竜と踊るⅡ【C.C1795.01.30】~【C.C1795.01.31】


     ◆


 飛行機は、今日の天球都市世界において欠かせないインフラの一つである。


 各天球都市を繋ぐ主な移動手段は、空路だ。そしてコフィンを駆る『棺持ち』たちをイドへと降下させるために使うのも、空を飛ぶ輸送機……カーゴである。天球都市は地平環状に複数の街を形成しているが、街には必ずカーゴを飛ばす空港がある。それらにはイドで狩猟を行う棺持ちのために、仮眠室が用意されている。


 空港内部に設えた仮眠室――シャワールームと二段ベッドと、コフィンをマウントする簡易ドックとがギリギリの許容量で収められた狭い個室。


 そこで、ラヴァルは目を覚ました。


 時間は夜中。早朝にはカーゴに乗ってイドの上空を飛ばなければならない彼が起きたのは、部屋の外から物音がしたからだった。


 上体だけ起こして、上段で寝ているではずのジェニスの気配を探ろうとするが、ため息を吐く。梯子を上ってみると、そこにジェニスの姿はなかった。


 梯子の小さな足掛けに座り、ラヴァルは考える。

 ジェニス・ギールを名乗る――自分がジェニス・ギールだと直感した――少女は、彼が使用していたコフィンを起動して見せ、かつ自分の過去について知っていた。

 ヨランドが話したのではないかと考えるも、それが現実的な推測ではないと気付き、口を覆う。


 一年前、ラヴァルは確かに、新しく入学してきた新入生に言い寄ってきた相手を見つけ、それを撃退したことがある。新入生は小柄な女子生徒で、彼が上級生を殴り倒している間に女子生徒は走り去ってしまったことまで覚えている。

 ラヴァル・ギールという男は、自分が思っているよりも不器用だ。長年付き添ってきた人間ならば、彼が暴言を吐いて問題を起こすときは必ず彼の正義に反することが起き、暴言・暴力の責任を第三者に負わせまいと泥を被る真似をするのはわかり切っていた。しかし、一見粗暴で感じの悪いラヴァルの気質を理解できる人間は、ヨランドの他には一人しかいなかった。


 それを知るジェニスと名乗る女生徒は、やはりジェニスなのか。

 仮にジェニスだとして、何故突然彼は彼女になったのだろうか。


 直感と理性が煩悶するのに耐えられなくなったラヴァルは、梯子から背を放して部屋を出る。


 革命後に新築された空港は、城を改築した学園の寮と比べて雰囲気がかなり違う。建築様式を一新した機能的な廊下には装飾がなく、白いタイルと自動灯と暗闇とだけが続く様相に、ラヴァルは未だに慣れていない。恐怖ではなく、自分が異国にいるのではないかという、地に足のつかない感覚だった。


 備え付けられた円筒型の機械と向かい合って、ラヴァルはベルトのシリンダを弾く。

 ゴォンと欠伸のような駆動音を上げ、機械が起動する。顔を出した液晶を適当に叩くと、シリンダの人工妖精が同調した機械側へと反射する。

 機械はラヴァルの指のリクエストに答えて小さく唸ると、下部から紙製のコップを印刷して、中にココアを注ぎ込む。

 それを取り出して、もう一度同じものを印刷すると、カップを両手に持って、飛行場へと出る。


 深夜の飛行場は静まっていた。すでに航空便はなく、遠くから航空機の吐き出すエンジンの嘶きも聞こえず、人の気もない。空になった建物のそばでは、世界にたった一人ではないかというほどの孤独感と寂寥感を生み出す。


 寒気に青髪を撫でられながら、ラヴァルは人気のない飛行場にため息をついて戻ろうとする。

 しかし、すぐに心当たりを思い出すとさらに踵を返して、航空機すらも寝静まった飛行場を堂々と横切り外縁部に設置された展望台へと向かった。


 そこは施設の四分の一が地平環からはみ出た人口の丘だった。外縁にはフェンスが設置されているものの、ここだけは都市の『下』の景色を眺めるために、ラヴァルの胸元あたりの柵と転落に関する注意書きだけにとどまっている。


 階段を上ってすぐ、ラヴァルは立ち止まる。

 ジェニスは、柵に背中を預けて、夜空を眺めていた。

 星明りを受けて、インナースーツ各部に設置されたコネクタが鈍く輝く。赤髪が儚く、しかし一番星よりも確かな光を灯し、その下にある少女の存在を強調していた。


 星々を後光とする姿を前に、ラヴァルは息を呑んだ。


「おや?」


 圧倒されている間に、ジェニスはラヴァルの存在に気付くと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「やぁ」と気さくな挨拶の後で。

「なんだいその顔?」


 クスクスと喉を鳴らしたジェニスに、ラヴァルは「な、なんでもねぇよ」と答えて、ココアのカップをジェニスに手渡した。


「どこ行ったかと思ったら、上着も着ねぇでこんなところにいやがって……」

「ああ。どうしても、寝付けなくて……」


 ジェニスはそう言って湯気立つココアを啜ると、腰に手を当て、胸元に視線を落とした。


「普段はあまり気にならないんだが……寝ていると、どうして胸回りが苦しくなってね……」


 そういえば、とラヴァルは思い至る。制服は女子用のそれを――ジェニス本人の要望で――用意することはできたが、コフィンを操作する際に切るインナースーツは特注のため、以前の男性用のままだった。それで胸な腰が苦しいと感じるのは、つまりそういうことなのだろうと。


「可愛いばかりじゃいけないな、まったく」と、ジェニスは再び夜空を見上げる。

 遮るもの一つともない夜空には、無数の光源が当たりに散らばっていた。

「なぁ、ラヴァル。どうして星は光っているんだったっけ?」

「あ?」


 突然の質問に、ラヴァルは首を傾げてるも、顎に手を置いて視線を泳がせる。


「たしか……太陽の光を反射してるからだろ。天球都市の核みたいに、自分からエネルギーを発する奴は自分から光りだすからな」


 泳いだ視線の先には、時刻環がある。その先にある天球都市の核は、夜の闇の中でほのかに光を漏れ出させていた。

「ああ、思い出した。それをボクが納得できないって言って、キミがなんとか理解させようと模型まで持ってきて……」


 ラヴァルは無言のまま、頷く。

 先に話していたことは、この世界において事実であるが真実ではない。惑星の光るメカニズムは恒星の発する光が原因であるものの、この世界は既存の宇宙概念で動いているわけではないのだ。


「ボクが納得できなかったのは……」

「ああ、たしか――」

「言わせてくれ」


 台詞を遮りながら、ジェニスがラヴァルに向き直る。

 物静かな表情が、ラヴァルに言葉を飲み込ませた。


「ボクが納得できないのは……この世界の外があるのに、どうして人間はこの世界にとどまることを選んで生きているんだろう……ってことなんだ」

「ああ、そうだ」

「だからボクは、ヨリィの提案に乗って、キミと一緒にフェーヴ一番街学園に入った」


 真上に手を伸ばす。星を見上げる彼女の頬を、煌々とした赤がさらう。


「その夢は、今も変わってない。だから、こんなところで躓きたくない」


 ラヴァルには、ジェニスが遠くの星を掴もうと、手を上げているようだった。

 そしてそれを、彼女ならやり遂げるだろうという、確信があった。

 体が女性になろうとも、彼女は間違いなくジェニス・ギールなのだ。


「だから、素直に謝らせてくれ」


 腕を下ろして胸に当てると、ジェニスは真っ直ぐとラヴァルを見据えた。


「ラヴァ……こんなことになって、本当にすまない」


 さっきまでの凛然とした様子とは打って変わって、しおらしく。


「そして改めて、頼む。ボクの夢のために、助けてくれ」


 ラヴァルは。

「はっ」と、笑い飛ばす。

 眩しそうに、目を細めながら。


「今さら、改まってんじゃねぇよ。お前らしくもねぇ」


 そう言って、その小さな肩を勢いよく叩いた。


「俺が原因かもしれねぇんだ。断る理由も、相棒の頼みを受けねぇ理由もねぇよ」

「ラヴァル……」


 ジェニスの瞳は揺れる。そして深く息を吐いて安堵すると、柔らかく微笑んだ。

 その仕草にラヴァルは胸を高鳴らせると、それを誤魔化そうと彼女の隣に立ち、柵に手をかけた。


「そ、そのためにもっ、明日の狩猟はとっとと終わらせねぇとな」


 眼下に広がる景色に、ラヴァルは目を向ける。


 夜の闇に紛れ、ポツポツと蛍火が、地上に広がっている。蛍火を光源として、あたりには崩れた瓦礫や廃墟の影を見え隠れさせている。


 そこは灰色の廃墟群だった。崩れて傾いた高層群がドミノ倒しの要領で他の建物を押しやり、さらにその先の建物が支えることで奇妙なオブジェを作り上げている。誰かが積み上げたかもわからない瓦礫の山に、消えることのないかがり火が、はるか上空にいるラヴァルたちへ光を届けている。


 廃墟のイドと呼ばれる地上の星を、ラヴァルは見下ろす。

 ジェニスは遠くの星空に目を向けたまま、得心していた。


「そうか……そうだな。キミは、ボクの相棒だもんな」

「おう」イドから目を離す。

「遠慮なく頼れよ、相棒。どうせ……」

「どうせ?」


 聞き返したジェニスに、一度答えを戸惑わせる。

 そして彼女が疑念に駆られる前に、もう一度「はっ」と鼻を鳴らした。


「どうせ楽勝だろ、俺とお前ならよ。明日早ぇんだから、さっさと寝るぞ」


 言いながら、ジェニスの肩を押して、空港に戻るよう促す。


 どうせ、これが最後なのだから。と。


 続く言葉を、ラヴァルは胸の奥へとしまい込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る