第43話 下手したら死にますよ?

 少し湿気た空気の中を自分でも分かるくらいの不機嫌顔で歩いていく。小雨が降っていたが折りたたみ傘を出すような気にはなれなかった。


(クソ……まだ背中が痺れてやがる……!)

 

 朝から散々な目に遭った。元父親による折檻ショーは週に何度かある事ではあるが、今朝は特に背中が痺れる。殴り返してやったし回し蹴りも叩き込んでやったが、俺の気は一向に晴れる事はなかった。ああ腹が立つ。

 俺は腹立ち紛れに早足になり、舌打ちをしながら通学路を歩いた。自分でも解っている。こういう態度を外に出すから友人と呼べるような存在がほとんど居ないのだ。

 近所で俺の家は『変な宗教をやっている家』として有名だった。なぜなら俺の家には大量に人間が出入りし、勝手に居住し、街中で行われる勧誘活動の拠点なんかにまでなっているからだ。クソが。

 中学時代、同級生の大半が俺を腫れ物のように扱い、関わりを避けた。当たり前だ。誰だってそんなヤバい家の奴とは関わりたく無い。親しくなれそうだった同級生の家にクソ宗教が勧誘に行ったおかげで一瞬で疎遠になりました、なんてのは中一のときだけで軽く五回はあった。

 そんなんだからもう諦めた。あの家の住人が解散でもしない限り、俺に友人は一生できない。一生友達できなくてもいいからさっさと解散しろバーカ。

 朝から最高レベルでイラついている俺の背中から、最近よく聞く声が追いかけてきた。


「神田先輩〜! おっはようございびゃあああぁあぁ」


 元気な悲鳴が通学路に響いた。なんなんだアイツは……。振り返ると最近何故だかやたらと懐いてくる後輩、上野恭介うえのきょうすけが半泣きで走ってくる。


「うおああああ先輩大丈夫ですかあああ!? 背中、背中から血ィ出てますよお!?」

「はぁ!? マジで!?」


 マジで!?

 どの程度か確認しようにも背中だから見えない。そういえばさっき靴べらで叩かれたとき床に血が飛んでいるのを見た気がする。あのクソ野郎が……!!

 息を切らせて追いついてきた上野は心の底から心配そうな顔をしている。


「もももしかしてとうとう抗争帰りですかあ? どこの組です? わぶッ」


 アホの上野に一発ビンタをお見舞いしてやり、「親父と喧嘩になっただけだ」とだけ答えた。まあ、嘘は言っていない。

 上野は「あら~」と言ってからニコニコと笑う。コイツは初対面以降、何故だかいつ会っても話してもご機嫌で人懐こい笑みを浮かべながら話す。家にいるクソの消しゴムハンコスマイル共に見習わせたいような能天気笑顔だ。おそらくクアッカワラビーの親戚かなんかに違いない。


「先輩もそんなことあるんですねぇ。お父さん早めに退院できるといいですね! ぶまッ」


 何故か俺が父親を病院送りにしたことになっているので無言でもう一発ビンタをお見舞いし、俺はまた通学路を歩き始めた。

 血が付いているなら急いで処理しないといけない。時間が経つ程取れなくなると聞いたことがある。

 上野はちょろちょろと俺の後ろからついてきた。


「先輩先輩! 学校着いたら保健室いきましょ! 汚れたって言えばワイシャツ貸してもらえますよ! 先生優しいから返すのはいつでも良いって言ってくれるんですよ〜」


 へえ、知らなかった。保健室なんて入学してから一度も入ったことがないかもしれない。下手したら場所すらうろ覚えだ。

 

「へぇ……じゃあ行ってみるかな。なんでお前そんな事知ってんだよ。入学してまだ二か月のくせに」


 上野は相変わらずにこにこ笑いながらえへへと頭を掻いた。


「秋葉部長が教えてくれたんです。オカ部の案件調査で水道を調べていたら真っ赤なサビ水を浴びてしまいまして……へへ」


 出たなオカ部。

 入って二ヶ月でそんなバカバカしい目に遭う部活の正式名称はオカルト同好会部という。怪奇現象に関する匿名の投書等を受け付けて調査したりしている物好きな部活だ。

 オカルト同好会部の現部長である秋葉千晴あきばちはる先輩は校内トップの成績を誇る秀才だ。上野はともかく、秋葉先輩がなんでそんな怪しげな部活に所属しているのかよくわからない。


(それにしても血か……。今日はとことんツイてねぇな……)


 ワイシャツの被害状況が気になるなか、俺と上野は校門にたどり着いた。


 

 

 学校に着いて校舎内に入ると、上野が「こっちこっち〜こっちです〜」と保健室への道のりを先導した。森で妖怪にでも会った気分だ。


「先生〜、おはようございまーす! ワイシャツ貸してくださーい!! 汚しちゃいましたぁー!」


 朝から元気ハツラツな上野を見て、保健室の先生も「あらあら」と笑いながらワイシャツの貸与を快諾してくれた。得な性格だな。

 職員室に用があるという先生を見送った上野は、衛生用品の入った棚からガーゼとキズ薬を勝手に持ち出してきて駆け寄ってくる。


「はいはい先輩! 貼りますよ! 早く早く!」

「急かすなよ……。いっってぇ! 上野お前、消毒かけすぎ!!」


 上野は俺の文句を聞いても知らん顔で適当に返事をし、背中にガーゼを貼り付けた。前から思っていたが、こいつは実は先輩に対して案外遠慮がない。

 俺は背中のヒリヒリした痛みに耐えながら脱いだワイシャツのシミを見た。結構大きめの赤黒いシミが目立つ。全部あの野良犬クソ野郎のせいだ。


(ワイシャツ一着ダメにしちまった……。じいちゃんとばあちゃんが買ってくれたのに……。こんなシミ自力で消せんのか……?)


 俺がワイシャツを見て凹んでいると後ろから「先輩」と声をかけられる。振り返ると上野がこちらを見ていた。

 珍しいことに真顔だ。目にもいつもの穏やかさがなく、むしろ鋭い目つきとすら感じた。そして、いつもご機嫌で能天気な上野にしてはえらく静かな声だった。


 ――もしかして怒ってんのか?コイツ……。


 俺が今まで見たことのない雰囲気に動揺していると、上野は静かに口を開いた。


「先輩。傷を見るまで黙っていましたが、相手がいくら成人男性でもたまたま起きた殴り合いではそんな血の出方はしません」


 上野の顔は相変わらず真顔のまま、静かに俺の方を指差した。

 

「先輩の背中、皮がズルっといっちゃってます。超痛そうです。見たところ顔も一発殴られてます。しかもいずれも拳ではありませんよね? 顔は腫れ痕が長方形ですし、背中はどう考えても拳で殴って出来るキズじゃないです」


「……なんかに取り憑かれたのか上野……?」


 驚きすぎてこの言葉しか出てこなかった。

 こいつってこんな感じだったっけ? なんかもっとお気楽なバカっぽい奴じゃなかったか?

 動揺しきった俺が絞り出した回答が気に入らなかったらしい上野は眉を顰めてこちらを軽く睨んできた。


「失礼ですね違います。こんなの誰が見たって解る不自然さですよ。神田先輩。お家の事情が大変なのかもしれませんが、その傷はもうとっくに暴行の範囲です。警察には相談しましたか?」


 まあ、そうなるよな。

 俺だってこんなのは異常だって解っている。

 俺ははぐらかそうとするのをやめて上野の質問に答えた。


「……したよ。でも警察はロクに相手してくれねえよ。小学生とかならまだ取り合ってくれたかもしれねえが中坊のときだったからな。何言ったって反抗期で親とケンカになって行き過ぎたくらいにしか思われなかった」


 近所の交番に駆け込んだときのことを思い出すと胃が痛くなる。父親のフリをした何かが警察官に頭を下げていて、当の警察官は俺の方を見て、目に見えて面倒くさそうな顔をしていた。

 物分かりの悪いガキである俺が折れないから他の人間に迷惑がかかっているという当てつけがましい雰囲気は『警察なら助けてくれるだろう』と期待していた俺の心を折るには十分な材料だった。


「中学生……そんな前から……だったんですね。なんか様子からして誰にも相談してなさそうだったから保健の先生にも黙っておきましたが、そのままじゃ先輩下手したら死にますよ?」


 初対面で上野に投げかけた台詞が二か月経って俺の方に帰ってきた。

 俺は正直、上野を侮っていた。

 上野相手なら流血してるのなんかいくらでもはぐらかせるだろうとたかを括っていたのでここまで理詰めで来られると思わなかった。しかも遠慮がないのが影響してか、普通の人間が踏み込むの躊躇する領域まで平気で踏み込んでくる。

 上野は黙っている俺をずっと見ていたが、やがて口を開いた。


「先輩、多分ですけどただの暴力的な親御さんってだけじゃないでしょ? よかったら僕にお話してくれませんか?」


 上野は俺を本気で心配しているようだった。そしてやはり何かに対して怒っているようだった。


「お前に何話すってんだよ。俺が親父に殴られた話なんか聞いたってどうしようもねえだろ」


「確かに僕に話したって何も変わらないかもしれないです。何もできないかもしれないですが、僕にできることがあるならなんでもしたいんです!」

「できることなんかねぇよ! お前になんか出来るんだったら俺一人でもなんとかしてる!」


 ついデカい声を出してしまった。ここまで踏み込まれたのは初めてだったから驚いたのかもしれない。それか家で腹を立てながら話の通じないケダモノをやり過ごすより難しい事が久しぶりに起きたから怖かったのかもしれない。

 俺のデカい声にも怯まず上野は真剣な表情で続けた。


「僕が今楽しく過ごせているのは先輩が危険を顧みず助けてくれたからです。だから先輩にも楽しく過ごせるようになって欲しいんです。もう夢に見るような後悔をしたくないんです……だから……!」


 上野は必死に俺を説得しようとしてくる。

 こんなに真剣な上野は初めて見た。こいつは自分の命に危険が及んでいるときすらここまで必死ではなかったような気がする。

 こいつは引っ越してきたばかりだし、学年も下だから俺んちが近所で有名な『変な宗教やってる家』だって知らないのだろう。もしかしたら知恵を合わせれば俺の生活をどうにか打開できるかもしれないと思っているのかもしれない。本気で心配してくれるのはありがたいがおそらくお互い嫌な気分になって終わるだけだ。できればやめた方が良い。

 ただ、このまま言い合っていてもおそらく埒が開かないのでここは一旦折れることにしよう。


「そんなに言うならわかったよ。今度会ったときにでも話してやる。ただ、あんま気持ちの良い話じゃねえぞ」


 上野はパッと表情を明るくしてデカい声で「ありがとうございます!」と言った。何が嬉しいのかよくわからない。

 荷物をまとめて保健室からでる。

 互いの教室に向かう別れ際、上野が「あっそうだ」っと言って満面の笑みで振り返った。


「神田先輩、大丈夫です! ご家族の頭上から石をぶつけて殺したりはしませんから安心してお話してくださいね!」


「……笑えねえ冗談だな……」


 上野に冗談を言っている雰囲気はなかったが、俺は深く考えないようにして足早に教室へ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る