在りしキミと出会うⅠ【C.C1795.02.24】
◆
ジェニス・ギールについて、語らなければならない。
といっても、彼……今は彼女の、興味の湧かない過去を特筆する気はない。しかし、この状況を正しく伝えるためには、まずラヴァルたちがフェーヴ二番街港に着いた頃の彼女について、語る必要があった。
ラヴァルたちが夜行便で二番街港へ出向いた翌朝、ジェニスはヨランドから現状について聞かされていた。
狩猟ペアの即席変更に関して、緊急時の措置である場合には問題の発生した側の棺持ちには、事後承諾の形でペア結成を報告する義務があった。
「ラヴァが……セラノ・ラウスと?」
背中を預け、上体を起こしたジェニスは、報告がくれたことを申し訳なさそうにするヨランドに問いかけると、ヨランドはごめんなさいと謝罪した。
「本当は、もっと早く話すべきだったんだけど……時間がなくて、勝手に決めてしまって」
「ああ、いや……」
実感がないように、ジェニスは胸に手を当てる。
ジェニス・ギールは、探っている。
ヨランドが、自分に何を望んでいるか。自分に頭を下げる彼女に、どのような言葉を望んでいるのか……そこに自分の意志など介在しない。
それが彼女の処世術であり、幼少から磨き上げられた、つまらない性質だ。
しかし今回は、他者に委ねられた感情の在処に、彼女はただ困惑していた。
「仕方、ないさ……。そもそもボクがこんな状態なのが、よくないしね……」
誤魔化すように、拙く言葉を返すジェニスの様子に、ヨランドは上目で心配する。
「体調はどう?」
「体調?」
言われて、ジェニスは気付く。
今まで感じていた熱に浮かされ頭も、全身の気だるさも感じない。手足のしびれもなく、体をうまく動かせないもどかしさどころか、このまま狩猟に向かっても問題ないだろうという確信すらあった。
ただ、胸をツタで縛ったような痛みだけが、不可解だった。
「なぜだろう、今までより元気で……なんでもできそうな気がする」
「そう。それは良かった」
冗談だと受け取ったヨランドが、ひとまず安堵のため息を吐く。
「ボクは問題ないから……今日は、ヨリィも休んでいてくれ」
柔和にほほ笑む。対するヨランドは困ったような笑みで、眼鏡の奥の隈を隠した。
「さすがにバレてるかぁ……」
「大丈夫。セラノは強かだし、ラヴァとも相性は悪くないだろう」
それに。と、ジェニスは断言する。
「言うまでもなく……ラヴァは強いよ。必ず、けじめをつけて帰ってくる」
「ありがとう……」
なにかあったら、バロに言って。と残して、部屋を出る。
ジェニスはボロに、適当なおつかいを頼んで部屋を追い出すと、脇の小さな棚の上に置いた、天球時計を回す。
「今日が……二月二十四日」地平環の模型をなぞりながら、フェーヴ一番街の場所を確認する。
「だから今は、ここ」
そこから連動する時刻環を避けながら、地上部分……イドの一部分を指差して頷くと、ベッドから降りた。
手早く服を脱ぎ散らかすと、羽のような軽い足取りでインナースーツに着替える。
生地の大半が透明素材でできた、宣伝広告用の特注品。
ジェニスは、この姿を彼に褒められたことを思い出して、肌を晒した片腕を胸にうずめるように抱く。
褒められることは、気分がいい。当たり前のことかもしれないが、ジェニスにとってはそれが生きがいですらあった。そのために誰かの欲求に応え、それを喜びとする……子供の時分で、それを教え込まれた彼女だからこその性格だった。
「なにを……なさっているんでしょうか」
狩猟任務用のポンチョを羽織ったところで、入り口に人の気配を感じて振り返る。
帰ってきたバロが、困惑と怪訝を折半した顔を向けていた。
「部屋を出ようと」
「お体は……?」
「問題ない」
「散歩へ行くためにスーツを着る必要性を、伺ってもよろしいでしょうか?」
ここでうん? と。
はじめて、ジェニスは自分がしていることに振り返った。
なぜ、誰にも黙って部屋に出ようとしていたんだろうか。
おそらくは、出て行こうとすれば止められるからだろう。今までずっと体調を崩して寝ていたのに、急に出かけることを許してくれるほど、ヨランドもバロも粗野ではない。
それをわかった上でジェニスは今、無意識のまま、イドにいるラヴァルと会う準備をしていた。
誓って断っておくが、これはジェニス本人の意志である。フェーヴのように、バベルが持つ改変能力によって操作された感情ではない。受動的で、面白みのない彼女が、ここへきて自発的に行動を起こそうとしているのだから、こちらも驚いている。
顧みて、しかし依然胸を渦巻く閉塞感に耐えられず、ジェニスは。
「ヨリィには、黙っててもらえないかい?」
頬を掻きながら愛想笑いするも、バロの表情は晴れなかい。この状況でジェニスがスーツを着る意味を、バロは感づいているのだろう。
「お嬢様からお世話を任されている以上……あなたのお体に障るようなことを許すわけにはいきません」
しかし。と頭を振って、バロは続ける。
「それであなたのお心に障るようでは、本末転倒でしょう……」
「それじゃあ」
「先に言っておきますが……仮にコフィンを伴って空港に行ったとしても、バディのいないあなたに降下便の搭乗許可はおりません。そんな状況で、どうするおつもりですか?」
浮き立つジェニスを押さえつけるように、バロはきっぱりと断る。ジェニスは数瞬悩む素振りを見せてからそれでもいい、と備え付けの棚から制服を取り出した。
「気持ちだけでも一緒に戦っていたいんだ。それが感じられる場所に行きたい……それくらいは、いいだろう?」
それからジェニスはバロを一緒に工房へ赴きコフィンを持ち出してから、一番街港へ向かった。
途中何度か彼女を知るファンや同級生に出くわすも、普段実直な彼女が不審に思われることもなかった。
コフィンを携えて展望台からイドを見下ろす。
困った。という呟きが、風に流され、後ろで控えるバロに届く前に掻き消える。
バロの言う通り、降下便は任務の受諾証のなければ搭乗できない。相棒に置いて行かれた彼女を、イドへと運ぶカーゴは存在しなかった。
柵から半身乗り上げて、ミニチュアとなった廃墟群を見つけようと目を細める。高度の関係で、雲の多い日は天球都市の街々は霧に包まれたように白む。そのせいで地上の火はぼやけ、ポツポツとした穏やかな光を、雲海に灯していた。
気持ちだけでも戦いたい。己のひねり出した詭弁が、耳の奥で残響する。
そんな気休めでは胸の違和感を拭うことはできないだろうという予感は、すでに確信となっていた。天を仰げば雲一つない青が目一杯広がれど、彼女の目は滲んだ赤を注視している。
今、この瞬間。ラヴァルは戦っている。
セラノ・ラウスと一緒に、戦っている。
自分以外をバディにして、戦っている。
考えれば考えるほど、渦を巻く焦燥感が、狩猟の場へと駆り立てようと、彼女の胸をうずかせた。
カエルのように口の端を伸ばし、腕を組んで、うーんと唸りながら首を傾げる。
そしてふと、そうかと悟りを開いた。
このまま行けばいいのか。
そう言って、迷いなく縁から足を踏み外した。
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