マーリンと『   』【C.C1795.03.16】

     ◆


「この都市を回しているのはなんなのか、きみは知っているかのぅ?」


 理事長室で、ラヴァルは問いかけられていた。


「金……いや、経済ですかね」

「クックックッ。青い青い、素晴らしく青い答えじゃ」


 無茶ぶりな質問に理不尽な誹りを受けて、はらわたが沸き立つ心地を覚えながら頬を引きつらせていると、椅子にふんぞり返ったアルドレスは答えた。


「競争じゃよ。闘争と言い換えれば、棺持ちのキミにはわかりやすいかの」

「つまり……狩猟競技ってことですか?」

「方向性は合っとる。しかしまだ狭義じゃ。ここで語る競争というのは、文字通り対立から行われる競い合い全てを指しているのじゃ」


 例えばあのカーゴ。と窓を横切る輸送機を指差す。


「あの輸送機の開発コンペンションにはあれ以外の開発案もあった。開発者はワシの出した条件の中で、自分の考える最高のカーゴを競い合った……その末に、あのカーゴだけが空を飛んでおる」

「はぁ……」

「それだけでない。狩猟競技以前にコフィンやエス構造型の機械開発、商品の販売戦略、子供のかけっこに、きみが今夜食べる夕食の選択にも競争は表れておる」


 わかるかの? という確認を前に、要旨を読み取れずに苛立つラヴァル。


「あの……なにが言いてぇんですか? ていうかなんで呼ばれたんですか、俺」

「なに、学園を無事卒業したきみと、少し話がしたいと思っての」


 クツクツと愉快そうに喉を鳴らすアルドレスに、はぁと警戒心を強めた生返事を返す。


 三月中頃の今日、ラヴァルとジェニスは、無事フェーヴ一番街学園を卒業した。


 先のアルドレスとの約束は履行され、特別課外授業という名目で単位を補強したジェニスは、復帰後にハイペースで狩猟任務をこなして悠々と卒業するに至り、ラウス兄妹についてもとくに言及のないまま、二人とも卒業が決まったという。


 こうして無事に学園生活を終えると思ったラヴァルが聞いたのは、ヨランドを経由してきた突然の呼び出しだった。


 率直に言って、ラヴァルは自分たちをはめたこの老人のことが大嫌いだった。あの一件で、ヨランドがアルドレスに対する嫌悪感や対立心に共感を覚えたのは言うまでもない。


 この老人には、倫理などない。


「そう警戒せずともよいぞ。今日はわしから、未来あるきみに祝辞を送りたいだけだからの」

「なら回りくどいこと言ってねぇで、さっさと話してくれませんか。俺だって時間がねぇんですから」

「せっかちだのぉ……まったく最近の若者は」


 やれやれと首を振って、アルドレスは机の上に腕を組く。

 そして、先ほどの話の続きを始めた。


「競争には、必ず対立の構造がある。それは人間が個人であり、一定の自由が保障される限り、一生付きまとうもので……そこに関わる感情は、わしも含めて、誰も逃れることはできぬ」

「感情?」

「他責。あるいは欲深さ、あるいは情熱、効率性、失敗への恐れ、尊重心」


 そして。老人の眼光が、ラヴァルのベルトに吊るされたシリンダを突き刺した。


「嫉妬。この天球都市が競争で回る手前、それらを学んだあれらもまた、この循環構造に振り回されているのじゃよ」

「あれらって」

「バベルじゃよ。あれらは、人の感情を……属性値として理解しておる」


 ラヴァルは、半月前に対峙した、歪な竜人を思い出す。


 トーマスを取り込み、暴走したあの異形は、トーマスの口から獣のような方向を上げていた。あれは、トーマスを操る何者かが伝えたかったメッセージなのだろうか。


 結論を言うなら、その考察は正解であり、しかし間違いを多分に含んでいる。


「かと言って、あれらと我々が共存できるとは思わぬことじゃ。感情を属性でしか理解できないあれらは、共感というものを知らぬ」


 その通り。フェーヴの持つ他責感情……怒りは、人間から学び取り、その輪郭を象ったものに過ぎない。


「けど、あんたらは実際に話して、今の社会を維持してんだろ」

「啓示を一方的に受け取っただけのことを、対話とは言わないんじゃよ」


 忘れないことじゃ。アルドレスはあやしく眼光を煌めかせ、ラヴァルを見やる。


「バベルがもたらすエス構造群の改変は、彼らのリクエストが完了するまで終わりはしない。そしてリクエストを阻もうとする者には、危害を加えることもいとわない」


 おぬしはこれから、世界と敵対することになる。おぬしの意思に関わらずの。

 静かな、しかし確かな重圧を込めたアルドレスの語りを、ラヴァルは受け止める。


 イドを管理し、文化を抑制するために英雄をデザインする使徒。

 少ない文献で調べたラヴァルには、それが古い時代にいると『嘯かれた』、神の使いでもあり、古い時代にイドを作り出したと『誇張された』、破壊の魔獣でもあるように思えた。


 その使徒の前では、矮小な人の言葉がどれだけ通じるのだろうか。


 私見を述べるのなら。

 それは議論にも及ばない、くだらない話だ。所詮、そのエージェントたちもまた、この世界を回す歯車の一部にすぎないのだから。


「これ以上なにもねぇなら、失礼します」


 しかしそんな意見が聞こえるはずもなく、遠くの時刻環に目を細めてから、見かけだけの一礼して踵を返そうとする。


 その背中に、しかしアルドレスは待ったを呼び止めた。


「ヨランド……孫がこの都市の貧困層を連れて、新天地に希望を見出したとしても……この世界は変わらぬ。経済格差によって新たな下層民が現れて、貧困層は補充されていくだけじゃ。それでも、おぬしはあの子についていくつもりかの?」


 半身だけ振り返って、ラヴァルは尋ねた。


「そこまでわかってて変えねぇのは、それが競争を生むからだろ」


 学園の特待生しかり。


 上に送る希望をちらつかせることで、競争の意識を蔓延させる。

 そうすることで、この天球都市は回っているのだ。


「どこに行こうが、競争は止まられねぇのかもしれねぇ。けど、なにで競うかくらいは決められんだろ。それが新天地の開拓だってんなら……革命よかよっぽど健全だろうが」

「たしかに、の」


 アルドレスは、予期していたかのようにニヤリと笑い、最後に言った。


「万が一……ワシの孫娘の妄想に、愛想を尽かしたのなら、いつでも来なさい」


 ラヴァルはドアの前で再び振り返る。

 そして、したり顔の老人に向かって、勢いよく中指を突き出した。


「二度と顔見せるな、クソジジィ」


 怒りを煮詰めた低い声音で凄み、ドアを壊さんばかりに力を込めて出て行く。

 バダンッ、という破砕音さながらの音を立てるドアの先では、ヨランドが待ち構えており、大股で歩くラヴァルを追いかけながら何かを話しかけている。


「聞いておるか、オーヴァンの小間使い」


 遠ざかる人影の残響を前に、アルドレスの呟きが、静かな理事長室に響いた。


「おぬしらの魂胆は見えておる。今の循環し、停滞した競争……その均衡が崩れた際に、少しでも優位に立とうとしているのだろう。


 もしまだいるなら、主人に伝えといておくれ。


 連合の全ては変化なぞ望んでおらんし、きみの本心はワシらと変わらぬ。この円環渦巻く天球都市は、決して変わらんよ。


 じゃから、そんな臆病にならんでよいぞ、マーリン。


 初めからおぬしらに競争相手などおらん。だからこそ、わしらを嘲笑し、愉悦を得ることでしか、そのうちに蔓延る嫉妬心を満たせぬのじゃからの」


 誰もいない空間で独り言を語り聞かせ、挙句笑うその様は、端から見れば狂ってしまったかのように見える。


 事実、その的外れな言葉を、どう受け取るべきかを、考えあぐねている。


 オーヴァン……第一天球都市現当主。その小間使い。

 臆病?

 勘違いも甚だしい。


 マーリンはどこにも与しない。

 お前たちが管理エージェントと違い、競争の下に自由を騙る立ち振る舞いをしようが、お前たちはマーリンにとって退屈しのぎのドキュメンタリーを盛り上げる駒に過ぎない。


 思い上がるな、バベルの生んだ残りカスの分際で。


 これを語る記録領域が腐る前に、ラヴァル・ギールに話を戻すべきだ。

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