フェーヴと『   』【C.C1795.02.24】

 フェーヴと同化したトーマスは吠えた。


 それは先んじた勝鬨……というには獣の仕草を、ラヴァルに想起させた。おおよそ人間の出すものと思えない野蛮な雄叫びの正体は、巨大な竜がトーマスのペンドラ重槍型を取り込んだ事による、きしんだフレームの音が混ざったものだ。


「なんですか……なんなん、ですか……! どうして、兄さまが……」


 不安をかき立てる不許和音が、畏怖と威圧を込めた咆哮が、少女の肩を震え上がらせる。


 変わり果てた兄を凝視し、固まるセラノに、フェーヴは右腕部の槍の切っ先を向けた。


 ラヴァルはすぐさま超長距離弾頭を込めっぱなしにしたバリスタを構えて、槍に向けて放つ。轟音と竜音の爆炎を纏って、弾頭は槍の根元を叩くと、金属同士を叩いた重苦しい低音を上げて、角度を変えた槍が廃墟の側面へと押し込まれた。

 剣戟の鳴鐘が響くなかで、ラヴァルはペンドラ索敵型の月輪に、バリスタの弓部分を鉤にして引っかけ、彼女を無理やり引っ張った。


「きゃ……!」

「ボーっとしてんじゃねぇ!」


 フェーヴに背を向けて距離を離しながら、ラヴァルは怒鳴る。ハッとなったセラノが自身のコフィンの制御にとりかかろうとするのを見て弓を月輪に離すと、進行方向を変えず身を翻した。


「反応……反応はどうなってる! あれはコフィンなのか!? 識別は!?」

「い、今……やります!」


 動揺で手を震わせながら、レバーと思念操作によって、立体映像を呼び出す。

 そうしている間にも、フェーヴは弾かれた槍を構え直し、竜の頭部を向けている。


 便宜上『フェーヴ』という名称で呼んでいるが、今あれを動かしているのはトーマスの怒りであり、それはフェーヴの掌握した感情であるがゆえ、あれはフェーヴの代理としての役目を与えられている。あくまでラヴァルが対峙しているのは、トーマスを通したバベルのエージェントであるが、その手足はコフィンであることに間違いはない。


「識別反応は……ペンドラシリーズ五番棺の量産カスタム。兄さまのペンドラです!」

「コフィンなんだな!?」

「はい!」

「なら……背後の動力部を狙う! 援護しろ!」

「兄さまに当たるかもしれないんですよ!?」

「中距離弾で対応する! もたもたしてると、兄貴にお前がやられちまうぞ!」


 コフィンの共通規格として、推進力や菌糸が貯蔵するエネルギーを生成する内燃機関は、コフィンの中心である腰部背面に位置している。これはコフィンを動かすための筋力補助を行うフレームの稼働にも関与し、それを破壊されるとコフィンを動かすことはできない……文字通り、コフィンの心臓である。


 ラヴァルは機体を側方に傾けると、右に大きく弧を描きながら前進する。プリンタマガジンを中距離弾頭に切り替え装填して、巨体を中心に旋回、背後を取ろうとした。


『左前方! 攻撃あり!』


 接近するラヴァルを捉えたフェーヴが、ラヴァルに槍を振るう。円錐型の騎乗槍を突き込むのを、セラノの指示に従って避ける。

 爆ぜ、捲りあがった地面を見送り、そのままスラスターを全開にして正面に突っ込むと、巨体の足元を抜けて背面へと出た。

 即座に転身して振り返り、バリスタを構える。狙うのは腰部――人体でいうところの、腰の背中の中間に位置する機関――へ向けて中距離弾を三連射して撃ち込む。


 しかし、弾頭化動力部に届くことなく弾かれる。


 搭乗者の脅威に反応して展開される菌糸のエネルギーフィールドが、弾頭を防いだのだ。


「クッソ……!」


 舌打ち混じりの悪態も束の間……フェーヴがこちらを向いて、槍を振るう。

 横薙ぎ。前後どちらへ避けようか逡巡した一瞬のうちに、槍の側面がオーレドゥクスを接触した。


 機体は竜音なして中空を吹き飛び、廃墟の壁に激突すると、菌糸のエネルギーフィールドが火花を上げた。


『ラヴァルさん!』


 瓦礫と共に着地すると、あたりに緑色の光の集合が迎えられる。集合体はオーレドゥクスの損傷個所に張り付くと、ボコボコと泡立ち、傷ついた装甲やフレームを補填する。直撃を受けてもなお完全に破砕された箇所のないことは、オーレシリーズの剛性をもってしても奇跡だった。


「早く……逃げろ!」


 ウィスプに向かって、苦しげにラヴァルは叫ぶ。

 フェーヴはラヴァルには目をくれず、まるで高所から見下ろすように首を伸ばした頭を左右に振る。そして高台からラヴァルを覗くセラノを見つけると、頭部の横に真っ二つに分かれた。


 開かれた装甲の中心から、光が収束する。それは一際大きく発光すると、一筋の光線となってセラノに向かう。


 発射された光線は、瓦礫まみれの地表の一線を引き、その一画を吹き飛ばした。


「セラノッ!」


 ラヴァルの呼びかけが、瓦礫の喧騒に掻き消える。ウィスプからガラガラと土の崩れる音しか聞こえず、彼の唇が、焦りに震えた。


「おい! 聞こえてんのか! 返事しろ!」

『大――丈、夫――』

「セラノッ! おい!」

『聞こえ――てます』ノイズにまみれた返信が耳を打つ。

『直前で、射線がズレーーた、みたいです――うぐっ』


 時折混ざる苦悶に、少しの安堵と再びの焦燥を募らせる。


 馬力が違いすぎる。


 相手はコフィンの機動力や防御力を残したまま、肥大化した内燃機関で常軌を逸したパワーでこちらを圧倒してくる。ここで奴を無力化するためには、あちらのパワーを受け付けない機動力を持ち、前線を維持できる棺持ちがどうしてもいる。


 ジェニスがいれば


 ラヴァルの脳裏にジェニスの姿が浮かぶも、頭を振るその仮定を追いやる。今、ここに天才はいない。自分が何とかしなければならないと、痛みでかすむ頭を使って考える。


 しかし、ラヴァルにはこの現状を打破する策は思いつかない。


 そもそも前衛のいない組み合わせてで、正体不明のリビルドと会敵して戦闘することが望ましくない。だからこそ狙撃による一方的な狩猟を選択したはずなのに、こんなイレギュラーをどう対処すればいいのか。


 言い訳を追いやろうと、こめかみを叩く。だが、一つ浮かんだ考えが追い出されることはなかった。


 逃げるべきだ。


 狙撃は命中し、本来のリビルドは討伐した。

 そう、依頼自体は完了している。はずだ。


 ならばこれに対処するのは、自分たちである必要はない。自分たちにできるのは、この脅威をフェーヴに報告して、討伐隊を結成させることではないか。セラノをなんとか説得して――。


『にい、さま――』


 通信でうわごとにように呟かれたその言葉に、思考が、止まる。

 口を半開きのまま、暴虐をまき散らす竜人を茫然と眺めた後。


「――くっだらねぇ」


 自責と自虐を、その台詞に閉じ込めて、ラヴァルは吐き捨てた。


 自分がここに来たのはなんのためだ。


 ここで逃げて、ジェニスにどう言い訳すればいいのだろうか。やはり自分は天才じゃなかった。そう弱い自分を吐露して、また彼女に哀れんでくれることを望むのだろうか。


 それを続けてきたから、今のジェニスがあるんじゃないか。


 近距離弾頭を用意し、装填する。フェーヴはこちらに興味をなくし、未だ吹き飛ばした一角を未練がましく眺めている。それが余裕の表れのようで、いっそうラヴァルをイラつかせた。


 ブースト。爆炎に尾を引かせ、紺碧のオーレドゥクスが吶喊させる。


 射出機構に収まった矢じりがフェーヴに届く寸前で遮られる。エネルギーフィールドの反発が火花を立ててラヴァルを跳ね除けようとする。


 その拮抗を打ち破ろうと、トリガーを押し込む。


「おらぁ!」


 フィールドを突き抜けた弾頭が、脚部に炸裂する。

 衝撃で片脚を滑らせたフェーヴが膝を突いて倒れた。


「無視してんじゃねぇぞ、騎士バカがよぉ! 正々堂々、こっち見て勝負しやがれ!」


 盾のある左側を前に、半身に構え、挑発を入れる。この言葉が届いたのかは彼には理解できないが、フェーヴが敵と認識したのは間違いない。


 竜音を吹かせて一度上空へ躍り出ると、ラヴァルの真上を捉える。


 直上。陸上生物、万有の死角。


 しかしラヴァルはバイザー越しに見上げたその姿から目を逸らさず、次弾を装填する。


 彼が狙っているのは、交差法……いわゆる、カウンターだ。槍の一撃を紙一重で躱し、至近距離で近距離弾頭を撃ち込もうとしていた。それもフェーヴを傷つけまいと、頭部を一点狙いしようと構える。


 上空のフェーヴ、地上のラヴァルが一つの線で結ばれる。

 だが、フェーヴはラヴァルの想定を上回った。

 狙いをつけた頭部が、再び真っ二つに開く。


 この時、ラヴァルは自らの詰めの甘さと笑いながら、死を覚悟した。


 視界いっぱいに、閃光が広がろうとしている。彼の感覚では、光線が時の流れを忘れ四方八方へ散るのがはっきりと見えていた。


 わりぃ、ジェナ。

 走馬灯の中で、相棒の名を唱える。


 その呼びかけに応えるように、閃光が流星に遮られた。

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