第39話 辞めちゃうの?
あの日から、上野が顔色を窺ってきて鬱陶しい。様子がおかしいと心配しているのか、オレを見かけては挨拶してきて、頻繁に雑談を振ってくる。
だから、あいつがフィールドワークでいない今日は部活が随分気楽だった。
視聴覚室で、オレは何をするでもなく座っている。
(報告書は、もう書き終わったしな……)
ショッピングモールの案件は、見事念願の報告書作成案件になった。
きちんと作った報告書は無事に受理され、今年の会報に掲載される。
(……退部届でも書くか)
もう、オレには案件調査は無理だ。足が震えるし、やりたいと思えない。
(情けないな)
退部届を貰いに行った時、教師にも心配された。早くないかとか、もうちょっと頑張ってみたらどうだとか色々言われたが、念のため持っておくだけですからと言って無理やり貰ってきた。もしかしたらもう部長あたりには連絡されているかもしれないが、まあ、辞めるのだしどうでもいいだろう。
名前を書いて、クラスを書いて、日付を書く寸前で、オレの頭上に影がさす。
「あら、辞めちゃうの?」
目の前に立っていたのは、三年の馬場先輩だ。
先輩は自然な動作でオレの向かいに座り、視線を合わせてくる。無表情に近いが少し笑っているような、穏やかな表情が夕日に照らされていた。
「もったいない。まだ一ヶ月も過ごしてないわ。我が部はおかげさまで会報がバカスカ売れてるから、新入生の一ヶ月目部費無料キャンペーン中よ。無料期間終了ギリギリまでいて見れば?」
(そんなサブスクの無料期間みたいな……)
馬場先輩の目は大きくて丸い。まるでネコみたいだ。そのくりくりした目で覗き込まれると、少しドキッとしてしまう。
「ね、目黒。案件調査はね、やらなくていいの」
「……っ!」
顔が熱くなったと思ったら、体がそのまま凍りついてしまった。
まるで見透かされているみたいだ。どこまで? オレの考えが筒抜けになっているみたいで、正直怖い。
多分、怖いの半分以上は、情けないから見ないでほしいという見栄だ。
こんなに無様なのに、オレはいまだに虚栄心があって、みっともなく縋り付いている。
「千晴が初日に言ってたでしょ? やらなくていいの、あんな危ないこと。私だってやりたくないからやらないわ。死にたくないもの」
オレ以外にも、この部活に死にたくない人がいたらしい。
ちょっと感動したけど、退部届を見られてしまった手前、はいそうですかと納得するのも難しい。
そもそも、ギラギラしていた頃の野望をオレはまだ諦めきれていないのだ。諦めたけど、まだ惜しいから、あの欲望のすぐ近くにいるのが苦しいのだ。
死にたくない人間はきっと、この部活で成功できない。成功できなきゃ苦しいだけだから、いっそ辞めてしまいたい。
「で、でも……この部活の活動は、案件調査じゃないですか……! 案件調査しないで何をすればいいんですか……!」
馬場先輩が眉を顰めた。でも、不機嫌そうな表情も可愛いなと、場違いに思ってしまう。
「それも千晴が初日に言ったわ。あなた、耳はついているようだけど、頭にはおからでも入ってるのかしら?」
可愛さは吹っ飛んで消えた。
馬場先輩は続ける。
「オカルト同好会部の主な活動は、オカルトについて同好の士と語り合い、趣味を充実させ精神を豊かにすること、でしょ。案件調査は活動の一部よ。他の活動をしている部員もいるわ。貴方は視力がよろしくないのか、見えてないようだけど」
この人は可愛い顔をしてひどいことをいう。クールな表情と口調だから、言われた直後はあまり傷つかないけど、言葉の意味を理解するとじわじわ傷つく。
「趣味が充実して健康な精神になるなら極端な話、友人と喋ってるだけでもいいのよ。この部活は“同好会”なのよ。読んで字の如しよ」
同好会。部員が多いから部活だけど、オカ部は頑なに同好会と名乗る。そっちの方が“らしい”という冗談半分の理由は説明されたが、それ以外にも理由があったのだろうか。それとも、今馬場先輩が考えた方便なのか。
でも単純で精神的に迷っているオレは、うっかり馬場先輩に尋ねていた。
「他の活動って……何があるんでしょう」
「そうね。例えば二年の田町ちゃんと浜松ちゃんは心霊写真を作ってる。昔の技法を試したり、今できる合成技術を駆使していてなかなか面白いわ。あと、創作怪談を集めて本を作成してるグループもいるし、私は地元の山に残る妖怪の伝説や伝承を調べてるの。最近やっと纏まってきて、今年の文化祭で会報の売り上げを抜く予定よ」
そんなムチャな。
口から出そうになった声はなんとか押し込めて、馬場先輩の様子を伺う。先輩は少し悔しそうな表情で拳を握りしめていた。
「今年は千晴があまり調査に出ないはずだからチャンスなのよ……! ただあの一年の上野が邪魔ね……! 闇討ちするか……!」
もうオレの存在を忘れて自分の世界に入っている。オレは何も言えず、先輩を見ているしかできなかった。
そんなオレの視線に気付いたのか、先輩は軽く咳払いを押しておれに向き直る。ちょっと照れくさそうだった。
「とにかく! 貴方気付いてなさそうだけど、実は案件調査してる部員の方が少ないのよ。あんな危ないことやりたい人の方が少ないの! フィールドワーク行く人がみんな案件調査だと思ったら大間違いなんだから!」
「そう……なんですね……」
どうやらオレは本当に視野が狭くなっていたらしい。
恥ずかしいなと思うと同時に、それなら、まだ続けてみたいな、と少し思った。ただ……でも……
「いきなり案件調査から降りたら負けたみたいだ、なんて言ったら歯が折れるまで引っ叩くから」
「えっ」
どうやら馬場先輩にはオレの思考回路はお見通しみたいで、大きな目がギロ、とオレを睨んでくる。
オレは慌てて首を横に振った。
「い、言わないです言わないです!」
本当に、それしか選択肢がない。それに今気づいたけど、この分だと馬場先輩は案件調査をしていない。そんな人の前で、案件調査をやめたら負けなんていうのは失礼だ。
馬場先輩はしばらくオレを睨んでいたけど、納得したみたいでふわりと視線を窓に移した。日差しはどんどん赤くなっていって、視聴覚室はオレンジ色に染まっている。
「私も自分を千晴や淳史と比べてしまっていた時期があったけどね、あいつらやっぱりちょっとおかしいの。特に千晴。あいつらとは幼馴染だけど、バカ淳史はともかく千晴が死ぬことを怖がるイメージがどうしてもできない。そのうち、喜んで怪談の一部にでもなりそう。怪異も良い迷惑よ」
そこまで言われる秋葉先輩は一体どんな所業をしてきたんだろうか。
オレの脳裏には上野が浮かんだ。ああいうタイプか、あれよりもっと、死の恐怖がないタイプ……あまり想像できない。多分一生できないだろう。
馬場先輩は続ける。
「随分上野をライバル視してるみたいだけど、貴方は彼みたいにはなれないわ。そして、ならなくていい。死にたくないと思うのは生物として当然。恥じることではないの。貴方もこれから先、後輩ができて貴方みたいな悩み方をしてたら助けてあげて。普通でも良いんだよって言ってあげてほしいの」
普通でもいい。
それは、この部活に入った人間にとって大切な言葉だと思う。
死ぬ恐怖よりも好奇心を優先する人間が近くにいたら、どうしたって自分と比べて、苦しむ人間がいるだろう。
今までもこの部活は、そうやってバランスをとってきたのかもしれない。
多分オレは部長にはなれない。それは、秋葉部長や上野みたいに、好奇心を何より優先する人間のポジションだ。
だけど、この部活で、オレにもできることがあるなら。オレみたいな奴に手を差し伸べられる先輩になれるなら。
オレは笑った。馬場先輩も笑った。
「はい。ありがとうございます! 馬場先輩……!」
もう、退部届は必要ない。
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