竜と踊るⅣ【C.C1795.01.31】
大きなトカゲめいた頭部、丸太のような後ろ脚が大地を踏みしめこちらへ近づくたびに大地が轟き、前脚代わりの翼脚が目の前の獲物目掛けて一心不乱に振るわれている。
降下時の暴風よりも、暴力的で荒々しい。
そんな竜の猛進を遮る、燦然とした光があった。
流線形の赤いボディ。スラスターをマントのように羽織るオーレドゥクスに対して、腰部後方に設置されたこちらはドレススカートを想起させる。両腕部と脚部には鱗のように連結して張り付いたブレードが風を切っている。
推定全長十メートルの暴力の化身と、ジェニスは踊っていた。
翼脚が振るわれる。
動きを読んだジェニスが空中のまま回転して身を翻す。
大地が震える。律動に乗り、ジェニスとジェニスのコフィン――オーレシリーズ一番棺・アンナが跳ねる。
瞬間、竜の目の前で光が弾ける。
ラヴァルが上空で見た爆光だ。
ジェニスは竜の頭上で大きく身を反らす。再び爆光が煌めくと、重力を無視してジェニスは斜め下へと加速する。そして間髪入れず光が瞬くと、今度は再び竜の側頭部に張り付く。
スコープ越しで、ジェニスは自分の身よりはるかに重たいコフィンを身に着けながら、舞踏を見せていた。
それを可能にしているのは、リングと球体で自由に移動するスラスターだった。
スライムによって機体を浮かせて移動するコフィンはその性質上、過度な飛行能力を持たない。ゆえに空中移動をカーゴに依存し、陸戦に特化することで、先の十日革命では地上戦力を一掃するほどの戦果を見せつけた。
オーレシリーズはそんなコフィンの空戦能力を補うために、一基で機体を浮かすほどの推力を生み出す大出力スラスターを搭載し、搭乗者の思念によって自由に稼働できるよう設計されている。しかし、スラスターの噴出によって起こる直線的な空中機動を、直感だけで制御することは至難の業だ。
ジェニスを除いて、竜と踊る棺持ちはいない。
ゆえにジェニスは天才を自称し、こと狩猟においてその事実を否定する者はいなかった。
ラヴァルはバリスタを構えなおす。弓とリムを介し、弾頭を固定する弦が引き絞られ、発射の機会を今か今かと待ち構えている。
鼻から息を吸って、口から吐き出す。吐息の白を吐き切るとともに、頭の雑念を漂白する。
集中のルーティンから、冷え切った瞳が狙いを定める。
狙いは頭か首だ。心臓部はフェーヴの工業を支える内燃機関を備えているため、傷つけるわけにはいかない。
スコープのマーカーに、竜の揺れる頭が収まる。
その時、彼の脳裏に一つ、言葉が浮かんだ。
撃て、と。
誰かが言ったわけではない。彼の心が、そう感じただけの言葉だった。
それは言葉ではなく、瞳だった。迷いのない、まっすぐな瞳。覚悟と信頼の瞳。
ジェニス・ギールの瞳だった。
ヒュ、と。ラヴァルの吐息が乱れる。それが合図だといわんばかりに、華麗に猛攻を掻い潜るジェニスにしびれを切らした竜が、大きく体を動かした。
勢いよく翻ると、遅れて巨大な尾がしなりジェニスに迫る。
ジェニスはそれを避けず、むしろ衝突方向へ加速した。
『ジェ――』
ラヴァルが声を上げる前に、ジェニスの構えるブレードと鞭と化した尻尾がぶつかる。
高い硬音。
続けて、低い雄叫びが、空虚な廃墟に響く。
ラヴァルは靄がかる頭を振り払って、もう一度バリスタを構える。
尾が空中へ飛散する。衝突の勢いを利用して尻尾を文字通り切り抜けたジェニスは、竜の足元へ加速してすれ違いざまに脚の裏を切り付け、そのまま垂直に急上昇。遮る翼脚の膜を切り裂き竜の背中へ飛び出す。
本来大地を支える竜型リビルドの脚は硬質だが、反撃によって予想外の痛手を負った竜にとっては浅い傷でさえ動揺のもととなり、混乱のままに顔を上げる。
その上げた面に、ラヴァルはバリスタを放った。
限界まで引き絞った撃針が弾頭後ろの雷管を勢いよく叩いて、爆発が起こる。瞬間、爆発の反動を相殺しようとスラスターが吠える。
爆発とスラスターの咆哮を受けた弾頭は、音の壁を突き抜けて加速すると、天を向いた竜の頭……の、側面を抉った。
それで十分だった。顔の半分を一瞬で削り飛ばされた竜は、咆哮の余韻が収まる前に、灰色の大地に沈んだ。
「は――」と、ラヴァルは目を見開いたまま、吐息を漏らす。
連結を解除してからレバーからを放す。コントロールを失った両腕部はだらりと垂れ下がった。
ラヴァルは自分が信じられないといった顔で、緊張で震える右手をじっと眺めた。
その時だった。
「ラヴァ!」
いつもと変わらない調子と、いつもより高い声音に、ラヴァルの肩が跳ねる。ギュッと右手を握りして震えを抑えると、声の咆哮を振り返る。
振り返った途端、ラヴァルは瞬時に顔を逸らした。
「一発だ! さすがだなラヴァ!……ラヴァ?」
地上に降り立ったジェニスはそのままバイザーを上げてラヴァルの顔色を伺う。
ラヴァルは顔を逸らしたまま、指先をラヴァルの胸元に向けた。
「おや」とジェニスが、その有様を見て感心したような声を上げた。
「少し、無理をさせすぎたみたいだな」
指差された先……ジェニスの胸元を覆っていたインナースーツは、横に引き裂かれ、地肌を晒していた。
「頼むから、なんかで隠せ」
「なにもないが」
「そこら辺の瓦礫でも持ってろ」
「いいじゃないか」
逸らし続ける顔を追いかけるように回り込むジェニスの顔は、いじわるを楽しむ子供のようだった。
「キミとボクの仲だろ? これくらい見られたってかまわないさ」
それからしばらく恥ずかし紛れに嘆願するラヴァルが周りを旋回するのを、ジェニスはその隙間に指をかけて追いかけていた。
◆
竜を狩猟したラヴァルたちは、討伐地点にマーカーを設置してその場を後にした。
前述の通り、彼らを降ろしたカーゴが迎えに来ることはない。降下した棺持ちは、近くの昇降柱まで移動して帰る必要があった。
道中の心配はほとんどない。この廃墟と火のイドでは竜のリビルドが出現するが、その数は多くなくこちらが戦闘態勢を取るまで危害を加えず、一度攻撃を加えた人間以外を追うこともしない。第五天球都市の下に広がる廃墟を陣取る竜が、こうした決闘的習性を持つに至ったか、ラヴァルたちは知らない。
時折、ラヴァルは時刻環の傾きを見上げて、自分たちの場所を確認した。
「もう少しだ」
「そうか……今日中には帰れそうだな」
ラヴァルは曖昧に頷くジェニスを、喉に小骨の刺さった気分で見やる。
竜を討伐して以降、ジェニスの口数が少ないことに、ラヴァルは違和感を覚えていた。いつもならもう少し、自身の動きや相手にしたリビルドについて反省会を行いながら戻るのが日常だったが、今のジェニスは時折破れたインナースーツの胸元を指でなぞりながら、現在地を確認する視線の先を共に見ていた。
「大丈夫か?」
「ん? ああ、なんというか……胸元が空いていると、少し気になってね」
ラヴァルの問いかけにも、とぼけたように首をかしげる。
そんなジェニスの態度に、ラヴァルは少し逡巡を挟んだ後に言った。
「あんま無理すんなよ。てめぇは我慢が上手いんだから、言ってくれねぇとこっちは気付かねぇんだからな」
「大丈夫だって。本当……」
言葉を重ねようと視線を泳がせたジェニスだが、ラヴァルの呆れたような視線に観念したようにため息を吐いた。
ジェニスのなにが天才かと問われれば、ラヴァルは『動体視力と我慢強さ』と答えるだろう。
オーレシリーズに搭載された大出力スラスター『
ここで問題なのは、『耐える』というのが精神的な話だということだ。ジェニスがいくら取り繕おうとも、無茶な軌道をすれば彼女の筋肉は疲労するし、疲労は当然蓄積する。
「病み上がりのせいかな……少し空中制動が上手くいかなかった」
「そうか……」
「けど、今のところそれだけさ。コフィン自体は問題なく動かせる。スーツは、新調しなきゃいけないけど」
冗談めかしに肌色が覗く胸を張られ、ならいいけどよ、とラヴァルが視線を逸らす。
「前みてぇに空腹なのを隠して、なにも言わねぇで涼しい顔しながらぶっ倒れようってんなら、置いていくからな」
「わかってる。キミにはちゃんと話すよ、ナイト様」
「言ってろ、お姫様」
休憩や現在地を確認しながら移動して半日、ラヴァルたちは昇降柱のふもとに着いた。
天球都市は外縁に配置された一〇八本の巨大な柱によって支えられている。外縁には街を構成している地平環まで登れる昇降機があり、そこから航空機を使って街へ戻ることができる。
昇降柱の周りには、小さな集落がある。そこは降下してきた棺持ちの補助をする代わりに都市の政府――各都市の運営する企業――の援助を受ける『
ラヴァルとジェニスは、コフィンを降りると、元の棺の形態に戻して集落に入る。
通り過ぎる子供たちに手を振り、振り返してを何度かするうちに昇降柱の前に出た。
「お待ちしておりました」
継ぎ目のない、のっぺりした黒い材質の壁に、一人の男が立っていた。男はスーツ姿が似合う礼儀正しい所作で挨拶すると、ラヴァルとジェニスは顔を見合わせた。
「バロ、こんなところまできたのかい?」
「お嬢様から伝言を預かっております」バロもまた、丁寧な口調に驚嘆が混ざっていた。
「フェーヴ一番街まで最短のルートに現れるだろうという話が、まさか本当だとは」
「珍しいな、ヨリィが柱守の集落まであんたを寄越すなんて」
「お急ぎのようでしたから」
そう言いながら、男性は上着から便箋を取り出してラヴァルに渡す。
お決まりのように竜の紋様と商会のロゴの添えられたそれを、ラヴァルは受け取った。
「『狩猟競技』の案内だそうです。一週間後に設定されました」
「相手は?」
「トーマス・ラウスと、セラノ・ラウス。向こうからの挑戦を、お嬢様が承諾しました」
再び、ラヴァルはジェニスと顔を合わせる。
驚きを隠し切れないまま期待の笑みを浮かべる相棒を見つけて、ラヴァルも同じく
ニヤリと笑った。
上空では、カーゴの赤い光から、別の光が地上へと線が伸びていた。
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