安すぎるアパルトマン~(パイロット)灰色の習作~
大月クマ
第1話
「これは……少々安すぎないかね?」
私は、ジャン・スミスとして新しい家を探していた。
ここに来た経緯は省略するが、負傷して予備役寸前の身としては、現役の軍人としていられるのは誇り高きものだ。なにせオルフェス公国大使館付武官として、このノクティスの街に常駐することとなったからだ。そのために住居を探している。
「そうなんだ、スミス。このアパルトマンは家賃が安すぎる。だが、未だに借り手がいない」
新聞広告を見ると、1週間の家賃は相場の4割引きだ。正直、大使館付武官の給料を考えると、飛びつきたくなる。
その新聞広告の切れ端を持ってきたのは、私の先輩格のオリバーだ。
彼も私と同じように、このノクティスに常駐している。そろそろ彼のほうは住居を移動する時期に来ている。仕事柄、1ヶ所に住居を構えるのはよろしくないからだ。
「君は借りないのかね?」
「いや、そうしたいところだが……」
と、話すべきかどうかといった感じで、大きなため息をついた。
「何かあったのか?」
「僕がいったら、玄関先で名前をいった途端、ドアをピシャリ――」
と、ドアを閉じる仕草をする。
「断られたのか?」
「よく分からない。貸す気がないのかもしれない」
「貸す気がないのに、新聞広告など出すかい?」
「確かに――」
これには何かあるのだろうか。
変わったことを聞いたが、私にこの新聞広告を見せたのは、自分が体験したこともそうだが「行って見ろ」というのもあるのだろう。
「ダメ元で行ってみるか……」
と、私はその新聞広告を受け取った。
治療された新しい左足を引きずりながら、仮の住み処としているホテルを後にする。
私はこの街ノクティスに、治療のためにやってきた。
失われた左脚――膝から下――を取り戻すために。
ここには世界最先端の治療技術が出来る施設があったからだ。その大元の技術は戦争の兵器として作られたものではあるが、応用すれば失われた肉体をも取り戻せる。
私は隣国ルナ帝国との国境問題の戦争――とは周りが認めていないので、『事件』とされているが――で、左足を失った。それを回復できるのが、皮肉にも兵器の技術だ。
錬金術の行き過ぎた姿――
無論、おとぎ話の魔法のようにアッという間……とはならない。
私の選んだ生物学的な再生治療で、約3ヶ月。立って歩けるようになるまでに、更に3ヶ月を要した。
しかし、考えてみれば、この街で治療は、すでに大使館付武官の採用試験にかけられていたのかもしれない。
このノクティスは、東西南北へと鉄道の国際路線が混じり合う都市だ。自ずと世界中の情報も入ってくる。母国よりも国際情勢を把握できるだろう。つまり、情報収集……諜報活動も容易いというわけだ。
この街にはそういった職種の人間が闊歩している。大使館付武官など諜報活動を行うにはいい身分であろう。
石畳の歩道に杖を突きながら、新聞記事に書かれた住所にやってきた。
(ここか?)
3階建てのアパルトマン。通りには同じような出窓の付いた住宅が並んでいる。どれもこの10数年で建てられた建物だ。この街は先に話した鉄道路線の中継地として、近年急激に発展し、人口も増えている。同じ設計の建物が郊外へと増え続けているのだ。
このアパルトマンは通勤には問題ないであろう。中心部にも近い。そんなところが、周りの相場の4割引き。穴場ではあるが、何故、誰も借りないのか。
歩道から数段の階段を上がったところに、黒い玄関ドアがある。
真鍮製のドアノックを叩くと、
「何か御用で?」
30代といたところか、私より少し年上の男が顔を出した。
(この男が、例の貸し主?)
同僚を無言で追い返した男だ。パッとしない事務職といった感じだ。焦げ茶色の髪をポマードで固めているわりには、口髭は手入れされていない。ボサボサの少々下品なのばし方だ。
追い返されたオリバーの件もあり、一瞬、腹立たしく思ったが、すぐに冷静さを持って上着のポケットから、
「新聞広告を見たんだが――」
と、切れ端を見せながら男にいった。
「――お名前は?」
「ん? スミス。ジャン・スミスという」
そういうと、私の頭の先からつま先まで眺める。
私の身長は183センチを越えるぐらいだ。軍の中でも大柄であったことは間違いない。身長のことをいえば、目の前の男もそれぐらいあるであろう。
しばらく眺められていたが、ドアノブに力が入ったことを確認した。
(私も追い返されるのか?)
そう思ったが、男は急に和やかになると、
「スミスさん。ようこそ、どうぞ!」
と、私をアパルトマンに呆気なく引き入れたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます