第2話

 ここで、ひとり紹介しなければならない。


 名前はアトルシャン・ミックスと名乗っている。

 本人がそう言っているので、信じることとしよう。身長は170センチほど。実際の年齢は解らないが見た目から20代前半――ひょっとしたら高等学校を出たばかりであろうか――中性的な顔立ちで、一見すると女性にも見えなくもない。つやのある黒髪を肩ぐらいの長さで切りそろえ、日焼けをほとんどしていないのか色白だ。服の上からでも、貧相な体格であることが伺える。国際鉄道の黒い制服に着られている感じだ。


 しかも、人の家に忍び込むときの格好がその制服姿であった。

 その男が、ちゃっかりと大使館主催の晩さん会に出席している。

 無論の制服ではなく、ちゃんとタキシードで参加していた。


「それで、あの安いアパルトマンの内見はできたのかい?」


 同僚のオリバーに声をかけられるまで、彼を視線で迫ってしまった。


「……ああ。不思議なことに断られなかった」

「入り口で問答無用に玄関を閉められることなく?」


 オリバーは名乗った途端に断られたそうだが、なぜか私は中に招かれ、住宅の内見をさせてもらえた。下宿という形にはなるが、家具付き食事つき。それなのに相場の4割引きとは安すぎる。

 さて、そうなると俄然興味がわくのが、割引の理由だ。

 早く借り手を探し、家賃を得たいならと考えると門前払いなどしない。何か曰く付きでも同様だ。怪奇現象などと……この錬金術が発達した世の中で、馬鹿げている。

 それに何故、私、ジャン・スミスが家主に選ばれたか。興味がそそられることだ。


「借りたさ。すでに1週間になる」


 そう、私は興味本位でこの安いアパルトマンに下宿することとした。

 この建物の間取りは……1階は家主の男の住居。2階と3階が空いており、私はその2階に下宿することとなった。メイドがひとりおり、掃除洗濯、食事の用意もすべて任せられている。ただ、この家主がよく外出する。あの日、私がここに内見にいったときに居たにしては、おかしいぐらいだ。


 どうやら、私がいるからこそ、外出していると考えると納得がいく。


 そして、一晩目は特に何もなく過ぎた。期待した怪奇現象なども起きない。

 翌日の朝食は、北部風の料理でジャガイモとハーブの利いたソーセージ。今までホテルで軽めの朝食をとっていた身には、少々重たい気もする。不味いコーヒーを数口だけ口をつけて、大使館に出頭した。


 1日目の朝は特に……いや、思えば、誰かが私を尾行していたようだ。退所し、下宿に帰った時も尾行されていたようだ。




 その日の夜に、事態は急変する。

 その夜は珍しく、左足の痛みのために寝付けないでいた。

 真夜中過ぎ、暖炉がある書斎を兼ねた応接室で物音が聞こえた。


「誰だ!?」


 私の家は武人の家系で、格闘戦なら負けない自信があった。だか、治療した左足のこともある。枕元に護身用の拳銃を隠し持っていた。それを握りしめ、応接室へ続くドアを盾にして銃口を向けた。

 暗闇であるはずだが、ドアの隙間から赤紫色の明かりが見える。

 その光は円筒形のランタンのように見える。人の姿は陰でしか解らないが、書き物机のあたりだ。何か書類でも探しているのか。

 私は大使館付武官であるが、仕事に使用する書類、特に機密文書は持ち帰ることはない。私的な書類ならまだしも、そのようなところを漁っても我が国の機密はない。


「誰だ!?」


 もう一度声をかけるが反応はない。

 最初はあの家主の男かと思った。合い鍵なら持ち合わせているはずだ。しかし、何故、私が寝ている時なのだ。金目のものを盗むなら、私のいない昼間に犯行を行えばいいはずだ。


「動くな!」


 私は警告した。暗闇の中で私を挑発するかのように、赤紫色の明かりは動き始める。


 そして、その人物は暖炉の前のソファに腰を掛けるように動いた。

 警告はした。躊躇なく、私は引き金を引いた。標的にしたのはあの赤紫色の光。弾が命中し、光が床に転がることを期待した。だが、そうはならなかった。


「――Sieht so aus, als wäre es die falsche Person」


 そんな声が聞こえると、暖炉の両脇にあるガス灯がひとりでに灯った。


(魔術師か?)


 その人物が指示したかのように、円筒形のランタンから小さな光が別れ、ガス灯へと飛び明かりを灯したのだ。


 そして、部屋が明るくなるとソファにはひとりの男が座っていた。手には走馬灯のような円柱形のランタンを持っていた。それが赤紫色に光っている。

 魔術師が蓄積媒体としているダイリチウムの光だ。それによく見れば私が撃った拳銃の弾が、空中に止まっている。それを私が確認したのを分かったのか、ポトリと床に落ちた。


「勝手に押し入って申し訳ありません」


 ソファに座った男は、急に謝罪から始まった。深夜、忍び込んだというのに。

 私は拍子抜けしたというか、怒る気にもなれなかった。それに弾丸も止めてしまうほどの防御壁を張れるほどだ。拳銃の弾を消費するだけだろう。


「何者だ、貴様は?」

「まあまあ、落ち着いて。座って話をしましょう。スミスさん」


 アトルシャン・ミックスとの初めての対面だ。

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