秘密とブリーフィングⅠ【C.C1795.02.07】


     ◆


 ジェニスが女になって初の狩猟任務を終えて一週間後、ラヴァルは再びフェーヴ一番街空港を訪れていた。


 時間は夜。すべての定期便・降下便が業務を終了したこのタイミングで、狩猟競技は行われる。


 ラヴァルは選手が控室代わりのスタッフ用の会議室でインナースーツのまま、木製のイスに腰掛けてテーブルに頬杖をついていた。


「まだ来ねぇのか、あいつ」


 そっぽを向いているせいで独り言にしか聞こえないその質問に、向かいに座って書類を読み込むヨランドが答える。


「スーツの最終調整なんだから、もう少しかかるわよ」

「そうかよ」

「用がないなら話しかけないで。暇じゃないのよ」


 険悪な雰囲気を隠そうともしないヨランドに、ラヴァルは肩をすくめる。

 しばらくの間、暗く刺々しい空気が続いた後、目を合わせずにヨランドが尋ねた。


「ジェニスの調子、本当に大丈夫なんでしょうね」

「暇じゃなかったのかよ」

「うるさいバカクズクソアホラヴァル。さっさと答えなさい」


 眼鏡のブリッジ越しに眉を寄せて罵倒するヨランドに、俺に訊くなよと腕を振った。


「あいつの健康状態はチェックしてんだろ? 俺よかそっちを信用しろよ」

「あたしが心配してるのはフィジカルじゃなくてメンタルの部分よ。覚悟の上とはいえ一度試合で大ケガしたのに、ちゃんと動けるか……」

「あいつなら大喜びだよ。競技で勝てるなら、普通の狩猟任務よりも成績は上がるからな」


 それに。と、ラヴァルは振った腕を戻してドアに視線を向けた。


「動けようが動けまいが、ここで勝てなきゃ卒業は無理だ。それがわかってるから、お前も今回の対戦を受けたんだろ」


 成績発表まで残り約一ヵ月。それまで工学・運用科の卒業資格である狩猟成績を獲得するためには、ハイペースでリビルドを狩る必要があるが、移動時間や棺持ちジェニスとラヴァルの体力を鑑みても、現実的ではない。


 その点で、ラウス兄妹からの狩猟競技の対戦はラヴァルとジェニス……そしてヨランドにとって僥倖と言ってよかった。


 狩猟競技は、最大四組の棺持ちたちが一つの目標を狩猟し、その討伐貢献度を競う。これは第五天球都市を代表するイベントであるため、そこで得られる成績は通常の狩猟任務よりもはるかに高い。本来ならシーズン制で組まれたスケジュールの下で執り行われるが、卒業を控えた今日ではすでにシーズンオフであり、今回は両者の合意と商会の傘下にある仲介業者の了承の下で行われる練習試合として執り行われる。


 だがこれに勝てば、ジェニスの狩猟成績は以前の狩猟任務の三倍近くまで伸び、これからの狩猟任務を余裕を持たせることができた。


「勝てれば、よ。通常の任務はよくても、試合でぶり返す可能性はゼロじゃない」

「だとしても、それを表に出す奴じゃねぇよ」

「じゃあ、あんたは?」


 ヨランドは書類を机の端に置き、顔を上げた。

 ラヴァルは書類を追いかけるフリをして、ヨランドの視線から逃げた。


「なんのこった」

「あんたはどうなのよ。相方を撃つはめになって、普段と同じパフォーマンスを出せるなんて思えないけど」

「なんだ、心配してくれてんのか? ドラゴン商会社長の孫に気にかけてもらえるなんて光栄だな」

「あんたなんかどうでもいい」


 せせら笑う体で放たれた皮肉を、ヨランドはハッキリと切り捨てた。


「ええ、本当に、どうでもいいの。けどあんたが本番でポカして迷惑がかかるのは、あたしとジェニス……あたしの夢に乗っかってくれてるジェニスよ。それを邪魔しないで」

「邪魔なんかしねぇよ。俺だってジェナが卒業できなきゃ共倒れなんだからな」

「そうね、あんたはそう言うしかない。わがままで自分勝手なことしか考えてないクズ野郎のあんたは」


 ここで友情だの恩だの義理人情だの言うつもりなら、ぶん殴ってやれたのに。と制服の袖を捲り手首を添える。そこにある悲痛なヨランドの表情を視界の端にかすめ取ったジェニスは、手首の上で手を組んで、向き直った。


「悪かったよ……けど、俺だって真剣に考えた結果だ」

「『考えた結果』? 逃げてるだけでしょ?」


 立ち上がって、皮肉げにヨランドは見下す。


「この学園に入る前、あたし言ったわよね? あんたたちはイドの中心……未開拓地に進出するため、あたしが選んだ最高の人材だって。だからおじいさまに無理言って、孤児院にいたあんたたちを特待生に推薦して、三年間やってきたのよ? それを……今になってやめたいって? 今になって怖くなったんでしょ!」

「ああ、そうだよ」


 唇を引き締めて睨むヨランドと、視線を結ぶ。

 その真っ直ぐな瞳から逃げようと、彼女と焦点が合わないことに、ラヴァルは気付いた。


 天球都市の由来となる天球の中には、天球核と呼ばれる無限動力が備わっている、とされている。


 されている、という曖昧な表現は、この世界の人間の基準においての話だ。事実、天球都市の中心にある回転機構によって時刻環や地平環は回転しているが、それを確認できた人間はいない。


 原因は唯一の行路であるイドの中心が、全ての神秘が陳腐化したこの世界において未だに、前人未到の地であるからだった。


「未開拓地へロマンを求めた人間が、もう何人も帰ってきてない。需要があるにもかかわらず、商会のやることが安全策の施策や救助部隊の編制だけにとどまってるのは、そこがあまりにも危険すぎるからだろ。なにがあるかもわかんねぇ、錬成釜の変換技術で物資が循環する現状なら、維持するだけの人材や資材があれば十分だからな」


「それでも、柱守がやってるみたいにイドの中心に生活区を作れれば、あんたたちみたいな都合のいい労働力にされてる下層民たちを連れていけるかもしれない」


 それがあたしの夢。拳を握り込んで、ヨランドは俯く。


「その夢に、共感してくれたと思ってたのに」

「共感じゃねぇよ。だけど、すげぇ奴だって今でも思ってる」


 ラヴァルは自身の拳に目を向ける。

 一度力を加えて、ゆっくり開くと、そこには白んだ手のひらが現れた。


「ジェナが、見えるんだ」

「え?」

「狙撃しようとするとな……あいつの瞳が、『撃て』って語りかけてくるんだ。あのことで頭がいっぱいになって……目の前が、真っ暗になるときがある」

 ギィ、と椅子の擦れる音を聞いて視線を戻すと、ヨランドが驚愕の表情で小さく後ずさっていた。


「ああ」とニヒルな笑みを交えて。

「安心しろよ、競技に支障が出るほどじゃねぇ。勝つくらいならどうってことねぇさ」


 けどな。と、胸の奥の煙を吐き出すように、深く長く息を吐いた。


「気付いたんだ……俺はあいつの相棒をやってるつもりで、あいつのすごさに乗っかって、従ってるだけなんだって。そんな俺が、未知の場所をコフィンだけで切り開こうって勇気は……あいつみたいな勇気は、俺にはねぇ」

「それじゃあ」ヨランドは肘を抱いて、うつむきながら。

「なんで、ジェニスに言わないの」


 その問い詰めは、質問よりは非難に近かった。


「こんなゴタゴタの最中に言えるわけねぇだろ」

「ほら、そうやってまた逃げてる」そう吐き捨て、横を向いて座る。

「あたしは言わないから、あんたの口から言いなさいよ。もうこれっきりだって、お前にはついていけないって、ジェニスにちゃんと言えるなら……あんたを商会の警備部に紹介するって話、考えてあげてもいい」

「それは……」

「なに、文句でもあんの? アホバカクソビビリチキンラヴァルのくせに」


 ヨランドが罵倒を捲し立てようとしたその時。


「ラヴァ!」


 バダン、と会議室のドアが勢いよく開かれた。

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