バベルとドラマツルギーⅠ【C.C1795.02.23】

「つまり、まだプロリーグの夢は諦めていないと」

「ああ。今は少し体調が優れないが……ヨリィの夢のこともあるからね。進路を変える気はないよ」

「世間では、体調面の安定しないジェニス選手のプロ入りに反対する声もありますが……それについてなにか一言あれば」

「な、なにか……かい? うーん……なぁ、ラヴァ。どう思う?」

「くっだらねぇ。どうせ専門家気取りが勝手に界隈を憂いて言いたいだけなんだから、言わせとけばいいんだよ」

「……と、いうことだ」

「あの、できればジェニス選手本人がどうお考えかを聞きたいのですが……」

「いや、すまない。ボクもどうでもいいとしか……」

「そ、そうですか……。プロの姿勢として、とても健全かと……」


 乾いた愛想笑いとお世辞が、病室に静かに響く。ラヴァルはフェーヴ一番街病院のベッドの上のジェニスを写すウィスプの陽炎を、窓枠に背中を預けながら追っていた。


 ふと、入り口に視線を移すと、枠にしがみつくように若い男女――比率的には女性が多めな――が、憧憬の眼差しをジェニスに向けている。そのなかの一人がラヴァルの炯眼に気が付くと、蜘蛛の巣を散らすように退散した。


 臆病なファンの姿に、わざとらしいため息を残して、視線を戻す。


 ベッドの周りには、どこの誰かもわからない贈呈品の数々が積み重なって、小さなフラワースタンドの数々が質素な個室を彩っている。その中心にいるジェニスは、薄い青色の患者衣を身に着けて、続く記者の質問に答えている。後ろでまとめ、肩の前に出した赤髪が、心なしか艶をなくしているように見えた。


 その様子が現実離れしていて――生の届かない遠い世界のようで――胸糞の悪さを隠せず顔をしかめた。


「プロリーグでは、やはりラヴァル・ギール選手とのペアを継続していくんでしょうか?」


 そこにちょうど、ラヴァルのほうを向いた記者の顔がかち合う。


「どうでもいい質問ばっかしてんじゃねぇよ」


 苛立ったまま、眼光がギョッとする記者を射抜いた。


「いつまで病人に構ってるつもりだ。こっちはプロ入り以前に、卒業するかしねぇかで忙しいんだよ。聞くこと聞いたんならさっさと出ていけ」


 ラヴァルの迫力にたじろいで、記者は言葉にならないうめきを二、三度漏らしてから、そそくさと出て行ていく。


「あんな言い方しなくても……」

「お前もお前だ。付き合わなくてもいいインタビューに毎度毎度応えやがって……ヨリィにも控えろって言われてんだろうが」


 たしなめようと口を尖らせたジェニスは、しかしその憎まれ口を聞いて頬を緩ませた。


「なんだ、心配してくれているのかい?」

「俺が心配してんのは」足元に置かれたカバンからノートとレポート用紙を取り出して。

「お前の単位だよ。ここを動けねぇ以上、提出課題だけでもなんとかしねぇとな」

「病人をもう少し労わって欲しいんだけどなぁ……」

「うるせぇ。邪魔が入んねぇうちにさっさとやんぞ」


 にべにもない態度を取るラヴァルに、むず痒そうな表情を見せるジェニス。


 ラウス兄妹との狩猟競技は、フェーヴ中に大きな反響を巻き起こした。


 元から、学生リーグで上位の成績を残すジェニスとラヴァル。その一人が、不幸な事故からの復活を果たし、かつて誰も見たことのない高度なパフォーマンスを披露して競技の場へと舞い戻った。その悲劇性を爆発させたカタルシスが、多くのフェーヴ民の心を打ち……そのドラマの前では、彼が彼女になったことは些末事として扱われた。


 いまや彼女は、来期プロリーグ期待の星と銘打たれ、メディア注目の的となっていた。それを先導したのは紛れもなくドラゴン商会傘下の広告業者であるものの、ヨランドはおじいさまに勝手なことをされたと陰に憤懣を控えて愚痴っていた。


「勉強はもちろんだが、ラヴァ。あれは持ってきてくれたかい?」

「ああ」


 ラヴァルは不思議がりながらも、もう片方の足元に置かれたそれを、ベッド横の棚に置く。


 それは天球都市を模したオブジェだった。ラヴァルの両手にすっぽりはまる程度の大きさで、取り巻く時刻環には目盛りが刻まれており、ゼンマイ仕掛けで現実時間と連動している。この世界で天球時計と呼ばれる機械だった。


「ありがとう」カチカチと鳴る天球時計に耳を傾けながら。

「これがあると、自室に帰ってきたみたいで落ち着くんだ」

「病院の個室を自室扱いかよ。偉くなったもんだな」

「二週間もいれば、愛着くらい湧くものだよ」


 それに。ジェニスは口の端を持ち上げて、からかうような仕草で言った。


「キミがそばにいるみたいで、寂しくないからね」

「そりゃ光栄だね、お姫様」


 世間の期待とは反比例するように、狩猟競技が終了してからのジェニスの体は、しだいに衰弱していった。


 入院して早二週間。ジェニスの病状の原因は未だつかめておらず、授業に出られない彼女には学習単位が明らかに足りていない。


 療養中であっても、休学は休学。授業に出れない以上、レポート提出で単位を賄えるものをなんとか取得しようと、ラヴァルはできる限りジェニスについて勉強を教えていた。


「なぁ、ラヴァ」


 ジェニスは唐突に口を開いて尋ねた。


「ラヴァは、卒業したらどうするんだ?」


 テキストをめくる手が、ふいに止まる。

 ラヴァルにはその質問が、自身の心の内を見透かされたように思えた。


「なんで、んなこと」

「そういえば、聞いたことがないなと思って……」


 ヨランドのセリフが反響する。


 この期に及んで、ジェニスから離れることを話せていない自分に、ふがいなさを覚える。


 突き放してしまえばいいものの、それができないのは彼生来の甘さゆえか、あるいは家族同然である者のよしみゆえか。


 ただここは、うっすらと淀み、鬱蒼な空気で満たされている。


「なんでそんなことを訊くんだ。わかり切ってんだろ」


 精一杯のはぐらかしに、ジェニスはレポートに視線を落としたまま。


「そうか……。いや、なんて……いうか」


 ひたすら逡巡したあとに。


「こんな時だから、口に出しておかないと、不安になって」


 まっすぐな瞳が、ラヴァルを射抜く。


 もしかしたら、ジェニスは気付いているんじゃないか。


 狩猟競技のあの日、実はジェニスは自分とヨランドの会話を聞いていたのではないか。それとも、自分がジェニスを女と直感したように、ジェニスもまた自分が彼女をもとを離れようとしていることを、無意識のうちに直感したじゃないのだろうか。


「そう、かもな」

「すまない」

「謝んなって。おまえらしくもねぇ」


 そう茶化すと、たしかにボクらしくないと納得した素振りを見せる。

 ジェニスらしいとはなんだろう。

 ラヴァルの心中で、疑問が渦巻く。


 狩猟競技の最後に見せた殺劇。フェーヴがその日一番の盛り上がりを見せた大立ち回りは、しかし明らかにこれまでとは一線を画すコフィンの機動だった。


 流麗さを保ちつつ暴力的で、ただ目の前の目標を殲滅しようとするだけの機動。


 あれほどのことをやってのける技量もさることながら、それを可能にするほど、オーレシリーズのスペックは高かっただろうか。

 オーレシリーズはオーレ作の完全オーダーメイドだ。そのため二機のコフィンはラヴァルとジェニスそれぞれの特性に完全に適応できるよう細かな調整がなされている。そこまでしても、ジェニスは今まで、小竜の切り裂けるほどの低空飛行に成功したことがない。挑戦しようとして腕部ブレードを地面に叩きつけて損傷させたことのほうが多かった。


 それを修理するたびに、オーレは物言わないコフィンに無茶を要求するなと怒りを示していた。


 ボクらしいといえば。と、ジェニスはレポートの一つに着手する。

 それは締め切りを目前に控えた、エス構造群仮説に関するレポートだった。


「ボクのボクたらしめているのは記憶だったね」

「ああ」

「ボクの記憶では……ボクはどんな時でも笑顔を絶やさず、余裕をもってみんなと接している」

「ジェナ?」

「なぁ、ラヴァ。今のボクも、同じことができているかい」


 できている。


 ラヴァルの前にいるジェニスは、柔らかく、優しげな笑みを浮かべている。


 それが異常として写らないことに、彼は立ち眩みめいた酩酊を覚えた。


 もっと不安なはずだ。自分が女になった挙句、ベッドから起き上がることもままならないほどに衰弱しているのに。

 次はどうなるんだろうか。目は見えなくなり、息をするのすら苦しくなって……このまま、初めからそうであったかのように、死んでしまうのではないか。


 本能が容易に確信する恐怖を目の前にしても、彼女はいつもと変わらない笑顔を、ラヴァルに向けている。


「疲れてる、みてぇだな。だからインタビューなんて受けんなって言ってんのに……」


 奥歯を噛みしめて、なんとかそう呆れると、そうかもとジェニスは呟いた。


「少し、休んでいいかい?」

「ああ」と頷いて。

「心配すんな。ヨリィやバロも動いてる……また、元気になるさ」


 不器用ながらの気遣いに、肩まで毛布を被ったジェニスは、クスリとはにかんでみせた。


「なんだか……くすぐったいな。キミがこんなに甲斐甲斐しいなんて」

「うるせぇ」鼻を鳴らしながら。

「ちったぁ俺に楽させろよ、お姫様」

「そうだね」


 肯定しながら、でも、と続く。

 それは彼女の喜びから、無意識に出た言葉だった。


「卒業したら、キミに看病される機会なんて、もうないだろうからね」

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