第2話 祓い給え清め給え

「さョ終ナらーサよォ無ラー」


 スポットライトさながら、ごくごく狭い範囲を照らす青白い街灯の下。

 キリンみたいに首の長い女が薄ら笑いを浮かべながらこっちに向かって手を振っている。

 青い白い肌が、青いLEDの光を浴びて余計に青白く見えて薄気味悪かった。

 

 「祓い給え清め給え」

 「鎖ッ」

 

 ので、蹴る。

 怠いので手はポケットに突っ込んだままだ。踏みつけるようにして奴の体を地面に押しつける。

 


「ササササササョ無無無」


 青白くてガリガリの手が俺に向かって伸びてくるが、もう一度蹴っ飛ばしてやると大人しくなった。

 女が黒板を引っ掻いたような声を上げる。


「終終終終ォォオォ」


「はいはい、祓清祓清」


 ゴミでも踏みつけるみたいに靴底でグリグリ踏みつけると跡形もなく消えた。綺麗になったんじゃないでしょうか。

 こういう些細な汚れから治安が悪化するんだと言う。掃除できる所は掃除しておかなければ、汚くしても良いと思う奴が寄ってくる。割れ窓理論だな。

 俺に掃除できるゴミはごく一部だが、だからこそ手近な所は掃除できるうちにしておかないとな。汚れが大きくなるとな、専門業者に高い金払って頼まないといけなくなるから。

 俺みたいな奴にしか見えないゴミではあるが、人体への影響は見えない人間にもあるだろう。なんてったって幽霊だから。祟りとか障りとかは、雑魚ゴミでもいっちょ前にやってくる。

 

 そうだ、幽霊なんてゴミだ。マトモな奴は死んだらとっととこの世から離れる。しがみ付いている奴にろくな奴はいない。例外はいない。いないと思ってないとこっちが殺される。

 子供の頃には怖くて仕方がなかったそれを、俺は今や憎んですらいた。理由は何度も殺されかけたからだ。今は対処法を教わって、暮らしていけているようになった。日常生活を送る上では不自由していない。本格的に対処法を教わるのは高校卒業してからということでお預けになっていた。これ以上は生業にする為の方法だから、就職出来る年齢になるまではダメだと言われたのだ。

 俺にこの手の事を教えてくれる『センセイ』とは今でも頻繁に連絡を取り合っていて、困ったこともあれば相談もする。仕事の都合で地元を離れているから会ったりはあまりできないけれど、頼りになる人だ。高校を卒業したら弟子入りする予定になっている。

 

 それにしても日が落ちると流石に多いな。なんでああいうのは夜になると活発になるんだろうか。所詮見習いでしかない俺では祓えないものも多い。いや、祓えないもののほうが多い。

 四月なんて午後六時半過ぎはほぼ夜だ。もうすぐ七時になろうとしている。幽霊が見えるような人間が出歩いていて良い時間帯じゃない。俺は中途半端に祓えるから、弱い奴は逃げてくけど、強い奴は逆にしつこく絡んできたりする。ヤンキーと同じだな。ゴミでヤンキーなんて最悪だ。存在してる意味なくないか? まとめて消えればいいのに。

 話が逸れた。

 とにかく俺は、常識に従えば極力夜の外出を控えるべきなのだ。しかしそんなリスクヘッジよりも「家に帰りたくない」という思春期特有のセンシティブな衝動を選んだ。高校二年にもなれば寄り道する場所には事欠かないし、周囲もゲーセンに入り浸っている高校生を咎めたりなんかしない。

 だから俺は毎日好きでもないゲームセンターで爆音を聞きながら帰宅の時間をギリギリまで遅らせている。金がないから夕食を外で済ますことまではできないし、帰宅中は毎日薄気味悪い幽霊を見るハメになるけれど。不愉快だから消せる奴は消している。ボランティアで清掃活動をしています。就職、進学に有利だな。


「ん……?」


 家に帰る途中のT字路で、男が奇行をしていた。真正面に見えるカーブミラーをベタベタ触り、地図と見比べてはしゃがんだり立ったりと忙しい。一瞬幽霊かと思ったが、どうにもそういう雰囲気ではない。というか俺と同じ高校の制服を着ていた。何考えてんだ。学校の看板背負って奇行をするな。俺がせっかく学校の看板背負ってボランティア清掃してるのにプラマイゼロになるだろ。注意したほうがいいよな。

 なるべく気配を殺して近づいていく。そして気づきたくないことに気づいてしまった。


 知り合いだ。


 こいつ俺の知り合いだ。


 同じ高校の後輩、上野恭介うえのきょうすけ。オカルト同好会という部活に所属している奴だ。部活なので正式名称は「オカルト同好会部」というわけのわからないものになっている。なんでもオカルトなら同好会の方がそれらしいという理由らしい。幽霊が見える奴はいないらしいんだが、オカルトとか幽霊とかが好きな奴らだ。なんで? あいつらゴミばっかりだよ?

 目の前で不審な行為をする人物が顔見知りだったショックで俺の動きが一瞬止まる。と、同時に、上野がこちらを振り向いて能天気な声を上げた。


「あー! 神田先輩じゃないですかぁー!」


 嫌な予感がする。ニヤニヤ笑うやつは幽霊でも人間でもろくなもんじゃないと相場が決まっている。おおかた幽霊が見える人間の話が聞きたいとかそういうのだろう。こいつには俺の幽霊が見える体質がバレている。上野だけじゃない。オカルト同好会の奴ら全員にだ。上野がしゃべった。守秘義務とかプライバシーとかが一切考慮されていない。祓い屋見習いみないな状態なのは口止めしたんだが、幽霊が見えることは口止めしなかったからな。普通そっちも黙っててくれるもんじゃないか? なんなの? バカなの?


「どうしたバカ上野。ここに幽霊の気配なんてないぞ」

「息を吸うように罵倒してくる! そんなわけないですよ幽霊いるはずなんですよ!」

「いないもんはいない。こんな時間まで何してるんだ。とっとと帰れ」

「先生みたいなこという……。ちゃんと部活の調べ物ですよぉー……このカーブミラーに幽霊というか妖怪というか、怪異が映るらしいんです!」

「ふーん」

「あっ! なんですかその興味なさそうな返事! 本当なんですよ? もう似通った内容の投書が二通も来てるんです。噂も経ち始めてますし、部長が是が非でもゲットしたい! って言ってるんですよ〜! 今年の会報の目玉になる予定なんです! 今年も売り上げ記録更新待ったなしですよ!」


 うちの学校のオカルト同好会部はかつて有名なホラー映画監督やら怪奇小説作家やらが所属していたらしく、一部界隈で有名になっている。オカルト名門校なんて呼ばれることもあり、上野も部活目当てで入学してきたひとりだ。こいつらが文化祭で販売する会報はかなり人気がある。オカルト同好会部の部費はかなりの面、この売り上げで賄われているらしい。


「午後六時四十五分にここのカーブミラーを覗くと、『何か』が映るんです」

「聞いてないぞ」

「見えるものは千差万別、自転車に乗った手の長いお婆さんとか、河童とか、頭の長いお坊さんとか、とにかく、それまで確かに『いなかったもの』がカーブミラーに映って、目が合うと追いかけてくるんです」

「知りたくないぞ」

「追いつかれたら良くないことが起こるらしんですが、死ぬとか一生付き纏われるとか、気が狂うとか、そこは判然としませんね」

「話を聞け」

「でも先輩がいれば怖いお化けが出てきても安心ですね! やったぁ!」

「やったぁ! じゃねぇよ。俺が祓えるのは雑魚だけだって話しただろ。逃げる事のほうが多いぞ」

「で、そろそろ六時四十五分なので、確認しましょう。おばけいそうですか?」

「聞けよ。命に関わる重要な話だったぞ。あと幽霊はいない」

「そんなはずないですよ! 幽霊いますよ!」

「もう俺に聞く意味ないだろそれ」


 スマホを確認すると、ちょうど六時四十五分だった。上野はカーブミラーを覗き込んでいる。角度をかえ立ち位置をかえている様子を見ると、何も映ってはいないのだろう。


「ほらいないだろうが」

「えーそんなバカな……」

「自己紹介か?」

「言葉のカッターナイフを挨拶みたいに投げてくる……」


 時計は四十六分になった。俺も何気なくカーブミラーを見上げる。何も映っていない。上野はまだ諦めきれないらしく、マーキングする場所を探す犬のようにカーブミラーの周りをくるくると回り始めた。


「ペットボトルは持ってきてるんだろうな。用が済んだらちゃんと水をかけろよ」

「それ絶対お清めって意味じゃないですよね!? 僕の家犬飼ってるからわかるんですからね!?」


 時計が六時五十分を示した。


「五分オーバーだ。もうないだろ、帰るぞ」

「えー空振りかぁ……」


 オカルト同好会は有名だから、イタズラやガセの投書も毎年それなりの数になるらしい。今回もそうだったのだろう。誰かが別人を装って二回投書したという可能性だってある。

 上野は明らかに肩を落としてカーブミラーに背を向けた。家に帰る前に、上野をあいつの家に送り届けた方がいいかもしれない。やることがあれば家に帰るタイミングを遅らせることができる。

 

 けれど、俺は動けなかった。

 

 ぞわりと背筋に悪寒が走る。全身に鳥肌が立って、鼻の奥に異臭が突き刺さる。

 動物園の、糞尿が混ざったような、生き物の籠った臭い。いや、それに血の、鉄の臭いが混ざっているような気がする。不快な臭気。

 出所は――


「あ」


 上野も異変を察知したらしく、間抜けな声を上げた。

 俺と上野が同時にカーブミラーを見上げる。

 闇の中で路地の奥を映すはずの鏡は真っ黒に塗りつぶされていた。

 いや、塗りつぶされていたわけではない。

 

 


「っ……!」


 息が詰まる。異臭と、目に映る異形と、押しつぶされそうな生暖かくて重い空気。上野も俺も動けない。

 横に引き伸ばされた人間の顔は、正しくカーブミラーに映る像そのものだ。見ていると生理的嫌悪感を誘発されるものの、それ自体は問題ではない。

 問題は、それがカーブミラーいっぱいに映し出されていることだ。

 それだけ、デカいってことか? あの引き伸ばされた気色悪い顔面がカーブミラーのせいだったとしても、大きさは現実のものだろう。

 血と、動物の生臭さの混ざった臭気が強くなる。獲物を食い散らかした獣の気配。

 人の形をしているが、これは人間じゃない。幽霊でもない。もっと原始的なものだ。それこそ獣に近い、存在自体が他者を害するもの。死んでなお現世にしがみ付いて、生きてる存在にかまってもらいたいだけの雑魚とは一線を画すもの。

 引き伸ばされて歪んだ目玉が、鏡ごしにギョロリと動いた。殺気立った目玉。飢えているのだと思った。歯抜けの口元がニタリと笑う。

 くそっ、だから言ったんだ。祓えないもののほうが多いって。これは祓えないものの類いだ。触れてはいけないものだ。逃げるしかない。逃げられるのか?


「こ、これが」


 上野が呟き、僅かに首を動かす。T路地の向こう側を覗き込もうとしているようだった。


「動くな!」


 俺の怒声と同時に、上野が肩を引かれたかのように仰け反った。結果的に一歩後退する形になった上野の腕を掴む。

 迷ってる暇はない。元から選択肢は一つだけだ。


「走って逃げるぞ! 実際に奴の方を見たら確実に降りてくる。この臭いと気配はもう半分は来てる証拠だ。奴が現実に降りてくるのを許すな。奴の存在を認めるな!」

「は、はいっ」


 俺達が身を翻して走り出すと、何かが後ろから追いかけてくる気配がした。俺たち同様走っている。恐らく二足歩行の、人の形をした――人ではないもの。


「ンーっ! 惓ーっ!」


 背後から猿轡をかまされている人間のような呻き声が聞こえる。すぐ近くだ。後頭部や首に生臭くて湿った息がかかる。

 気配が、気配がする。獣の臭いが。すぐ近くに。ちょっとでも顔を横に動かせば、目の端に捉えてしまいそうな、そんな至近距離。


「ちっ、近いっ……! 先輩、近いですっ!」

「黙れっ! 黙って走れっ!」


「膿膿膿膿ンンンンーっ!」


 でかいから鏡いっぱいに映ってたんじゃない。すぐ近くに、降りてきたからデカく映ってたんだ。すぐ後ろにいる。振り返ったらいけない。転んだり、ちょっとでも走るスピードを緩めたら捕まる。終わる。死ぬ。


「くっ、そぉおおぉおぉぉぉっ!」

「傴傴傴傴傴傴傴傴傴傴傴ゥゥゥゥゥー!」


 道は暗くて足元がよく見えない。幸いなのはここがよく知った土地で、どこに何があるかは大体体が覚えていたことだ。もう少し走ればコンビニがある。人の気配がある場所に着く。そうすれば多分、こいつは追いかけてこない。あともう少しだ。そのもう少しがひどく長い。


「瘀ォ瘀瘀瘀瘀ォォォーっ!」


 化け物の手が、俺の背中を掠める。ピリリと鋭い痛みが走った。気にしていられない。止まったら死ぬ。

 だからひたすら足を動かした。


 いつから背後の声が聞こえなくなったのか、いつから獣の臭いがしなくなったのかは覚えていない。ただひたすら走って走って、コンビニの駐車場まで走り続けて、恐る恐る振り返った頃には、背後には誰もいなかった。

 俺たちの背中に、鋭い爪で引っ掻いたような、ガタガタの傷跡を残して、化物は消えていた。

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