虚数物件不動産
まらはる
多分便利な物件
「え、今俺入ってたんですか?」
「はい、分かっていただけましたか?虚数物件」
正直何が起きていたかよくわからない。
俺は就職を機に、一人暮らしを始めようとしていた。
しかし思ったより就職活動は難航したため、遠方への交通費や履歴書と証明写真やちょっと無節制な生活とで、バイトによるなけなしの貯金は底を尽きようとしていた。
両親に金の無心を頼むという手段は無くもなかったが、それはホントに最後の手段にしたい程度にちょいと家庭内の環境が悪い。
家から通勤するのも、さっき言った家庭内の事情と、普通にちょっと遠い勤務地だったので部屋を借りたいが、金がない。
さて二進も三進もいかないな、と思っていたらウルトラ格安物件を見つけた。
街の片隅の小さな不動産屋で、ガラス張りの壁に外から見えるようにチラシが張り付けてあった。
どんな物件かもよくみないまま値段だけを見て飛び込んだら、
「ようこそ虚数物件不動産へ」
と、案内を受け、よく聞かないままに内見をした。
「結局よくわからん!!」
気づけば不動産屋の事務所に戻っていた。
事務所は、特に説明するほどのこともない普通の事務所だ。
だが自分は、ここから直接部屋に飛んで、内見をして、直接ここに戻ってきていた。
「でしたらもう一度説明させていただきます」
机を挟んで、営業マンがにこやかに語り掛ける。
パシッとしたスーツ姿は、正直これから社会人、という自分には少し憧れる姿だ。
「我々が扱うのは虚数不動産です。虚数についてはご存じでしょうか?」
「二乗するとマイナスになる数、だっけ?数学はあまり頭に入ってないんだよ」
大学での専攻は文系だったので、理系の内容はだいぶ頭の隅っこである。
「おおまかにはそんな認識で大丈夫です。本来は様々な分野で計算の用いるのに便利な数字、なのですが……この場合は正直ハッタリでつけています」
「ハッタリ?」
「ええ、虚数という言葉の詳しい意味は本当にきちんと勉強している方に任せるとして、虚数物件とはまさにそんな実数で表せれない、つまり実体のない物件なのです」
「実体のないって……」
先ほどのことは覚えてないけど、それでも「部屋に入った」のは覚えている。現にそこに存在したものではなかったか。
「存在はしますが実体、つまり物質的な部屋ではありません。既存の一般的な物理学では、質量としてとらえることができないのです」
「それって、つまり詐欺とか、ってことかよ!?」
「それは違います。実体のない部屋、ということは実体のないもの、が入ることができます。ああ、先ほどは準備不足で感覚が追い付いていなかったのが災いしましたね」
そういうと、営業マンは鍵を差し出した。
受け取ってよく見ようとしたが、なぜだか先端がぼやけてよく見えない不思議な鍵であった。
「よーく、自分が何もないところへ向かうイメージを持ってもう一度そのカギを空中に向かって差し込んでください。そうすると部屋の扉が開き、導かれます」
「わかんないけど……わかった」
そういえばさっきはこの鍵を受け取って、適当に振り回したのだったか。
おかげで一瞬、気絶したような感覚に襲われて、白昼夢を見た。
今度はきちんと自分の意思ではっきりと、鍵を空中に刺す。
一瞬冷静になって、何やら胡散臭い話と変に信じている自分が奇妙に見えたが構わない。
こういうものは百聞は一見になんとやらだ。
スッと鍵をまっすぐ刺すように動かすと、固い何かにぶつかった感触がした。
すると自分の体を光が包み込み、浮遊感に襲われる。
「う、うおあっ!?」
やはり驚いてしまったが、それでもさっきより意識ははっきりしている。
妙な、明滅する白と黒のグラデーションですべてが染まっている空間だった。
床も壁もない。部屋と呼べないような場所。
そこに自分は浮いていた。
「いかがでしょうか、こちらのお部屋。先ほどの鍵と紐づいており、時間も場所も問わずにどこでも開けて入ることができます」
「うわっ、すご……あれ、え、なんか透けてないですか、俺もあなたも!?」
驚いていたら、隣に営業マンが立っていたが、半透明だ。そして自分も。
「ここは実体あるものは入れません。つまり意識だけがこちらに来ているんですね。実数空間、つまり部屋の外にはお客様の体も私の体も置きっぱなしです」
「うわすげぇ……こんな部屋があるんだ……部屋なのか?というか利点が分からないな……」
完全にオカルトの世界に迷い込んで、詐欺ではなかったのだが正直理解が追い付かなかった。
体が入れないなら、休めないではないか。
「ご心配なく。ここは実体のないものが入れる空間。もっと言えば実体のないものの出入りが自由な空間です。時間というのも実体がないですが、ここではちょっと節約することができます。具体的には向こうの時間を一万倍にしてこちらで使うことができます」
「つまり、こっちでの出来事は、向こうでほんの一瞬ってことか?」
「はい。そしてそれだけではありません。実体のないもので、持ち運びが自由なものはいろいろと融通が効きます。意識を休めて、ぐっすり眠るのと同じ効果を得たりするのは初歩!例えば最近は、パソコンやスマートフォンのデータを繋いで延々とソシャゲや調べ物や執筆活動をされる方もいます」
「な、なるほど……」
住めない部屋なんて利点がよくわからなかったが、ちょっとずつ分かってきた。
この部屋は物質から解放されるんだ。
精神や魂、感情や時間、データそのもの。そういった実体のない、しかし世界に存在しているものがここでは重要になり、自在となる。
ひょっとしてと思ったことを、営業マンの人にいくつか尋ねてみた。
答えは、想像通りだった。
「ここ、契約します」
数分後(と言っても、実体のある世界では瞬きすらスローに見える時間の出来事だったが)事務所に戻ってきた俺は、この部屋を借りるために書類に記入をしていた。
具体的にどうしたか。
俺はもう一つ仕事場に近いところに実体のある部屋を借りた。
と言っても、とても小さく月1万円が妥当な何もない部屋で、どちらかというと物置だった。そして俺はそこを実際物置と一瞬の休憩のために使った。
休憩。俺は睡眠からほとんど解放された。
契約した虚数物件でたっぷり意識だけの睡眠をとることで、とても晴れやかな気持ちで生活ができた。体を休ませず数日起きてると、さすがに負荷がかかりすぎるため、たまには実数空間で眠るようにしたが、それでも寝て無駄にする時間が減った。そして増えた時間は深夜のアルバイトに費やすことにした。
就職した会社からの初任給は、まぁまぁ生きていける程度の値段だったが、深夜バイトを含めるとちょっと相場では見かけない金額になった。
これはいける、と思った。
虚数物件では寝るだけでなく、勉強もするようになった。
本そのものや筆記用具は持ってこれないが、スマホの中身は持ってこれたので、電子書籍で資格の勉強をいくつか始めた。
試験日が近い資格が対象だった。
自分をとても飽きっぽい性格と思っていたが、それでもほとんどいくらでも自由な時間を手に入れてしまうと、案外凝る方だと知った。寝たり起きたりしながらちょっと勉強して、とダラダラやったが、それでも頭の中には確実に知識が溜まっていった。
そしてすべて合格。
結構資格取得を推奨してる会社だったらしく、合格をすべて告げたら2か月目、3か月目で給料は数万ほど上がった。
更に数か月後、夜のバイトは辞めて、物置の部屋も解約して、新しい部屋を借りれるようになった。もちろん、虚数物件は借りたままだ。
この虚数物件、実体のないものを置いておくこともできるので、とりあえずスマホだの情報端末のバックアップやすぐ使わないデータはここに置いておくことにした。
そういえばなんと自分の記憶も置いておけることに気づいた。
いくつか不要な記憶を整理しつつ、学校で習ったことも再度ぴピックアップしてまとめ直したら、中学や高校で学んだことも案外無駄じゃなかったことに気づいた。
この部屋でできないことは、それほど多くはない。
基本的に現代社会は情報のやり取りでお金を稼いでいる。
無限に近い時間で情報を自在にできるなら、いくらでもお金を稼げるのだ。
1年経って、最初の会社を辞めた。
更に大きな別の会社に入った。給料は何倍かに増えた。
虚数物件を自分は上手く使いこなせているのだろう。
最近は時間感覚があやふやになってきているが、貯金はぐんぐん上がっているのを見ると失敗はしていないらしい。
ひどく笑える上がり方だが、非合法的なことには手を出していない。
そんなことしなくても、人間は正しく習熟すれば相応の金が手に入るのだ。
必要だったのは時間。最近は時間感覚があいまいになっており、たまに起きてるときは「ちゃんと時間の針を進める」というルーチンができてきた。
順調、すべて順調だ。
だがある日、時間を進めようと、虚数物件の外に出た瞬間、何かを忘れたことに気づいた。
「ん?」
はるか昔にスマホを忘れて大学に行った時の感覚だ。大事なものなのに、家に置いてきて、1日を不可能ではないが不便に過ごした日を思い出した。
だがそれが何かわからない。
「まぁ、でも実数世界は実体のあるものしか使わないからな……」
どうしても、というなら取りに戻ればいい。
虚数物件は時間も位置も関係ないため、それが許されるのだ。
数日ほど仕事をして日付を進めて、部屋に戻った。
「あっ」
思い出した。ちょっとした礼節や、丁寧な心遣いを部屋に忘れていたのだ。
この数日は、なぜか怒られることが多いなと思っていたがどうやらそれが原因らしい。
ちょっと下品にふざけようとして、真面目な部分を外して、サブスクでダウンロードした下ネタ満載の映画のデータをこの部屋で見たのだ。そのときに心遣いとかが再取り付けが不完全だったのだ
いつの間にか自分の感情や感覚もこの部屋なら好きにできる。
そう思ってっすっかり気が緩んでしまっていた。
「まぁ、大丈夫だろう」
タカをくくっていた。
それがダメだった。
更に数か月後。いや実際にどれだけ時間がたったのか、わからなかった。
実際の期間として1年もたっていないのは分かったが、そこまでだ。
「おやおや、お久しぶりですね、お客様。二年ぶり、ちょうど更新の時期でございます」
あの時の営業マンだ。オーナーも兼ねていたのか。
「こんな道端ではいつくばって、どうされましたかな?」
「お、……俺、は……」
絞り出すように声を出す。
体はボロボロだった。
単純に健康診断では問題は出ないかもしれない。
でも精神が変容しており、魂に歪みが出て、体が追い付いていなかった。
「虚数物件、どうやらお客様には不適だったようですね。管理が不十分でした」
そう。そうだったのだ。
ちょっと一部の感覚を感情を、一度忘れたと思ったら数度。
数度忘れたと思ったら、持たなくても外出できると思い持たずに外出。
外の仕事で起きていることをまともに把握できず、しかし異常さも判断できなくなっていた。
「実体がないからと言って、散らからないわけではありません。壁や床が無いからと言って、空間が汚れないわけではありません。そして菌類が入れないからと言って不衛生というわけではありません。虚数物件には虚数物件なりの適切な管理の仕方があります」
虚数物件の中は、目に見えるようで見えていない。虚数物件の部屋の中は、便宜上視覚情報に変換されるのだが、それはあくまで簡易化してわかりやすくしているだけだ。パソコンだってディスプレイやハードディスクやらにヒビやほこりをかぶっていなくても、中のデータがちゃんとしたものかは誰にもわかるまい。
そんなことにも気づかなかったなんて。
「さてそんなひどい状況での生活をつづけましたら、当然健康も害されます、虚数的にね」
実際に医者にかかるわけにもいくまいが、診断名をつけるなら虚数風邪とか虚数熱とか虚数骨折とか虚数内臓破裂とかになるのだろうか。
そんな感じのボロボロ加減でもはや一歩も動けず、路上に倒れ込んでいた。
「さて、ここで虚数物件を契約を打ち切りますか?よろしければ、専門の医者も用意いたしますよ。こればっかりは見るに耐えかねた個人的なアフターサービスです」
「た、のむ……」
「承知いたしました」
虚数物件。これは正直俺の手には余る。
しばらくはまともに働けないだろうが、ゆっくり休んで、人間らしい生活を送れるようにリハビリしよう。
営業マンがどこからか取り出した書類にがんばってサインした後、またどこからか現れた人々に、医者とやらに連れていかれるつれていかれることになった。
「あ、そうだ……」
その前に。
「えっと、もうひとつお願いしていいですかね」
「なんでしょう、乗り掛かった舟ですので、無茶でなければ」
例えば、二口コンロで料理を楽しんだ人はIHや狭い台所の物件を選べないし、バストイレ別の物件を選んだら次からはユニットバスを選びづらくなる。自前の洗濯機がいい人は自前で使える物件を探すし、日当たりの良さも実感したら変えられない。
人は便利な物件を見てしまうと、なかなかその条件を変えられない。
「あの、もう少し小さい虚数物件があれば紹介して……次はそこにしたいんですけど……」
「……」
虚数物件の営業マンが、その時どんな顔をしていたか、詳しくは語らないことにする。
虚数物件不動産 まらはる @MaraharuS
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