第三章

 仕事というのは一人で効率を極め飛ばしてやっていくよりも、周囲の人間をうまく頼り協力してやっていくことが大事なのだと思う。

 結局のところ人間一人で成せることなど限られているものだ。その点、うまく連携をとることでそれぞれがやるよりも何倍もの仕事量をこなせる事もある。

 上に立つ人間なら尚更それを理解してうまくやらなければならない。


 男の名前は高林和貴という。日本全国に支店を持つ不動産会社で働いていた。

 若くしてその一支店の店長になってしばらく経つが、まだまだ彼には野心があった。今は地方都市で働いているが、いずれは東京の本社で更に高い地位につきたいと考えていた。


 もちろん姑息なことをするわけではない。店の環境を整え、部下を育て、成績を上げる。幸い真っ当に評価をしてくれる上司を持っていたため、地道な努力が少しずつ花開いていた。


 そこで高林はいずれこの店を任せる人間を探していた。部下に二人なかなか優秀な森脇という男と船橋という男がいる。この二人のどちらかに任せることになるだろうと彼は予想していた。


 二人で足を引っ張り合うのでなく、良い影響を与え合っていると理想的だ。そう思い、様子を気にかけていた。


「おい、船橋。どうだ調子は」


「ああ、店長。管理物件の振り分けで森脇とちょっと会議してたんですけど。まあ何とかまとまりそうです」


 高林の考えで店の管理する物件はそれぞれの従業員に振り分けて管理させていた。基本的にその物件の扱いについては自由を与え、より良いアイデアを出して売り上げを伸ばせる者を探すためだ。


「そうか、お前ら二人はウチのエースだからな。しっかり頼む」


「ははは。ありがとうございます。あいつは

 発想力がズバ抜けてますからその辺見習わないとな俺も。負けてられませんからね」


「うん、ライバルの良いところはどんどん盗んで上になれるように努力していけ。ただし、衝突して邪魔し合うようにならないようにな」


「あ、その辺はご心配なく。結構飲みに行ったりするくらい仲良いんで俺たち。今日も金曜なんであいつの家で飲むんですよ。夜中まで騒いでも許されるのは田舎の家持ちの利点ですよね」


 自分にはそんなに遅くまで騒ぐ気力も友人もいつの間にか無くなってしまったなと思い、高林の胸に寂しさが隙間風のように通り抜けた。


 街はクリスマスを過ぎて年越しの雰囲気を膨らませている。店の前の道も、川沿いの柵も、街路樹や生垣も静かな大晦日に向けてそそくさとイルミネーションを潜めてしまっている。

 今日の我が家はいつもよりしんと静まり返っているかもしれないな、と高林は思った。




 二階建ての小さなアパートの敷地を示す石の壁の隙間に滑り込み、ブルブルと最後に一つ身震いをして軽自動車はその狭い駐車場に停まった。


「お疲れ様でした。こちらがコーポ笹白です。ご希望のお部屋は上の階の角部屋ですね。」


 森脇が先に車を降りる。素早く後部座席のドアに回り、開く。革靴の底が足元の石を擦り合わせ、ザリザリと音を鳴らしていた。


「ありがとうございます。少し走っただけに感じましたけどやはり山の方はこの街も田舎ですね」


「そうですね。自然が豊かで良い地域だと思います。お足元少々砂利が荒いのでお気を付けください」


 にこやかに案内をしながら、森脇は一つの可能性に内心冷や汗をかいていた。

 こいつの目的はこの辺鄙なアパートの内見などではなく、誰にも見られることのない場所で俺を仕留めることなのではないか、と。


「何だか良いですね。昔ながらのアパートって感じ」


 薄汚れたクリーム色の外壁、サビの目立つ柵で区切られているだけの外廊下、むき出しの階段。夢を追う若者の下積み時代、という言葉がよく似合う建物だった。


「こんなとこで人が亡くなった、いや殺されたかもしれないのか。雰囲気ありますね、森脇さん?」


 ジロリと芳之の目が森脇に向けられる。眼差しが森脇には小さな鳥の羽を引き裂こうとする猫のそれように感じられた。


「ははは……あれは事故ですよ。幽霊でも出そうな雰囲気があるのは同意しますけどね。さあいきましょう。こちらです」


 錆びた階段がカンカンと耳障りな音を立てる。ドアが近づくにつれ、森脇の緊張もまた頂点に近づいた。

 いよいよ苔色のドアの前に辿り着く。

 鍵を開けドアノブを回すとガタンッと建物に似つかわしくない頑丈そうな音が鳴ってドアが開く。中に潜む薄暗さが仄かに焦げ臭い臭いを伴って流れ出てきたように感じられた。


 間取りはよくあるワンルームで玄関を入ってすぐに短い廊下があり、右手にキッチンと洗濯機を置くスペースが備えられていた。

 シンクの反対側には風呂場とトイレ。そこまでを仕切るドアがあり、その奥が生活スペースだ。

 森脇は玄関入ってすぐのところにあるブレーカーをあげると廊下のドアを開き、


「どうぞご覧ください。当然ですが内装はやりかえてますんで新築同然ですよ」


 と言って芳之を案内した。

 六畳ほどのスペースには奥に申し訳程度のテレビ台と小さなテレビが置かれ、掃き出し窓にカーテンがついてある以外には清潔さを感じるほどに何もない部屋だった。


「天井が少し高めに作られていますので広く感じられるかと。家賃もお安いので生活費を抑えたい方には喜んでいただけると思います」


 芳之はきょろきょろと辺りを見回し、背負っていたリュックサックからカメラを取り出した。


「写真を撮っても?」


「もちろんどこでも撮っていただいて構いませんよ。と言ってもこの部屋くらいしか撮るところはありませんがね。妙な物が写り込むこともございません」


「それは何より。では失礼して」


 部屋の全体図や窓とそこからの景色(山の木々が迫って見えるだけではあるが)、テレビの大きさなどを撮影していく。

 五分ほど撮影して芳之は動きを止めた。


「……何だか焦げ臭いなあ。そんな気がしませんか?」


 森脇の背にまたも冷たい汗が垂れる。

 それは徐々に怒りに変わっていった。


「良い加減にしてくださいよ。そんなわけないでしょう。それとももう帰りますか?」


「いやいや、何だか臭います。前の住民が侵入者に気付いてあの世から戻ってきたのかも」


 森脇の横をスルリと抜けて廊下に出る。


「うーん……ここだ。ここからなんだか焦げ臭い死の匂いがする」


 この状況で廊下側に立たれるのはまずい、と咄嗟に声が出る。


「おい!何なんだあんた!死人愛好家か⁉︎」


 森脇が一瞬遅れて廊下に飛び出す。それと同時に芳之は風呂場のドアを勢いよく開けた。

 弾かれたように風呂場に向かった森脇の目に飛び込んできたのはニタリと不気味な笑いを浮かべた芳之の姿と、誰も暮らしていないアパートの空の狭い湯船に押し込められた、真っ黒く焼き尽くされて焦げ切った人間の死体だった。


「うわあああ!!」


 森脇は盛大に尻餅をついて飛び退く。

 脂汗がだらだらと流れるのがわかった。


「なんなんだ……!何なんだよ……!どうなってんだ!!!」


 森脇の絶叫に対して芳之は静かに返す。


「焼け焦げた死体は……こいつだけかな?」


 あまりにも招かれざる来訪者だった。

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