嵐のあと
あのあと……途中で気を失ったのか、記憶がない。
思い出せない。
どうやって帰宅したのだろうか。
川西以外にありえないーーーが、もし、万が一、帰宅が遅くなった葵を心配して父が学校まで迎えに行ったとしたら……
「―――川西……っ」
もしかしてあの姿を父に見られたのだろうか。
そうだとしたら―――
もう二度と顔を合わせることが出来ない。
血の繋がらない葵を引き取り、面倒まで見てくれている上にあんな醜態を見られていたら……
「生きて、いけねえ……」
葵は頭を抱え込んだ。どうしたらいいのか分からない。
父になんと言えばいいのだろう。
川西……担任に、強姦、されました
なんて
「言えるわけ……ねえ……」
ふと呟いた時、襖が鳴る。
「葵、起きたか?」
と同時に軽く音を立てて隔たりがとかれる。
葵の心臓が大きく鼓動する。
「―――昨日は、大変だったな……」
哀れみを含んだ声で父が言う。なんの事だろう。
もしかしてやっぱり見られて……
「昨日、不良にいきなり襲われたというじゃないか、たまたま通りかかった川西先生が助けてくれたから良かったものの……気を失ってしまった葵を部屋まで運んでくれて」
は?
葵の動きが固まる。脳が理解を失う。
呆然としている葵の様子に、父は良かったとでも言うように大きく頷く。
「葵の手当てまでしてくれて。今日学校が終わったら様子を見に来て下さるそうだ」
病院に連れていく、という父を制したのも川西で
目が覚めたらショックで気が動転しているだろうから落ち着かせるようにとアドバイスしたらしい。
「若いのに、あんな立派な先生で良かったじゃないか、川西先生が通りかからなかったら……」
思わず涙ぐみそうになっている父とは反対に、葵は拳を強く握りしめてわなわなと震えている。
当然だ。
―――父にでたらめな嘘をつき、尚且つそれを信じてしまう振る舞いを見せた川西はとてもじゃないが許せない。
「川西……っ」
思わず口に出てしまう。
はっとしたところで、父がまた諭すように告げる
「川西先生が来たら、ちゃんとお礼を言うんだぞ」
父は何を言っているのだろうか。
辱めた相手に、礼を、言えと?
―――礼など言えないが、襲われたなどとはそれ以上に言えないーーーと葵の色んな感情が渦巻く。
どうすればいいのか分からない。
どんな態度を取ればいいのか分からない。
一晩で川西を信頼しきっているような父だ。
ある意味おめでたいとしかいいようがない。
しばしの静寂のあと、チャイムが鳴った。
川西先生だな、と呟いて父は部屋を出ていく。
葵の全身から冷たく汗が吹き出るのが分かる。
嫌だ、会いたくない―――
絶対に。
「葵、川西先生がいらしたぞ」
襖が開くと同時に葵は反射的に頭から布団を被り身を縮めた。
「葵、布団から出て、川西先生にお礼を言いなさい」
今までの優しく労るような口調とは打って変わって厳しめに問いかける。
葵を両目から自然と涙が溢れ出す。
「いや、お父さん。大丈夫ですから。――そのままで」
川西が穏やかな声で父を諭しながら葵が横たわるベッドに近づく。
「――体調は、どうですか?」
葵の全身が震えだす。唇を噛み締めて嗚咽が漏れないように必死で食いしばる。
「葵、起きなさい」
父が無理矢理布団を剥ぎ取ろうとするのを制し、川西が静かに言う。
「……お父さん、中野くんは昨日の今日で少し興奮しているようですから、何か温かい飲みものを持ってきて頂けますか?……例えば、ココアなどいいですね」
はっとしたように父が頷く。
ああ、そうですね、気づきませんでしたと言い残して部屋から出て行った。
「体調は、どうですか?」
穏やかに優しく問いかけるーーと同時に葵が布団をはね上げで川西に殴りかかろうとする
「ふざけんなよ、何めちゃくちゃなこと言ってんだよ!てめえはよ、親父を丸め込みやがって!」
思い切り叫んだつもりが、喉がかすれて声にならない。落ち着いて、とでも言うように川西が両手を挙げる。
「――いやあ、純粋ですね、貴方のお父さん」
葵が激しく睨みつけた。その瞳は濡れて光に反射し輝いている。
「あんな風に信じてくれるとは、思いませんでしたよ」
気を失った葵を抱えて帰宅した時、父は玄関の先に立っていて、帰りが遅い息子を探しにいくところだったようだ。
あまりのボロボロさに、何があったかと問い詰められた川西は、不良共から囲まれていて自分が通りかかった時には既に倒れ込んでいたという。
警察に、という言葉にも川西は既に逃げていってしまい、追うよりも手当てが先だと判断したと語った。
あちこちにできたアザは殴られた時のだろうと父は思ったらしい。
川西が言う。
「中野くん……こんな嘘を信じてしまうくらいに、貴方は素行が悪かったのですね、」
葵、と名前を、呼ぶ。
固まったまま動けない葵の瞳が揺らぐ。
ほくそ笑んだ川西を葵は怒りというより何か恐ろしいものを感じ取る。
まるで本能がそうしているかのように。
「川西……お前、何が、目的、なんだ……」
乾いた声で問う。
「目的、ですか」
川西の指が葵の髪に触れる。
葵の耳に川西の声が届く。
「目的と、いうより、」
唐突に襖が開く。父の両手はお盆が乗っており、三つのカップが優しい湯気を立てている。
「お父さん、中野くんはもう大丈夫そうですね」
そう言って微笑む。
「お礼も、もう……貰いましたから」
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