第5話霹靂

「なあ、ボーレニカどう思う」

 その声で彼は、回想から現実へと引き戻された。

「ああ、なんだっけ」

「水星が独立するのは、可能かどうかって話さ」

 この話題はもう幾度となくした。だが酔うときまってウラジミールは、この話をしたがった。ボリスの返答も毎回同じだった。

「現時点では厳しいと思う」

 するとウラジミールは、がっかりとした顔をした。ボリスだって彼のそのような顔はみたくない。しかし友人を喜ばせるために、大言壮語をするのも自分の性に合わない。

「地球の支配者層は、貴重な鉱物の産出するここ水星を手放さないと思う」

「たとえば、われわれ水星人が一斉にサボタージュするのはどうでしょう」

 アンドレイがいう。その案はボリスだって考えた。

「本国政府は必ず武力をもって水星の統治権を守ろうとするだろうな。それこそ民間人を殺害してでも。水星人は家畜だと本気で本国人は考えている。そんなわけはないのにな。虐殺も正当化されるだろうさ。独立には武力が必要だ。地球が統治をあきらめるくらいの」

「武力が手に入れば可能なのですか、大佐殿」

 後ろの席から問いかける声がした。聞き覚えのない声だった。しかし鋭く光る感情のない目には、見覚えがあった。

「貴官はたしか作戦参謀のニキタ・アヴェーン少佐か」

「そうです、大佐殿、お話は拝聴しておりました」

「盗み聞きとは感心せんな」

 まずい相手に聞かれたと思った。この男は地球人の水星駐留軍司令官ヴィクトル・ヴォルコフ中将の側近である。いまの話を密告されれば、三人まとめて反逆罪で極刑であろう。

「酔っ払いの与太話をわざわざ司令官閣下に報告して、おさわがせするつもりか。貴官は優秀だな」

「大佐殿は、はやとちりされているようですな。そのつもりならわざわざこの場で声はかけません」

 皮肉まじりに凄んでみせたが、まったくひるまず平然としている。

「ならばなんの目的があるのだ」

「わかりませんか。大佐殿」

 そういうとニキタは、上着のシャツを脱ぎ始めた。無駄なぜい肉のない裸体と背中の大きなケロイドがあらわになる。

「この傷は地球人の父親につけられたものです。アイロンを押し当てられました。私の母親は水星人の情婦でしたが、父親に気に入られて囲われていました。そこで私が生まれたのです。酒乱の父は酔うとよく母と私に暴力をふるいました。この傷もそのときつけられたものです。母はたまらず私を連れて逃げ出したことが幾度もありましたが、そのたびに憲兵によって父のもとに連れ戻されました。憲兵に父の非道をいくら訴えても、水星人は地球人の所有物であり、どう処遇しようと知ったことではないと。そういわれた時、絶望と母親の沈痛な面持ちはいまでもわすれられません」

「痛ましいことだ。しかしそれがどう関係ある?」

「大佐殿、私は地球人の支配を憎んでいるのです。できればこの手で壊してしまいたい」

「そのようにして我々を罠にはめる気か」

「ボーレニカ、その言い方はよくないじゃないか」

 ウラジミールが口をはさむ。善人である彼は、疑うということを知らない。

「彼が嘘をついているとも限らないじゃないか。事実傷がついている。それに地球の支配に反対しているというのなら同志だ」

「しかし……」

「大佐、アシモフ先生の言う通りかもしれません。彼は司令官の腹心ですし、協力してもらえればこれ以上ない味方です」

アンドレイも言った。ボリスは完全にニキタを信用したわけではないが、話だけでも聞いたみることにした。

「大佐殿、先ほどの質問に答えてください。武力さえあれば水星の独立は可能かどうか」

「あくまでするしないではなく仮定の話だが、水星駐留軍をすべて掌握できたとしたら不可能ではない。まず距離的に近い金星駐留軍を奇襲で撃滅して時間をかせぎつつ、金星と水星からの物流を完全に停止させる。宇宙艦の製造にはこれらの惑星からの物資が不可欠だから、地球本国の生産力を劇的に低下できる。そして焦った地球側が火星駐留艦隊もしくは地球本国の艦隊をさしむけたところに艦隊戦を仕掛けて、勝利する。あくまでうまくいけばだが」

「なるほど、おっしゃる通りだと思います」

 ニキタは質問しておいてその答えが当然であるかのようにうなずいた。答えなどわかりきっているといわんばかりであった。

「仮に水星駐留軍を掌握できるとして、大佐殿は指揮してくださいますか」

 ニキタは鋭い三白眼をこちらに向けた。その眼光はまるで脅迫しているかのようでもあった。

「なぜ俺が指揮せねばならん。貴官がすればよかろう」

「私には、人望も艦隊指揮の腕も経験もありません。その点大佐殿は、地球人でありながら水星人士官にも人気があり、信頼されている。そして艦隊指揮の面においてもB第四宙域の会戦においてその実力を遺憾なく発揮しておられる」

「昔のことをよく知っているな」

 ボリスは苦笑した。それは彼がいまだ中佐であったころの話であった。それ以前から金星宙域(B宙域)に出没する船賊によって、官船の物資が強奪されるという事件が頻発していた。その船賊の装備の充実ぶりから他国に使嗾されたものとみられていたが、決定的な証拠を得られずにいた。ボリスは官船の護衛任務に従事して、襲撃してきた船賊を三度撃退し、そのうち一度は返り討ちにして敵の艦艇をすべて撃破するという赫赫たる武勲をあげていた。それが原因で目をつけられたらしい。七隻の艦艇をひきつれてパトロール中に約三倍の二三隻に囲まれた。ボリスは恐怖に駆られる部下を叱咤し、応戦しつつ後退しアステロイドベルトに逃げ込んだ。そこで巧みなゲリラ戦術を行い、敵のうち六隻を大破、七隻を中破、三隻を拿捕するという大戦果を挙げた。しかも拿捕した三隻には、北米のハリー・アースカイン政権から送り込まれたとみられる指導将校がおり、これを根拠としてアースカイン政権への攻撃が行われた。ボリスはその功績によって大佐になったのであった。

「しかし地球人の私がリーダーであれば水星人たちが納得しないだろう」

「アシモフ先生にそこを担っていただく。つまり軍事指導者と政治指導者を分けるのです」

「なるほどな」

 たしかにうまくいきそうにみえる。しかしそこに行きつくまでに大きな課題がある。

「しかし、まずは水星駐留軍を掌握しなければはじまらないな。俺が見るところ、各所の制圧には陸戦部隊一個連隊は必要だろう」

「ご存知だと思いますが水星駐留軍には3個陸戦連隊が存在しており、それらの上に師団長がおります。師団長及び第一連隊長は地球人ですが、それ以外の二つの連隊長は水星人で連隊の構成員も八割方水星人です。これらを教唆すれば、不可能ではありません」

「教唆とは人聞きが悪いな。しかし彼らはいまのところ大した不満もなく、軍務についているではないか」

「しかしその平穏さは薄氷の上に成り立っているといえるでしょう。その連隊長は二人ともアシモフ先生の助命嘆願に参加しております」

「なるほど、水星の独立に肯定的というわけか」

「そこで私にひとつ腹案がございます」

 その後にニキタが告げた作戦に一同は衝撃を受けた。その用意周到さと辛辣さの両面においてである。ウラジミールは、水星の独立という長年の夢がかなうと興奮気味にそれに耳を傾けた。ボリスとアンドレイは顔を見合わせた。確かによく練り上げられた策であるがはたしてそううまくいくものか。そして突然現れたこの男をどの程度信用していいものか。ボリスは主導権が全面的に相手にあることにうすら寒さを覚えた。しかしもはや動き出した事態をとどめる手段はない。時刻は午前一時をまわっていた。強引に地球時間にあわせた時刻と水星の自転周期が呼応するはずもなく、空はまだ明るい。しかし人間の概日リズムは遠く地球を離れても変わることなく二十四時間で刻まれる。白昼の中でも不思議と眠気に襲われる。四人はこの日は解散することにした。それぞれに帰路をたどる。ボリスも官舎への道をひた歩く。なるべく余計なことを考えないように。

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