第27話 テケテケ


「広報委員といえば、学校の七不思議を扱ったことがある。俺の学校には、七不思議があったのさ。近くだとスタイルが良くなる像」


 長谷川は、その像の名を知っていた。


「ダビデ像だな」

「そうだ。約六等身で、見上げた時に完璧な等身になるよう設計されている。七頭身だったかな。それで、目がハートなんだ」


 黒井はその目つきについて、ある仮説を持っていた。


「例の委員で、色々、調べた結果、多瞳症なんじゃないかって結論に至った。瞳が重なって生まれてくる人間がいるらしい。それが丁度、ハートに見える」

「そうか。私は、瞳孔だと思うが。三角の切れ込みは下から見上げると丸く見える。我ながら夢のない話だな。もっとロマンティックに返せれば良かったな」

「お互い様さ」

「そうだな」


 夜の魔法にかけられてか、二人の話し声は酒気帯びて聞こえる。昼間より話し声が耳朶に響く。そして、音は、くぐもっている。スノードームの中にいるようだ。


「七不思議、懐かしい響きだな。私の学校には一つもなかった。作ればよかったな」

「俺のところのは、実質、六不思議だった。七個目は誰も知らない。知ったら死ぬんだ」

「未知の恐怖は底知れない。暗闇、池の底、草むらの中。どれだけ恐れ知らずでも躊躇するだろう」


 誰だって、この範疇に入る。わからない事物への偏見は克服し難い。


「くねくねは、この心理を利用した都市伝説だな」

「都市伝説。これまた、懐かしい響きだな。ならば、ムラサキカガミを覚えているか。学生時代に流行った」


 長谷川は尋ねた。


「覚えているさ。忘れもしない。記憶力の悪い俺が、はっきりと記憶しているくらいさ。初めて、その話を聞いたときは、教えたやつを犯罪者を見る目でにらんだものさ」


 ムラサキカガミ、という単語を二十歳まで覚えていると、死に至るという。大抵の人間は、期限までに忘れてしまうが、彼の妹は違うらしかった。二十歳とちょっとで死んでしまった。間接的原因ですらないものの、妹にその言葉を教えたのを後悔している。


「じゃあ、テケテケはどうだ」


 長谷川は訊いた。


「知っているさ。その名前を耳にした者の下に、テケテケが訪れて斬殺する。そして、下半身を持ち去るんだ」


 名前を聞いた後でも可能な対処法はあったはずだが、忘れてしまった。残念無念。


「学生から聞いたんだが、去年、隣町で轢かれた女がいたらしい。なんでも、現場から下半身が見つからなかったそうだ。まさに、現代のテケテケじゃないか」


 黒井は、くらっとした。遠くで踏切の警報が鳴っている。それは、彼にしか響かない筈だ。


「俺の妹さ」


 そして、踏切棒が空いた後の静寂。


「下半身は電車に挟まってたんだ。だから、現場からは発見されなかった。こういうのは、良くあることなんだとよ」

「そうか。そうだったか」


 長谷川はやや冷めたココアの容器をなぞった。


「妊娠していたのに、子供は見つからなかった。近くの病院に連絡した。実家や、喫茶店のお手洗い、駅のロッカーまで、血眼になって探したが、どこにもいなかった」


 死の絶望から冷めやらぬまま、追い打ちをかけるように、不条理が襲った。十二月の終わり、身体の芯どころか、表面まで冷たくなってしまいそうな、どん底。元日であっても、去年に囚われていた。それは今年もそうだ。あの日からずっと、月日は止まったままなのだ。


「しばらくして、事故直前の証言が上がって、中年の男に誘拐されたと知ったんだ。妹は、ある男に、子供を渡したらしい。男と子供の行方は依然わかっていない」

「それが神宮司、というわけだな」


 彼女は、片田村資料館で、西田と彼のやり取りを、傍で聞いていた。


「神宮司、おそらくな」

「おい、あれはなんだ」


 長谷川は、身を硬直させる。目線を同じ方角へ移した。だがしかし、なにも変わったところはない。田舎の道路には雪が積もっていて、電灯が等間隔で並んでいる。もう一度、彼は目を凝らした。

 正面から伸びる円錐の光。その範囲にだけ降雪がある。雪と光のクリスマスツリー、一番奥の五番目、ぱっとストロボを焚いたみたいに一瞬、少女が現れて消えた。網膜のフィルムに、女の子の走り出した一瞬が焼き付く。

 見間違いかと、目をこする。今度は四番目に出現して、やはり消えた。瞬間移動みたいな明滅は、錯覚じゃない。出た。三番目に跳躍、消滅。走り出す格好で、点滅しながら迫ってくる。

 二人はようやく、少女がこちらに向けて、全力疾走しているのだと悟った。明るいところを通過するときだけ、その姿があらわになるのだ。

 嗚呼、恐怖で足がすくみ逃げることが出来ない。長谷川がいる手前、情けなく逃げ出すなどしたくない。そして、少女は二番目。次で、ここに来る。長谷川は、小声で耳打ちした。


「どうする。逃げるか」


 自販機と、照明の輝きが届く範囲の世界。小さな塊が、走ってきている。


「黒井!」


 そうこうしているうちに、その瞬間がやってくる。真っ白な物体は、彼の懐に飛び込んだ。彼は、腹に小さな衝撃を受けた。それは子供だった。


「た、助けて」

「なんだって」


 情けない声で聴き返す。お腹にぎゅっと腕を回して、固着されているので、少女の頭頂部しか見えない。真っ白な髪の毛、真っ白な腕。


「お姉ちゃんが、殺されちゃう」


 と嗚咽交じりにたたきつけて、彼女は、うずめていた顔を上げる。その時、彼ははっきりと見た。その心臓色の虹彩。

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