第23話 そこに、何かあるのか?

 ある日のことだ。二年に上がってすぐの頃だったかな。雑魚をいくつか自力で祓って、ちょっと自信がついてきた時期だった。


 歩道の幽霊が、ふたりに増えてたんだ。


 ひとりは相変わらず植え込みを指さしていて、もうひとりは茂みの横に佇んで、指さされたところを見ている。

 俺はその場に立ち止まって、しばらく考えた。

 もしかしたら。

 もしかしたら、ただ見てほしいものがあるだけなのかもしれない。

 邪なことばかりじゃなくて、本当に未練があって、消えるに消えられなくて助けを求めているのかもしれない。

 俺がそこを見て何かを見つけてやれば、この悲しげな姿の幽霊は消えられるのかもしれない。

 それは、幽霊が見える俺にしかできないことじゃないのか?

 無理に祓わなくても、争わなくても、それなら円満に消えてくれるかもしれない。


「……そこに、何かあるのか?」


 周囲に誰もいないことを確認して、小さく、小さく問いかける。幽霊は何も答えず、ただ茂みを指さして、ただ茂みを覗き込んでいる。

 仕方がないので幽霊のすぐ横まで歩み寄った。それでも茂みの中は見えない。

 知らずにカバンの持ち手を強く握りしめていた。黒塗りの幽霊が特にアクションを起こさないと確認し、ぐっと身を乗り出した。前屈みになって茂みの中を覗き込む。


 何があるんだ? どこにある?


 警戒心が足りなかったと思う。無防備だった。幽霊に、自分が“見える”人間だと宣言した挙句、背中を見せた。

 だから当然の結果だった。


「うわっ⁉︎」

 

 頭を上から押さえつけられ、茂みの中に頭を突っ込むことになったのだ。咄嗟に手をつきはしたが、マズい状況なのは変わりない。


「ぐっ……ぅう……!」


 茂みの中には、木材があった。大きめの釘が飛び出していて、俺の目の前に尖った先端がある。まだ錆びていない綺麗な釘なのに、先のあたりが赤黒くなっていた。幽霊の手は俺の頭を押さえつけていて、このままでは目を貫かれることは確実だ。


「くっ、くそっ……! 離せ、やめろ!」


 叫んで暴れても、元々不利な体勢だったのだ。容易に抜け出されるわけがない。その上、さっきまで一本だった幽霊の腕は四本に増えていて、全ての腕が渾身の力で俺の頭を押さえ込んでくる。


「くっ……! うっ、わぁあぁっ!」


 赤黒く染まった切先が近づいてきていた。全身から冷や汗が吹き出してしまう。暴れ方を間違えるだけで目が傷ついてしまいそうな至近距離。

 長い釘だから、目に突き刺さったら死ぬかもしれない。そんな話を聞いたことがある。

 そして、絶体絶命の状況で、俺は思った。


 ――だから、増えたのだ。


 死んだから。

 俺以外に、この幽霊が見える奴がいて、覗いて、死んだのだ。だから増えた。

 そしてこいつらは二人とも、俺を同じ場所に引き摺り込もうとしている。

 なんて自分勝手な連中だ。でも本気だ。もうすでにひとり殺している。そしてその被害者も俺を殺すのに加担しているのだ。


「はなせっ! 離せクソ野郎! この野郎っ……! 死んでるくせにっ!」


 奴らは本気だ。だからこのままでは、本当に殺されてしまう。俺も必死にならないと、本気にならないと、死んでしまう。


「畜生がぁっ!」

 

 強く目を瞑って、必死に頭を振る。下手に腕や足を使ったら、体勢を崩して一気に釘を刺されてしまうかもしれなかったからだ。

 ただ、暴れるのにだって限度がある。相手は二人だし、上から押さえ込むのは体重も利用できるから有利だ。あいつらに体重があるかどうかはわからないが、力の入らない体制で重力さえも振り切らなければいけない俺は明らかに不利だった。

 舐めたマネしやがって。俺が反抗できないとでも思ってやがんのか。後悔させてやる。殺してやる。消してやる。今ここで、絶対に地獄に堕としてやる!


「このっ……! ウゼェんだよ根暗ゲロがぁっ!」


 手で木材を払いのけ、顔から遠ざける。そのままの勢いで地面に転がると、腕や足に小さい痛みが走った。細かい擦り傷ができて、その日は風呂に入ると全身が痛かったのを覚えている。

 茂みの前で動きを止めた二匹に足払いをかけてから立ち上がり、ぶん殴ってやった。トカゲ野郎やクソ腕寄生虫と比べるのすら烏滸がましい雑魚どもだ。俺はその頃もう多少の稽古はつけてもらってたから、俺が殴りつけるだけでそいつらは消えちまった。

 失敗していたら、俺は三人目になっていただろう。反省して、雑魚でも甘く見るもんじゃないなと思って、自戒も込めてセンセイに事情を説明した。そうしたらセンセイが、「気になるからちょっと調べてみる」って言ってな。一応祓いましたよって言ったんだけど、自分の稽古つけた弟子の足元を掬えるような雑魚が気になるって言ってくれて――とにかく、その道はしばらく通るなと言われた。

 返答が来たのは一週間後だ。


『あの歩道で死んだ奴はいないよ』


 珍しく電話だった。大抵の連絡はLINEで済ますのに、珍しいと思ったもんだ。

 

「え? でも、幽霊が……」

『そうだね。今も幽霊がいて、人を殺そうとしてるのは間違いない』

「今も? 待ってください、俺が祓ったのに、どうして」


 しばらく沈黙があった。もしかして俺が失敗したのかと思ったけど、そうじゃない。そういう時センセイはもったいつけたりしない。だからもっと違う事態が起こったんだとわかった。

 センセイの、張り詰めたようなうんざりしたような声を、俺は一生忘れないだろう。

 

なんだよ』

「吹き溜まり……ですか?」

『そう。どこかで死んで、現世に留まってる奴の吹き溜まり。死因も死に場所も別々の連中が、同じ未練を縁にあそこに集まってる。たまにあるんだよ、そういう場所が』

「同じ、未練というのは……」

『生者への嫉妬』


 だから、引き摺り込まれないように気をつけな。とセンセイは言った。アンタは見えるから、アイツらにしたら八つ当たりのターゲットとして理想的だと。祓うにしてもキリがないから、近寄らないのが最適だとも言われた。

 以降、その道は使っていない。

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