ラヴァルとヨランドⅡ【C.C1795.02.23】

     ◆


「なぜ、この狭い世界で満足しないのかのぅ」


 しわがれた、甲高い疑問が、広い部屋に反響する。


 フェーヴ中央にある都庁……を兼ねる、ドラゴン商会本社ビルの最上階。第三天球都市の岩人から採取される鉄鋼岩――コフィンの装甲材にも使われる高硬度鋼材――を透明加工した窓を一面に張り巡らせることで一番街を一望できる部屋に、背筋の伸びた老人は革張りの椅子を玉座にして座っていた。


「ヨランド……きみの顔を見るたびに、ワシはそんなしょうもないことを考えてしまうよ」

「お言葉ですが、おじいさま……医療技術の発展に伴い、年々フェーヴ都市民の平均寿命は増加の傾向にあります。それに連動する人口増加対策として、未開拓地の調査は必須だという話は、何度もしましたよね」

「人すべてを救おうなどという考えは傲慢じゃよ。人の能力に差がある以上、適正と格差の問題はついて回る……この話も、もう何度もしたかのぅ」


 ラヴァルとヨランドは、ヨランドと同じ菫色の髪の不敵な老人を前に緊張を走らせる。


 ドラゴン商会社長、アルドレス・ドラゴン。


 企業連合国家という形態をなすこの天球都市世界において、一都市を支配する企業の社長というのは、先の王権時代における国王と同じ権威を有している。

 垂れた眉の奥にある王の眼光を受け、ラヴァルの横目にいるヨランドに、冷や汗を流させていた。


「今日は、『お願い』があってきました」

「聞けんの」


 言葉を即座に突き返されるも、ヨランドは表情を崩さずに切り返す。


「すみません。『取引』を、提案しに来ました」

「取引か……なら、話を聞こうかの。この後にも客が来るから、できれば簡潔にの」


 言い直すと、アルドレスは孫を慈しむようににこりと笑ってみせた。

 ラヴァルの頬が引きつる。両親のいない彼であったが、このやり取りが家族らしいとは到底思えなかった。


「ジェニス・ギールの件についてですが」

「おお、聞いておる。あやつはなにかと、話題にするには恰好のいい役者だからの」


 無遠慮な物言いに、二人の顔が強張る。しかしすぐさまヨランドだけ、表情を戻して続けた。


「ええ。彼……いえ彼女のプロリーグ入りは、メディアも待望しています」


 おじいさまの目論見通りに。という嫌味を含ませながら。


「その彼女が、単位不足で留年という憂き目にあえば、来期の盛り上がりに支障をきたすでしょう」

「ほう……して?」

「ここは彼女に特例として、卒業措置を与えるべきではないかと」


 ふむ。とアルドレスは深く息を吐くと顎を上げて二人を見下した。


「つまり……建前の公平性を歪めてでも、きみの擁する狩猟競技選手を卒業させろと」

「今までの狩猟成績から、彼女がジェニス・ギールであることを疑う人間はいません。ならば特例で修正された狩猟成績を戻すことは可能でしょう?」

「そうだとしても、座学の成績はまた別ではないかの。男だろうが女だろうが、ここの生徒である以上卒業単位を満たさない生徒を特例扱いするのはのぅ」

「その建前は、一生徒をメディアの的にした時点で崩れていると思いますが」


 ヨランドの非難のまなざしを受け流すように、アルドレスは顎髭を撫でながら天井を仰いだ。


「ワシはのぅ……別にジェニスくんが卒業できなくとも良いと考えておる」


 その言葉に、ラヴァルは驚愕し、ヨランドはフレーム越しの眉間にしわを作った。


「たしかに競技の盛り上がりを考えるなら、ヨランドの言うことは正しい……しかしの、これを悲劇として脚色すれば、多少の箔はつくものじゃ。そうしたほうが、学園の規則を歪めるよりもコスト効率が良い」


 そもそも。と、顎を上げたままラヴァルを見下す。


「彼女の容態を考えれば、プロリーグでの活躍は難しいだろうて。相方もいないことだしの」

「なんで……?」

「この時期に進路が確定していない生徒はなかなかおらん。突出している分野も持ちながらも……、というのは特にの」

「活躍は問題ではありません」押し黙るラヴァルに、ヨランドは言葉を割り込ませた。

「ジェニス・ギール歓迎の空気に水を差すべきではないと言っています。利益は見込めませんが……おじいさまが始めたメディア展開である以上、おじいさまがリスクの軽減に努めるべきではないでしょうか」

「そこまでいうなら……この取引に、きみはなにを差し出す?」

「開拓課の任命権です」


 淀みなく切り出した交換条件にラヴァルは息を呑む。アルドレスもまた、予想だにしないその提案に感心で返した。


「条件はクリアできていませんが……この三年間でプロデュースした棺持ちのペアの功績は、十分担保にできる信用かと」

「一度切りの権限を行使する代わりに、新設の話を白紙にすると?」

「必要な工房も人員も、あたしが個人で契約したものです。開拓課の新設がお流れになったとしても、おじいさまに損はないでしょう?」

「ふむ……たしかに」


 しかし……。アルドレスは心底理解できないといったように、頬杖に頭を預けた。


「つまり、きみは」アルドレスはラヴァルを指差す。

「将来の利益や部下よりも、今そこにいる友を優先すると」


 話題の渦中に引きずり込まれたラヴァルは、いっそう顔をこわばらせた。


「無様だの」

「なんとでも言ってください」


 侮蔑を述べた祖父に、間髪入れずヨランドは明確な敵意をもって睨みつけた。


「あたしは、あなたのように鉄の心で都民を歯車にするようなやり方を、認めていません」

「落ち着けよ、ヨリィ……!」


 耐えられず、ラヴァルはヨランドの肩を叩いた。


「そんなことしたらお前、開拓の話はどうなるんだよ。今、不憫な暮らししてる下層民を連れ出すって、お前言ってただろうが」

「どっちにしてもあんたたちが卒業できなきゃ意味ないでしょ」

「だからって……」

「ラヴァルくんの言う通りじゃよ。今のきみは感情に振り回されて、人生を棒に振ろうとしている。両親のようにの」

「あんたがそれを言うの……!」


 ヨランドの言葉に、初めて明確な怒気が乗る。

 挑発をするアルドレスに、ラヴァルもまたいけ好かない気持ちが一層に強まる。

 そのなかで、ラヴァルは一つ思いつくと、ヨランドを制しながらアルドレスに言った。


「俺からも、取引いいですか、ドラゴン社長」

「なんじゃ?」


 ラヴァルは、青髪を掻いて「その前に」と言い出した。


「ドラゴン社長に、聞きたいことがあるんだ……あるの、ですが」

「もったいぶるのう……取引内容は簡潔にしてくれんと――」

「バベル、というのを、ご存じですか?」


 文句を上げようとしたアルドレスの言葉が、ふいに止まった。

 ラヴァルからの名前を受けて、まぶたの奥の瞳を開いたまま、彼を観察すると。


「ヨランド、外しなさい」と、固い口調で命ずる。

「いいえ」それにヨランドは立ちはだかるように胸を張った。

「あたしも知っています」

「なるほど。ああ、なるほど……こりゃ失念じゃったわい」


 額に指を当てて、長い嘆息の後……腕を組みなおし、老人はクツクツと笑う。そして側近だけを退室させてから、改まって口火を切った。


「きみがその名を、確信を持って口にするためには、あれらから接触する必要があるわけだがのう……つまり、きみが次の『革命家』なのかね」

「『あれ』だって?」

「言葉を聞いたのなら、わかるだろうて。あれは人ではない。我らが相互理解を深めるために、名と言葉を借りただけのミュータントじゃ」

「知ってるの……んですか」

「ほほう。てっきりあれらから話を聞いたものだとばかり思っとったが……なるほど、虚言ブラフに引っかけられたということか。わしも耄碌したのぅ」


 アルドレスは背もたれに背中を預けると、組んだ手を胸に置いた。


「十日革命は彼らの助力あってのことじゃよ。彼らが各イドのリビルドを組み合わせたコフィンの設計を提案したことで、あの革命は成功したの言ってもよい。コフィンが先の革命に及ぼした影響については、講義済みだったかね?」

 ラヴァルは特に驚かずに、頷く。


 第一天球都市マーリンのイドが、人工妖精を。

 第二天球都市ポセーディアのイドが、スライムを。

 第三天球都市シェリガンのイドが、鉄鋼岩を。

 第四天球都市ウァーパクのイドが、菌糸を。

 第五天球都市フェーヴのイドが、竜の内燃機関を。

 第六天球都市オルガのイドが、ウィル・オ・ウィスプを。

 第七天球都市アラニェは、フレームとワイヤーを。


 七つのイドにのみ現れるリビルドを素材にして完成するコフィンは、十日革命において軍事戦略に多大な影響力をもたらし、かねてより天球都市間での友好の象徴としても扱われてる。これを使う狩猟競技が都市間で権威を持つのにも、これに由来した。


「あれらは、当時航空局を取り仕切っていた我々の前に現れて、同じ提案をした。王権を打倒し、我らに支配者の権利を献上する代わりに、技術の発展を意図的に妨げるようにとな」

「じゃあ本当に……」

「その話をどこで聞いたは……まぁ、よいじゃろう。今さらこの都市の人間たちが、神秘に縋るとも思えんからの」


 ラヴァルはしわの際立ち、歪んだ禍々しい笑みのアルドレスを、注視する。

 ルイの仮説が、この数秒で立証されることに呆気なさを覚えながらも、続く侮りに、彼はいくばくかの納得と安堵を覚えた。


「おじいさま……あいつらはなんなんですか」

「ワシらにもわからぬ」


 そして、あれらにもわからぬ。

 立ち上がり、窓から一番街の街並みを眺めたアルドレスに、二人は眉を顰めた。


「ワシらがわかってることは、バベルとは本来システム……摂理の名前でしかなく、それを管理するエージェントには、年月によって発生した不合理な道理が存在する、ということじゃ」

「不合理な、道理?」


 訊き返すラヴァルを見ず、アルドレスは肯定する。


「そうじゃ、今の状況を振り返ってみたまえ。技術の発展を抑制するという名目のあれらは、むしろこうして開拓の手伝いという矛盾を起こし、システムの道理から破綻した行動を起こしておる。研究開発部は一つの仮説として、あれらはバベルが想定していない不具合だとしたのじゃ」


 あれらは狂っておる。

 そう語るアルドレスの後ろ姿に、しかし恐れはなかった。


「あれらについてわしらが知っていることは、あれらはイドを操り、わしらの技術発展を抑制しながらも、わしらの行動を今も逐一記録しているということじゃ」


 記録? とヨランドは声を上げる。


 そう、バベルの主な活動はイドの管理と人類の技術抑制。

 そして、そんな人類の活動を記録することだ。

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