両方に対して驚く。


「小百合ちゃんに、陽くんとキスしていいかって、聞いたら恥ずかしそうに、『いい』って言ってくれたよ…」

「本当か?花音に無理して…そんなこと言ったんじゃ?」

「それはないって言いきれる。だって…小百合ちゃん…」


 小百合が花音のために我慢しているという俺の予想を、はっきり『それはない』と言い切る花音。そんな彼女は、最後の方に何かを言おうとしたが、


「なんでもない!もうなりふりなんて構わない!こっち見て!」

「えっ…ちょっ………待っ…!」


 強引に俺の顔を両手で固定し、そっと口づけをした。


「んぅ…!」


 優しく触れた彼女の唇はしっとりと潤い、俺の唇に合わせて形を変える。

 一つの生物のように動く、彼女の唇に俺は制御できなくなった。彼女の息に合わせて、俺も舌を差し込んでいく。俺が彼女を強く求めると、負けじと彼女も俺を求めてくる。

 雪が降る、冬の歩道橋で、昂る二人を象徴するような白い息を吐きながら、俺たちは口づけを交わし合った。






ピピピピピッ!


「…っは!はぁ…はぁ…何?」

「はっ…はぁ…はぁ…時間みたい…」


 あのまま、俺たちは、求めあっていた。けど花音、いや小百合のポケットからスマホのアラームが鳴って、現実に戻ってきたような感覚に襲われる。


「時間?」

「そう…このアラームが鳴ったら、私、あと5分くらいで体からはじき出されるの…」

「えっ…」


 花音が語る、知りたくなかった現実。小百合の体は、一時間しか花音を降ろせないらしかった。小百合に体を何度か借りた花音は、それ以上、借りられないか、試してみたらしいけど、それ以上に伸ばすことはどうやってもできなかったらしい。


「花音…また会える…よな…」

「うん…陽くんが一緒にいたいって思ってくれるなら、私もずっと待ってる…」

「じゃあ、明日もまた来るよ…ずっと一緒だ…」

「そっか…」


 花音を安心させるため、誓う俺だったが、目的に反して、花音は悲しそうな表情を見せる。喜んでくれるだろうと思った永遠のプロポーズは、彼女にとって、喜ばしいものではないようだった。


「じゃあね………陽くん」

「あっ…ちょっと待ってくれ!」


 彼女の体がほのかに光りはじめ、別れを感じさせた。けど俺は、花音と久しぶりに話し合えたから、今までみたいな情けない姿で別れを告げないようにする。


「お休み、花音。また明日。」

「お休み…陽くん。また…ね…」


 花音とまた離れてしまう悲しみを、隠しきり、少しずつ光が弱まっていく彼女を前に、別れを告げた。完全に彼女の体から出ている光が収まったと思うと、


「どうだった?あんた、花音とちゃんと話せた?」

「あぁ…おかげさまで、ちゃんと話せたよ。」


 小百合が帰ってきていた。彼女からは、当然ではあったが、花音は全く感じない。小動物のような身振り手振りが無くなり、堂々と腰に手を据え、男顔負けのさっぱりした様相を呈していた。


「そっかぁ…ならよかった!」

「ふっ…そんな喜ばれるとは思わなかったな。」

「だって!花音の様子見てたら、ちゃんと話せるか心配だったんだから!」


 見ず知らずの花音や俺に対して、ここまで心配してくれた小百合。こいつ…小百合には何度も助けられていた。花音と出会うことも、花音にしたひどい仕打ちを取り繕う機会も、小百合が居なければ与えられることはなかっただろう。


「ありがとう、小百合。」


 だから俺は、素直に感謝を伝えることにした。

 本当はもっと言葉を弄して、感謝を伝えたかったが、いい言葉も思いつかないし、小百合にも迷惑になると思い、結局、シンプルに感謝する。


「えっ…と…そりゃどういたしまして…素直に感謝されると、なんかはずいね。あとお前呼ばわりじゃなくて、ちゃんと名前で呼ぶのも驚いた…ははっ…」


 照れくさそうにする体を揺らす小百合を、俺は、可愛らしいなと思い、眺めるが、彼女の動く唇に少しドキッとした。

 あの唇に俺は、キスしたんだ…相手は、花音だけど、実際にしたのは小百合…


「あのさ…太陽。そんなに口元、見られるとさすがに、ちょっと気まずいんだけど…」

「あっ…!ごめん!」

「にしても…ほんとにすごかったんだ…汗もスゴイし、涎が、口の周りについてる感覚まだするよ…」


 キスした時のことを思い出していた俺は、無意識に小百合の口元を目で追っていたらしい。しかし、口元に指を当て、先ほどまでキスをしていたのだと、頬を赤らめる小百合の様子に、彼女の注意をもろともせずに、見つめ続けてしまっていた。


「本当に良かったのか?体を貸すとは言え、俺とその…」


 ただ、小百合の体を利用して、花音と口づけをするという行為が、俺の罪悪感を刺激していた。


「(…私だって、人は選ぶさ…)」

「小百合?…ごめん、聞こえない。」

「気にすんなって言ったんだよ!花音のためなら、これくらい我慢してやる!」


 俺の質問に、我慢してやるという答えを返す彼女。俺はそんな彼女に、


「それじゃあ…ダメだろっ!」

「えっ…」


 ひどく声を荒げてしまった。

 もちろん、花音と話すことも、キスすることも…それ以上のことも、やりたいことはいっぱいあった。けどそれは、小百合の全てを踏みにじることに他ならない。だから俺は、許せなかった。


「そういうのは、もっと大切にしてくれ。俺なんかにほいほいあげていいもんじゃないんだぞ!」


 見ず知らずの俺なんかに、我慢しながらも自分を奉げるなんて、してほしくなかったから。

 本来なら、こんな風に声を荒げて、言うべきじゃないなんてことは分かってる。けど、小百合の我慢に乗っかってしまった俺自身への怒りが、零れてしまった。


「何よそれ………私だって!初キッスぐらい、もう済ませてあるから心配すんな!」


 俺から向けられた怒りが、想定外だったのだろう。彼女は、顔をみるみる不機嫌に変えていく。


「そもそも、そんなこと言うなら、遠慮しろ!こんな、息が切れるまでキスすんな!」

「うっ…それは…」

「そんなに私の体が良かったか!?」


 もっともな反論を浴びせながらも、小百合は指を突き立て、俺を問い詰めた。距離を詰められ、焦った俺は


「………良かったんだよ」

「はぁ…そこは、否定してよ…ボケになんないじゃん…」


 つい本心が零れてしまった。冗談も茶化しも感じられない返答に、小百合は、恥ずかしそうに目をそらし、ため息をついて呆れてしまった。


「…小百合は、好きな奴とかいないのか?」

「そんなの…いないに決まってる…」


 俺のやった行為がどれだけ罪深いものか、確かめるために、好きな人はいるのか、聞いてみる。好きな人なんていないと答える彼女は、恥ずかしいのか、少し言い淀んでいた。


「意外だな。そういう経験豊富そうなのに。」

「嫌味か?太陽。私の性格、知ってるよね。こんな私のどこに、モテる要素があるの言ってみな?」


 小百合のことだから、恋愛なんて、俺には想像できないくらいしてきたのだろうと思っていた。しかし想像より、自己評価の低い小百合。自分を卑下するような彼女の発言に


「そんなのいっぱいあるだろ?」

「えっ…」


 俺は率直な疑問を投げかけた。


「俺が花音と出会えたのも、花音に謝れたのも、小百合のおかげだ。見ず知らずのやつらにここまでしてくれる奴なんて、普通いない。」

「………それは…」

「それに加えて、意外と恋愛面ではウブなところとか。正直者でさっぱりしてるところとか。小百合がモテる要素はいっぱいある。」


 そう小百合がモテないはずはないのだ。こんなにもいい奴で、こんなにも綺麗で、こんなにも可愛いんだから…


 ん?なんで、俺、小百合の魅力を語ってるんだ?


 やっと自分のした発言のおかしさと恥ずかしさに気付く俺だったが、


「っ………!あのなぁ…はぁ…私を口説いてどうするんだよ…」


 気づくのが遅かったようで、小百合にまた呆れられてしまった。


「悪い…口説いてるつもりは…」

「ほんと…花音の前でそんなこと言うなよ…」


 呆れながらも、花音と俺の心配をしてくれる小百合。


「大丈夫。花音が小百合に、嫉妬なんてするわけないし。」


 そう、小百合に花音が嫉妬するなんてありえない。多分、花音は俺が悪いと責めるだけ。万が一にも、小百合を悪く思うはずがなかった。


「そうかねぇ…まっいいや、とりあえず今日は終了でいい?」


 俺の返答に、少し納得のいってない様子の小百合だったが、本日の解散を提案してきた。実際、高校生が外でたむろしていても許される時刻はとっくに過ぎていた。


「あぁ、ただ明日もここで、花音と会わせてくれないか?」

「分かってるよ。花音からもお願いされてるしね。」


 俺の頼みを、彼女はあっさり受け入れた。

 こうやって、人の頼みをあっさり聞いてくれるところも、小百合のいいところなんだけどなと、そう心の中で、思いつつ、


「ありがとう…」

「いいってことよ!それじゃ、太陽。また明日」

「あぁまた明日。お休み小百合。」


 俺は、明るく、返事をしてくれた彼女に背を向け、歩道橋を下り始める。


 歩道橋を下り終え、感づかれないように、尻目で見ていた彼女が、完全に見えなくなった瞬間、


「………っ」

 

 俺は家に向かって走り出した。

 真っ暗な冬の夜。花音を失うことで、一人になるのが怖くなっていた俺。

 花音と小百合――二人からもらった温かい記憶だけを頼りに、白い息を吐き出しながら、走り続けた。



※※※



 私は、一人、歩道橋の上で、花音のために買っていたカフェオレを飲んでいた。体から、出ていった花音は、どこかへ行ってしまっている。


「あいつ、私とキスしたんだよな…」


 たった一人で残された私は、さっきまでキスしていた男の子のことを思い出していた。


「太陽、覚えてないんだろうな、私のこと…。ほんとサイテー男。私の初めて、全部奪いやがって…」

 

 そう、小学校の時、私を変えた男の子ことを…


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