ラヴァルとヨランドⅣ【C.C1795.02.23】
◆
三人は理事長室を後にして、学園の中庭のベンチに赴いた。
そこは円柱に囲まれた噴水広場だった。王権時代の宮廷付きの芸術家たちが作った、白亜の神殿を思わせる荘厳な噴水の周りにはベンチが設置されており、寒空の中でも何人かの生徒が休憩している。
セラノのまた、一角のベンチにぺたんと座り、開口一番に自分の事情を端的に話した。
「兄さまが、行方不明なのです」
「行方不明?」
セラノに向かって、正面に立ったラヴァルがオウム返しをすると、彼女は小さく頷いた。
「三日前の夜から寮を出て帰って来てません」
「そいつは災難だな」
「様子がおかしくなったのは、あなたたちと競技で戦ってからです」
他人事のように呟くと、セラノは非難がましい視線を送った。
ラヴァルはそれに肩をすくめて。
「俺たちのせいってか」
「そうは言ってません。ただ兄さまは、あの時のジェニスさんのコフィンの技量を見て、前よりも鍛錬に打ち込んでいたんです」
セラノは持ち込んだタブレットを起動すると、画像をラヴァルに見せる。
画像は、昇降柱の入り口付近のにある運搬路のものだった。周りにはコンテナがひしめく中で、インナースーツに身を包みコフィンを付き従わせた、金髪の大男の姿がハッキリと写されていた。
「これ、防犯用のウィスプカメラの映像だよな」
ラヴァルは、セラノの隣にいるヨランドを見る。ヨランドは多足生物でも見たように表情を曇らせると、無言の彼女に代わって、セラノが答えた。
「『盗み見』をしてはいけないとは、都市の環境法には記載されていません」
「だからってなぁ……」
「今はどうでもいいじゃないですかそんなこと。それより問題はこの映像です」
強引に話を戻すセラノに、ヨランドは「いいから聞きましょ」と口添えする。その声音はいささかぶっきらぼうで、埒が明かないという意味合いが多分にあった。
「これは昨日の昼頃、昇降柱の出島の映像です。兄さまは一人で、昇降柱を使ってイドに向かったそうなんです」
タブレットを膝の上において、セラノは視線を落とす。
「単身……それも任務・競技外でのイド探索は、ドラゴン商会の条例で禁止されています」
二人一組でコフィンを運用する形態は、十日革命の作戦形態を踏襲した、ある種の伝統的しきたりによるものだが、イドの探索の制限は、企業の利益を保全するために各天球都市が個別に設定しているものだ。その中でもフェーヴの制限に関しては、強力な力を持つ竜型リビルドのもつイドの危険性を示唆するものでもあった。
「今は欠席で通していますが、これが学園にバレれば兄さまは退学です」
「おじいさまにはなんて?」
「失踪したとだけ。カメラの映像は消しておきましたので、バレることはないかと」
ですから。と、セラノは周りの生徒を見渡して、小声で話す。
「これを話した時点で、あなたたちも共犯者です」
ラヴァルとヨランドの頬が、怒りと呆れを交えて同時に持ち上がった。
「それが人にモノ頼む態度かよ」
そう言うと、セラノは立ち上がって。
「あなたたちは『カエル顔』を狩猟し、ジェニスさんとラヴァルさんの留年を回避させたい。私はその付近の昇降柱でイドに降り立った兄さまを探して、学園や商会が不正に気付く前に連れ戻したい」
そしてそのまま、小さく頭を下げた。
「条件はウィンウィンのはずです。協力してください」
ラヴァルは小さな肩を見つめて、思案に入る。
考えているのは、目の前で懇願する下級生ではなく、ジェニスのことだった。
自分のせいで、ジェニスが弱っている。それはラヴァル自身の弱さ故に、彼女に弱くなることを願ったからだと、ジェニスは言う。
だとするなら、自分はどうすればいいのだろうか。どうすれば、自分から彼女の依存を解くことができるのだろうか。
自分のために、身を滅ぼすこともいとわない相棒に、離れたいと考える自分は間違っているんだろうか。
「兄貴は、大事か? それは、家族だからか?」
そっと呟くような質問に、ヨランドはちょっと……と控えめに苦言を呈する。
セラノは顔を上げてはっきりと言った。
「私は、私のバディを助けたいだけです」
それに。とため息を吐きながら、笑顔を作った。
「バカで嫌いな兄ですけれど、こんな別れ方をするほどじゃありませんから」
◆
「なんだったの、さっきの質問」
準備をしてくるというセラノと一旦別れて、先に空港へ向かう道すがら、早足で歩くヨランドに、ラヴァルは怒りと疑問を半々に混ぜた視線で問い詰められていた。
「なんでもねぇよ」
「なんでもなくないでしょ。いきなりあんな意味わかんない質問しといて。あの子が機嫌損ねて協力やめたらどうなると思ってるのよ」
「悪かったよ、余計なこと言って」
「謝るんじゃなくて、なんだったのか言いなさいよ」
「だからなんでもねぇって」
「なんでもなくない」
「なんでもなくなくねぇ」
「ああもう! しょうもないのよ、さっきから! バカにしてんの!?」
不毛な争いを先に切り上げ、ヨランドは大股でラヴァルの前に立ちはだかった。上目遣いで睨みつけるヨランドに、ラヴァルは首筋に手をやって、どう説明すればいいかと逡巡したあとに尋ねた。
「お前……前に言ったこと全部撤回して、お前に協力したいって言ったら……どうする?」
その質問に、ヨランドは顎を引いてあからさまに嫌悪感を表に出した。
「ジェニスと一緒になれば、彼女が元どおりになるって思ってんの?」
「あいつの考えてることも……あいつに起こってることも、よくわかんねぇけど」と遠くの時刻環を眺めながら。
「ジェナが女になったのも、あんなに衰弱してんのも原因があるなら……俺があいつを撃って……あいつから、逃げようとしたからだろ。だったら――」
「いやよ」
ラヴァルの言葉を断ち切るように遮って、ヨランドはハッキリと言った。
「言ったでしょ? あんたのことなんてどうでもいいって。仮にあんたのせいでジェニスが女になって衰弱してるっていうんなら、なおさらあんたと一緒になんていさせらんないわよ。あんたの自分勝手な機嫌次第で、ジェニスの調子が変わるなんて冗談じゃないわ」
「そりゃそうだけどよ……」
捲し立てられ、胸を撫で下ろしたようにラヴァルは肩の力を抜く。
その姿にいっそう機嫌を悪くしたヨランドが、さらに問い詰めた。
「あんた……自分が今のジェニスを作ったみたいなふうに言ってるけど、あんたはどうなのよ?」
「俺?」
「期待されて、応えようとしたことないの? それが糧になってるって考えたことない? それって、そんなに悪いことなの?」
ラヴァルは口元に手を置く。
彼のこれまでの人生のなかで、誰かに期待を抱かせたことがどれだけあるだろうか。
それこそ、目の前の彼女が最初だったのではないだろうか。
「あたしは、ジェニスの考えてることは間違ってるとは思わない。そりゃ極端だし、なんであんたなんだろうとは思ってるけど……誰かや、なにかのために尽くす気持ち――それこそ、使命感みたいなものって、大きな力になるんじゃない?」
あんたにもあるでしょ? そんな、夢みたいなもの。
言外に自身の夢を問われ、ラヴァルはハッと目を見開かせる。そして自分が、なにをこんな悩んでいるのかをようやく悟った。
「ねぇよ。そんな、大層なもの」
ラヴァルは、初めてオーレに勉強を教わった日のことを思い出す。
なんのために知識を求めるのかと聞かれ、ラヴァルはわからないと答えた。勉強すれば、わかるかもしれないとも続いた。
その答えを、今日まで見出すことはできなかった。
ラヴァルには夢がない。ただ漠然とした将来の不安だけが、彼の未来に渦巻いていた。
そこにジェニスの存在は、関係なかった。
だからこそ、この道は薄暗いのだろう。
「ああ、そうか」
ラヴァルは俯いて、息を吐く。
寒気に晒された白い嘆息は、石畳へ届く前に淡く消え去った。
「ラヴァル?」
「お前の言う通りだったよ、ヨリィ。俺は逃げてただけだったんだな」
「ようやく気付いたの? クソボケドマヌケアホラヴァル」
「だからこそ……俺はやっぱ、ジェナと一緒にはいられねぇ。少なくとも、今は」
まっすぐと、目の前にいる、黒縁に囲まれた瞳と、視線を結ぶ。
「けど……その代わりつったら押しつけがましいけどよ……最後に、お前らにちゃんと顔向けできるようなことをしたい」
ヨランドは。
「……あっそ」
それだけ残して、ラヴァルに踵を返す。そっけなく返されながらも、ラヴァルは気にせずスタスタと歩き去ろうとする彼女の隣につくと、その神妙な横顔を見つけた。
「ラヴァル。いや、アホラヴァル」
「なんだよ」
「ありがと」
「なにが?」
「おじいさまに啖呵切ったあんたは……まぁ、考えなしだったろうけど……ちょっとは、見直したから」
二月末。気候変動の少ない第五天球都市の、寒空の下。
ほんのり色づく頬に、ラヴァルは気付かなかった。
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