第20話終わり
アンドレイがウラジミールを見つけたとき、彼はかつてのニッケル鉱山にいた。多くの水星人が苦悶をその顔にたたえて、灼けるようなこの礫土に斃れた。そうしてできた屍の小高い丘に地球人たちはガソリンをかけて、それらを灰燼へと帰したのである。そこには一断片の追悼の念も存在せず、彼らはただそれを有機体が無機物へと変化する光景として眺めた。
「アンドリューシャ、ここではかつて多くの水星人が苦境のなか死んでいった」
ウラジミールはまるで独語のような調子でいった。
「それから数百年がたった。いまだ私たちは地球人たちに過ちを認めさせることを成しえていない」
アンドレイはウラジミールの顔を覗き込んだ。優しげなその目に悔しさがにじんでいた。
「ですが、私たちは前に進みました。歴史は動き出したのです。これから加速度をつけていくでしょう」
「そうか、そういう考え方もあるかもしれない。しかし今後数百年、水星人の名誉は貶められるかもしれない」
アンドレイは返答に窮した。たしかに正論かもしれない。しかし多くの水星人にとって、名誉など二の次であろう。最低限の平等が確保された今となっては、重要な貿易相手である地球本国をなだめることの方が重要であるに違いない。
「アヴェーン内務卿からの通告はご存知でしょうか?」
アンドレイはとりあえず話を変えることにした。
「ああ知っている。私は死を恐れるつもりはない」
ウラジミールは間髪入れず返答する。一切の揺らぎもない声は虚勢などではないことを如実に示していた。
「そうですか。しかしボリス大佐は、最後におしゃっていました。ウラジミールには生きてほしいと」
「それは無理な願いだ」
ウラジミールはにべもない調子でいった。それはアンドレイにかすかな反感をあたえる。
「しかし、大佐の最後の願いなのですよ」
ウラジミールはかたくなに首をふった。アンドレイは自らの思いのすべてを吐き出すことを決意した。
「アシモフ先生、いまのあなたは、死を恐れない自分に酔っている。あなたは人びとを団結させることはできても一国を導くことなどできやしない。事を起こしても内務卿に殺されるのがオチだ」
アンドレイは自分の言葉が激しさを帯びていることに気づいたがおかまいなしだった。彼の変貌に愕然とするウラジミールを後目に続けた。
「もう、あなたの仕事は終わったのだ。引き際を間違えてはならない」
「では私はこれからなにをすればいいというのだ」
ウラジミールも激した。
「私はこの生き方しか知らないのだ。このまま水星が蔑まれるのを黙認しろというのか」
「そうはいっていません。あなたにはあなたしかできないことがある。あなたは教師だ。後進をそだてて、彼らがさらに歴史を進めるのだ」
予想外の返答にウラジミールは、言葉に詰まった。
「いやそれこそあなたのやるべきことだ。私たちはみな、あなたの言葉によって蒙を啓かれた。あなたの言葉には力がある」
「教師に戻るのか」
「そうです。歴史は一人がつくるのではないのです。多くの人間が寄り集まって前に進むのです」
アンドレイの熱弁にウラジミールはしばし黙した。そしてぽつりと言った。
「ありがとう、アンドリューシャ。私は道を違えるところだった。ボリスの言う通り、私は生きよう」
天涯は紺碧に染め上げられ、無数の星々が輝いていた。それらは悠久の時を経て今に至り、そうしてまた気の遠くなるようなときを刻む。新たな水星の歴史は始まったばかりだった。
黎明期の終わり 斑目蓮司 @madaramerenji59
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