第二章

瞳と言交す【C.C1795.01.22】


     ◆


 その日、ラヴァルはいつものように射撃した。


 そして、外した。


 原因、というほど明け透けな落ち度が、彼にあったわけではない。どれほど訓練を積んだところで、いつどんな時でも完璧に目標を射抜く狙撃手など、幻想でしかない。


 彼に落ち度があるとするなら、ラヴァル・ギールは天才ではないという点だろう。


 その日、ラヴァルとジェニスは狩猟競技による対戦の場にいた。


 目標は竜……フェーヴのイドにおいて定番のリビルド。四足歩行でカエルのように横に長い顔をした、素っ頓狂な見た目をしてしており、翼の代わりに円柱状の突起が背中に並んでおり、そこから網目状のエネルギー体を発するのが特徴だった。


 原因がラヴァルにはないといったが、後に彼はもし自分にもう少し知識があればと責めていた。そうすれば、ジェニスが目標の背をとる戦法を、あらかじめ止めることができたのかもしれないと。


 ラヴァルが射撃を外したことにより、頭から後方へ跳んだジェニスは慣性と重力に従って背中に落下していく。竜音による飛行では滞空することはできない。


 竜は待ち構えるように、エネルギー網はジェニスに向かって広げた。


 葉脈めいたエネルギーの奔流が彼の周りに立ち上り、逃れようと急上昇する前に網は球状に閉じられた。それから背中が縦に割れ、中の器官を露出させた。


 網に捕らわれたジェニスを取り込もうとしているのだろう。ラヴァルには、目標の意図が読めていた。それは事実だ。そのエス構造体は、対象を取り込み解析することを目的としているのだから。


 異様な光景に、対戦相手のペアはたじろいでいる。


 くそっ、とラヴァルは曲げた肘を叩きつけ、射出機構を右脚のプリンタマガジンに接続する。右脚側面に搭載した、プリンタによる弾頭の再生成・装填には時間がかかる。その間に、ジェニスの体は沈んでいく。


 スライムが体を宙に浮かせたまま、青白い発光がジェニスの周囲に瞬く。機体表面とインナースーツ各所に張り付いた菌糸が、パイロットの脅威に反応してエネルギー場を展開している。内部では細長い針状エネルギー――目標を解析するための探針――が、彼に飛来するのを防いでいるのだ。


 ラヴァルはその光景をスコープ越しに眺めることしかできなかった。


 早く、早くしろこのポンコツ。焦りで上がった息を何とか抑える。狙撃に必要なのは冷静さであることをラヴァルは自覚している。それでも、ラヴァルにとってこの瞬間が、不可視の腕が全身のまとわりつくように永遠に感じられた。


 対戦相手のペアも、予想外の事態に困窮している。棺持ちを取り込もうとするリビルドなんてものは今まで例がない存在に対して明確な狩猟法が見いだせていないのもそうだが、競技ゆえの罰則が彼らを及び腰にさせていた。


 狩猟競技において、競技者に対して故意または必要以上の攻撃行為は、規則で禁止されている。


 ここで取り込まれた対戦相手を、竜ごと攻撃していいものか。その場合、試合はどうなるのか。学生の彼らはこの試合で将来の有無が変わってしまう。学生同士の対戦だからといって、第五天球都市の誇る対戦競技で『ルール違反による失格』というという汚名は重くのしかかる。各都市はその行いに失望し、ドラゴン商会を始めとしたフェーヴの企業たちも評価を下げるだろう。そして何より、事情があれ人を故意に傷つけることは、競技理念ひいては今日の天球都市世界が共有する倫理に反していた。


 あらゆる可能性が対戦ペアを縛っているのはラヴァルにとっては不幸中の幸いだが、それは彼にとっても同じだった。


 竜の顔がこちらを向く。ラヴァルはオーレドゥクスを傾けて素早く横移動すると、エネルギー化した触手が彼の元いた場所を鋭く穿つ。雷のような突き刺さる轟音を鳴らすその鞭はそれでも止まず、ラヴァルに向かって振りかざされた。


 ジェニスのオーレアンナが前線を維持し、隙をついてラヴァルが狙撃する。彼らの王道戦術が、ジェニスの捕縛という形で瓦解し、ラヴァルは正面切って巨体と相対する。


 再生成が終わる。右腕部を左腕部に連結してバリスタの形態を取るも、攻撃の止まない竜に対して、銃口を横に向けて回避行動に専念するしかない。


 オーレシリーズ特有の竜音はラヴァルにも搭載されているが、彼はこれを狙撃後の反動軽減にしか使わない。


 使えないのだ。彼の反射神経では三次元の高速移動についていくことはできない。


 そうしている間にも、ジェニスの体は竜の体内へと引きずられていく。


 ラヴァルは考える。次の鞭打の後、素早く発射態勢を作れば、射撃を行える。しかしそれでは狙いを定める暇がない。セオリーに従うなら、狙うのは頭か首。だが、狙撃用の長距離弾頭なら、胴体に直撃すれば致命傷になりうる。


 竜の胴体には、ジェニスがいる。

 八方ふさがりの状況に歯噛みするラヴァル。


 その時、ただ静かに自分を見るジェニスと目が合った。


 中世的な顔立ち、赤く煌めく髪。幼さを残す丸い瞳が、ラヴァルに語りかけていた。


 撃て、と。


 まっすぐな視線が、訴えている。

 ラヴァルは、後方の雷鳴を合図にバリスタを構えた。


 そして、いつものように射撃した。

 今度は外さなかった。


 ジェニスは一週間眠り、目が覚めると女になった。


 ラヴァルは自問した。

 何故撃ったのかと。

 あの訴えが、果たして本当に、自分ごと竜を撃てというメッセージだったのか。


 自分は撃たされたのだ。あの視線に、有無を言わさない、彼の存在感に。


 ラヴァルはそれが怖くなった。

 いつから自分は相棒の隣に立つのではなく、隷属することを選んだのか。


 その弱さを、彼は許せなかった。

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