【KAC20242】少子化対策専用バイオ端末F【内見】

あんどこいぢ

内見

 半地下のこの部屋の天井近くの窓ガラスにも、コロコロした雨滴が確認できた。外はきっと大雨──。生憎の日和だった。

 しかしそのことを多少面白がるかのように、先輩たちの一人がいった。


「ショウ子の新居の内見、そろそろ始まってる頃だよね?」


 応じる声も確かに面白がっている。

 そうした雰囲気のなか、すでに知れ渡ったプライバシーをあえて口にするということにより、〝晒しあげ〟が続けられていく。


「彼氏のあのフェムボットも、連れていくのかね?」

「多分ね。最新の物件じゃ1Rにも洗濯機置くみたいなスペースがあって、そこにバイオ端末の洗浄ユニット、置くんだってさ」

「へええ? ユニットバス、使わせないんだ。うちのネコちゃんだってトイレは一緒だったってのに──」

「お風呂は?」

「ネコちゃんお風呂、大っ嫌いでしょ? トイレみたいに勝手に入って、勝手にだしてっていうんじゃないから──」


 千葉第三都心市立大学旧文学部棟──。

 ゼロ年代末には自治会が占拠し、すでにサークル棟になっていたという。アングラな雰囲気を好むアクティビスト志向の文学部生たちにとって、半地下のこの部屋は割り合い優良物件だといえた。


 そしてかつての同志、今日は欠席している千葉三SF研副部長=服部祥子糾弾集会と化したこの現状に照らしてみた場合にも、ここは最良の物件だといえた。


 スチール製の椅子は壁際に積みあげられ、残された椅子がいびつな円を描いている。背凭れのうえに両腕を載せ、さらにそのうえに顎を載せている者たちが多い。

 男っぽい女たちだといえばなるほど確かにそうだといえるのだが、やっていることは案外、女っぽい。


 いや、男っぽさというのは案外女っぽいものなのかもしれない。

 いまなお祥子に憧れを抱く一年生、広瀬千早にはそんな風に思えるのだった。


 先輩たちのダラダラした会話が続いている。

 千早の椅子は先輩たちの輪から一歩退いた位置にあった。微かに雨音が聴こえている。


「カジノロイドってさ、やっぱ月のモン、あるんだよね?」

「そりゃそうだろ? ありゃナマ人工子宮なんだからさ。遺伝子レベルでの生殖機能のノックダウンは、キャンセルされてる」

「だからヘンになよなよしてんだよな。ある意味ぶりっ娘だよね?」

「そりゃ女を口説けなくなった男たちがそれでも子作りに邁進できるようにって設計思想なんだから、あり得ないくらい優しいんだろ」


 生殖機能を有するヒトクローン・バイオ端末の希望単身者への無料配布──。すでに半世紀間政権の座にい続ける与党の、その五十年間で最大の目玉政策だという。それらは導入時の担当大臣=加治球一の名からカジノロイドなどと揶揄されているのだが……。


「……でもさ、月のモンまであるっていうのに、バイオ端末用洗浄ユニットなんてモンで、対応できんのかね?」

「いやだからこそあいつらと一緒の湯になんて、浸かりたくないだろ?」


 そこで批判されているのは確かに女性固有の生理機能のはずなのだが、彼女たちだって公立の四大に通う才媛たちだ。その手のツッコミに対する反論は、すでに完璧にマニュアル化されている。

 前世紀六〇年代末以降の多様な社会的ムーブメントのスタイルにのっとり、すべてはヘーゲル批判という形で対応可能なのだ。


『女性固有の生理的機能なんて観念自体が、すでにして形而上学的モノに汚染されてしまった結果なんですよ。オマケにあなた方の仰りようでは、物質の側にもそれに対応したなんらかの対象があって、先の観念とその対象とが一致した結果が真理だってことになるわけでしょ? とはいえ女性固有の生理的機能なんてものは元々名前だけの存在なんですよ。ただ私個人のそうした機能があるのかもしれないし、あるいはあなたが女性なら、あなた個人のそうした機能があるのかもしれない。あるいはまたあのフェムボットたち一体一体のそうした機能があるのかもしれない。でもそうした個物を一括りにしてさらにそれに対応するモノを有しているからお前は女だ、あるいはフェムボットだといったりするのは、まさに観念の暴力といったようなものでしょう』


 誰だってフェムボットと一緒にされたくはないだろう。それは先輩たちの会話を少々冷めた気持ちで聴いている千早だって同じことだ。


 だが彼女はまだ、祥子先輩のことについては……。


 二週間ほど前だっただろうか? その日の四限目が休講になり、彼女は早目にこの部屋にきた。


 部屋の隅の椅子に、祥子が掛けていた。トイレで息んでいるような、やや思いつめたような感じだった。そして祥子は、千早がコンニチハと声をかけるまで、その姿勢のままだった。


『ああ、千早ちゃん……』

 思いつめたようなポーズに反し、その表情にはどこか呆けたような感じがあった。


 千早はどれかほかの椅子に座る機械を逸したような気持ちがした。


『どうかしたんですか? 先輩?』

『ああ、彼がね、あれを受け入れたのよ……』

『あれって? エッ?』

 ほぼ自動的に、そんな彼、どうして別れないんですかッ? という言葉が口を突いてでそうになった。


 しかし祥子は、未だ千早の背後を見るような焦点が定まらない眼つきで、続けた。

『それが確か、……先月末だったかな? 結論をいうとね、彼、私にまで優しくなっちゃって……』

『そんな……。先輩がいるのにそんなこと……。もうそれだけで優しいわけないじゃないですかッ』

『うん。いいたいことは解ってる。私だってあれの反対集会にはいったりしてたんだから……。でもいざ自分の彼のとこに彼女たちの一人がきてみると、彼とは、別れられなくて……。でもね、彼女、いったの……。私は少子化対策専用バイオ端末の何某です。私の主な機能はあの方の子の母親になることですが、私自身はあの方自身の世帯上のパートナーになることも、恋人になることも、勿論、母親になることもありません。また私たちには私たちの派遣先男性たちの性生活を支援することにより、間接的に、少子化対策に貢献する機能があります。たとえば私たちは私たちの派遣先男性たちの性行為に関し、それが女性たちの身体に危険を及ぼすようなそれである場合にはロボット工学三原則第一条、第二条、および第三条に基づき明確に中止を要求しますし、危険はともなわなくとも適切でない場合には、明確に変更、改善の要求をしますってね……。つまりハッキリこの下手クソが! っていうっていうのよ。アハハッ……』


 また派遣先個人のパートナーと認められる個人に関しては派遣先個人と同等にその意見を尊重し、たとえば、当該個人がセックスの手解きまでは認めるものの実際の挿入行為までは認めないといった場合には、派遣先個人がそれを望んだ場合でも当該個人のその発言のほうを尊重するということもいったのだそうだ。


 だからといって……。


 いまでも千早は祥子はそのパートナーと別れるべきだったと思っている。とはいえ自分の心だって、そうそう自由になるものではないということも分かっているのだった。

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