竜と踊るⅠ【C.C1795.01.30】

「わかってるわよっ! 急だってことは!」


 フェーヴ一番街学園の通信室の一室で、ヨランドは受話器に向かって悩ましげに怒鳴る。


 そこは通信機ごとに仕切りを置いた、簡素で狭い空間の集合体だった。彼女が話しかけている通信機は、カップ状の受話器がコードによって四角い本体と繋がっており、本体上部では、通信状態を表す紫の炎が、陽炎のように焦燥するヨランドの横顔をゆらゆらと照らしていた。


「いや、そこまでするのは……! ええ、ええ……なんとか空いた枠にギリギリ押し込めないかしら……準備? ああ、そうね、ああもぅ忘れてた……! うーん、じゃあ、どっちにしても、か……」


 右耳に取りつけたイヤフォンから聞こえる事態と要望が噛み合わないことを悟ると「わかった、それでお願い。早くね」と悔しさと不服さを隠さず本体に受話器を投げつける。そんな荒れ様を後ろから眺めていたラヴァルは「こっわ」と軽口を叩くと、無言のままキッとレンズ越しに睨みつけられた。


「その様子だと、難しかったかい?」

「今日中の狩猟はね」通信機から離れると、ヨランドは下唇を浅く噛みながら、不機嫌な猫のように喉を鳴らしていた。

「さすがにもう降下便の枠がないって。キャンセルが入ったとしても、降下準備を考えたら明日に回すのがよさそう」

「じゃあ」

「今夜は空港で一泊して、早朝に降下することになると思う」

「そうか……」

「しゃあねぇよ、できねぇもんはさ」


 わずかに視線を降ろすジェニスを、ラヴァルは慰めるよう小さな肩を叩く。


 それからラヴァルとジェニス、そしてヨランドは学園を抜けて街へ出た。


 フェーヴ一番街学園のある街の中央は旧時代と近代建築とが織り込まれた、奇妙な景色があった。レンガ造りの凹凸のある外壁と、鉄鋼岩と呼ばれる石材を混ぜ込み固めたのっぺりした壁が不規則に並び、丁寧に敷かれた石畳を土台とするその風景は、王権社会から二〇年という短期間で急激に技術発展を遂げた変遷を垣間見せる。


 お馴染みとなった景色を流し、ラヴァルは路肩に止まったビークルに声をかけたヨランドの後を追う。


「お前さ、やっぱ日頃からバロに車回してもらえよ。お嬢様のくせに公共の交通機関使ってんの、意味わかんねぇって」

「あたしはまだ学生なの。おじいさまの権力を使って、露骨なお金持ちみたいな真似したくないのよ」


 馬車を一回り大きくし、四輪車にしたような車の後部に乗り込むと、運転手の若い男が笑顔で迎え入れた。


「ご利用ありがとうございます。どこまでですか?」

「フェーヴ一番街空港まで」

「狩猟任務ですか、お疲れ様です」


 運転手は続けて乗り込んだラヴァルとジェニスのシリンダとインナースーツの袖を見て柔和に語りかけると、助手席に座る幼い少年へ厳しい目線を向けた。

 少年はおどおどした様子で首から下げたシリンダを握りしめる。人工妖精が励起し、淡く発光するも、エンジンは駆動することなく車内は静けさに満たされる。


 静寂のなかに、運転手の舌打ちが鳴ると、三人の眉がわずかに寄った。


「おい、もたもたするなよ! なんでこれくらいのことができないんだ! 学のない下層民が、こうやって起動役としてドラゴン商社に採用されてるだけありがたいんだぞ!」


 男の怒鳴り声に、少年は言われるがままに身を縮こませる。

 臆病に震える起動役に運転手が、その愚鈍な様にさらに怒りを燃やす。


「もういいわ」と。

 運転手に向かって、ヨランドは冷ややかに告げた。

「あ、すみません! いつもはこうじゃないんですが……」

「あんたのことよ。もう出て行っていい。こっちで運転できるから」


 はぁ? と。

 間抜けな声を上げ、振り返った男に、刺殺さんばかりの瞳を向ける。


「わかる? あんたの代わりなんていくらでもいるのよ? 貴重な同調者の何倍もね。それがわかっていないあんたの車に乗り気はない」

「なっ! あんた、何様のつもりで――!」

「その就労態度、おじいさまにも報告させてもらうから……明日から、仕事があると思わないことね」


 淡々としたその台詞と菫色の髪で彼女の正体に気付いたのか、運転手の顔がみるみるうちに青ざめていく。

 ラヴァルが一度ビークルを出てから運転席へ回り込むと、目の前でドアが開かれ、悲鳴じみた鳴き声とともに運転者は遁走していった。


「ひっでぇ脅し方」

「うっさい」

「なーにが金持ちみてぇなことしたくねぇだよ。さっきのお前、立派な成金令嬢だったぜ?」

「うっさいって言ってんの! 殴られたい!?」


 主人のいなくなった運転席へ落ち着くラヴァルと拳を握るヨランドをよそに、ジェニスは助手席でわけもわからず呆然とする男子に向かって話しかけた。


「大丈夫、ここのお兄さんもお姉さんも……もちろんボクも、キミに怒鳴ったりしないから」


 にっこりと優しい笑みを向ける少女に男子は表情を氷解させ、プツリと線が切れたように涙を流す。ジェニスは泣きじゃくる少年の頭をそっと撫でてなだめる。


 少年が泣き止むまでしばらく待って、彼を送り届けようと一緒に降車したヨランドを見送ってから、ラヴァルはシリンダを弾いてエンジンを始動させる。調子よく唸るエンジン音とともにハンドルを握りペダルを押し込むと、ビークルは軽快に発進した。


 錬成釜やタブレットのような機械は、人工妖精との同調者でしか操作することができない。各天球都市を取り仕切る企業体は、彼らが都市運営において代替できない重要な人材として重要視している。もともと孤児であるラヴァルとジェニスが、学園において何不自由なく暮らしていることには、そういった理由があった。


「ああいうのを見ると、ボクたちがほとほと幸運だったのがわかるよ」



 助手席に座り直し、外を物憂げに眺めるジェニスに、ラヴァルはそうだなと短く肯定する。


「ヨリィがいなきゃ、俺もお前もあの子供みてぇに、おっさんの言うことをきいてシリンダを起動するだけの歯車になってたかもしれねぇって思うとな」

「なぁ、ラヴァ。ヨリィとは、本当になにもないのかい?」


 ハンドルを握る手に、力がこもる。


「言ったろ、俺とヨリィがケンカするのなんて珍しくねぇって」

「それは、そうだが……」


 歯切れ悪く言葉をこぼすジェニス。

 ラヴァルははっと一度鼻を鳴らすと、街並みの隙間からのぞく、金の円環に目を向けた。


「お前のせいじゃねぇよ」

「ラヴァ?」

「俺とヨリィがケンカしてんのも、急に女になって、単位が足りなくて留年しかかってんのも……それでヨリィが寝ずにそこらじゅう駆け回ってんのも……あん時、お前を撃った俺の責任だ」


 ああ、と。ジェニスは嘆息めいて呟く。


「キミのせいじゃない。あれはボクがやれって言ったはずだが」

「言ってねぇよ」

「目でそう訴えた」

「どうだったかな、覚えてねぇ」

「キミは」


 外から目を離し、まっすぐこちらをジッと見据えられるのを、ラヴァルは視界の端で捉えた。


「ボクに責めてほしいのか? ならゴメンだ。キミが優しいのは知っているが、無用なことでトラブルを抱えるところはあまり見たくない」

「優しいって、俺のどこが」

「一年前、三年生を殴り飛ばした。言い寄られていた一年生を守って、『気に入らなかったからぶん殴った』って言っていただろう?」

「よく覚えてんな」

「キミのいいところを、ボクが忘れるわけないだろ。あまりボクを舐めるなよ?」


 やれやれと肩を持ち上げて、得意げに笑うジェニスを、毒気の抜かれた笑みでラヴァルは返す。


「なら、もうちっと勉強頑張ってれりゃあよかったんだけどなぁ」

「それを言われたら……すまない」


 さっきまでの自身が一転して、体を小さくするジェニスの気配を感じ取ってラヴァルがほくそ笑むと、一番街空港のガラス張りの屋根が姿を現した。


 フェーヴを含めた七つの天球都市は、都市間を繋ぐ物理的なインフラは存在しない。そのため都市間を移動するために航空機を用いることと後述する点から、各都市には必ず空港が存在する。


 ラヴァルは駐車場の端にビークルよりも一回り大きいトレーラーを見つけ、もしやと隣に着ける。ジェニスと一緒に降りるのを推し量ったように、トレーラーの運転席が開き、そこから若い男性が姿を現した。


「お待ちしておりました、ラヴァル様、ジェニス様」


 かっちりしたスーツの胸元にシリンダを差した男性は、二人に恭しく一礼する。


「バロ、オーレアンナはどうだい?」

「先の競技で損傷した箇所は全て修復したと、オーレ様から報告を確認しています」

「はっ。さすが」


 様子を伺うジェニスと、自分のことのように誇らしげなラヴァル。


「それと、オーレ様からラヴァル様に伝言が」


 俺? と自身を指差すラヴァルにバロは肯定して。


「『二度とするな』と『ドゥクスを雑に扱うな』です」


 機械的な流暢さで紡がれた短い言葉の連続に、ラヴァルは顔を引きつらせる。

 ジェニスはあははと含みのある笑みを浮かべながら。


「いちおう、状態を確認してもいいかい?」


 もちろんです、と頷いてバロはトレーラーの後部へと案内すると、両開きのドアを開く。


 コンテナ内の冷えた空気が、ラヴァルとジェニスの間を抜ける。


 天井を走るワイヤーで吊るされたランプがほの明るく照らす内部の両側面には、横向きで張り付いた二メートル前後の棺があった。


 天球都市はその名の通り、天球儀型の建造物の最外端にある、地平環の上に建てられた都市だ。その天球は一〇八柱の昇降柱によって支えられ、地上とは隔離された世界で人々が暮らしている。

 この世界の成り立ちについて、誰もが一度は考える。しかし当人たちが納得する答えには辿り着かない。何故なら、この世界は最初からこのようにできているから、という答え以外を用意できないからだ。


 この世界の神秘と呼ばれるものは、最初からそのようなアセットであると、人々は納得しない。


 そんな人々が解明できないもの――天球都市の基盤やタブレットなどの機械の素材となる、特殊な生態を持つ怪物まで――を、『リビルド』という名前を付けた。


 そしてそれらが生まれる場所である地上を『イド』と呼び、棺持ちと呼ばれる者たちは、棺型の格納形態を持つ拡張探索・戦闘用補助外骨格によってリビルドを狩猟する。


 コフィン。


 表面にはその棺の正式名が、墓標のように記されていた。


 一方は煌びやかな朱色で、『オーレシリーズ一番棺アンナ』。

 一方は奥深い群青色で、『オーレシリーズ二番棺ドゥクス』。


 ラヴァルとジェニスは、お互いのシリンダと同調する。ボゥと、棺の端々から陽炎めいた炎が噴き出すと、固定の外れる重苦しい音を立てて浮き上がる。屹立したまま、地面を拒絶するように底面を浮かせたコフィンは、それぞれの所有者の背後へ位置する。


「うん、問題ない」


 笑みを浮かべるジェニスを、ラヴァルは安堵と疑惑を混ぜた複雑な表情で眺めていた。

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