ビットとエス構造群Ⅲ【C.C1795.01.30】

「ヨランド・ドラゴン」


 行き場のなくした拳をかすかに下ろして、トーマスがその名前を呼ぶ。その口調には憎々しさを泥にして詰め込んだような重々しいものだった。


「商会の犬め……! 貴様が声を上げて、止めに入るのが答えではないか! この女は――!」

「あたしの管理してる選手が殴られるの、見過ごすわけないでしょ! さっさと手ぇ放しなさい! あんたが処分されたいの!?」


 ヨランドは片手にタブレットを抱えて怒り肩で歩み寄り、スカートの裾を不機嫌に揺らす。トーマスはグッと唸り、売り言葉に買い言葉を返そうとするも、セラノに肩を叩かれ渋々手を放した。


 襟を正そうと視線を落とす直前ラヴァルはセラノの胸元にある青色の校章――黄色がラヴァルたちと同じ三年生であり、青色は二年生である――を見つけ、眉を寄らせた。


「騒ぎが起きてるって聞いて、嫌な予感がすると思ったら……復帰早々やらかしてんじゃないわよ、ジェニス」

「助かったよ、ヨリィ」軽くお礼をしてから、ジェニスは続ける。

「違うんだ、今回はボクのせいじゃなくて……」

「じゃあ何? そこのクソバカマヌケアホラヴァルのせい?」


 流れるような罵倒と共に講堂の段差を使って見下すヨランドに。


「なんでもかんでも俺のせいにすんな。あいつらが勝手に突っかかってきたんだよ」

「トラブル起こす奴なんてみんなそう言うのよ」


 侮蔑の表情を隠さない彼女から、露骨に顔を逸らす。


「まぁ、あたしの準備が不十分だったのは認めるけど……」

「準備?」

「さっき、おじい――理事会から、連絡を貰ったの」


 訝しんだジェニスの前に、ヨランドは便箋を取り出す。

 ドラゴン商会のロゴが印字されたそれを見て、トーマスは忌々しく顔を強張らせた。

 フェーヴ一番街学園は、第五天球都市を運営するドラゴン商会の意向によって建造された、フェーヴ唯一の教育機関である。都市民の学力向上と未来の都市経営者……つまり優秀な社員を育成を目的としているここは、学園の運営もまた商会内に専用の理事会を設置して行われている。

 その理事会会長にして、現商会長のアルドレス・ドラゴンを祖父に持つヨランド・ドラゴンは、渡した便箋を指差しながら説明する。


「フェーヴ一番街学園理事会は、彼女をジェニス・ギールと認めることを決定したわ」

「だろうな!」

「最後まで聞いて」異を唱えたトーマスに向き直って。

「理事会は、当人が女性になる前に使用していたシリンダ……その中の人工妖精が彼女に同調したことを証拠にしている」

「人工妖精の同調に唯一性はない! 他に同調する者がいて、それが女だったからこそ、突拍子もない噂を流したのだろう!」

「なにがなんでも疑うのね、あなた……」


 意固地な態度を取るトーマスに、煩わしさすら滲ませてため息を吐く。

 実のところ、トーマスの言い分は正しい。自身に届く思念を目標へ反射する程度の知能しかない人工妖精だが、それでも個体差によって同調できる人間は限られる。人工妖精の同調は素質ではなく、人工妖精との相性によるものだが、これには彼の言う通り唯一性がない。一つ同調できるからといって、別の人間もまた同調できる可能性が捨てきれない以上、ヨランドの上げた根拠の確実性を保証しきれるものではない。

 そこに手を挙げたのは、ジェニスだった。


「証明すればいいのか?」

「なんだと?」

「ボクがジェニス・ギール本人であると証明できれば、キミは納得するのかい?」


 ふいに真っ直ぐな疑問をぶつけられ、トーマスはたじろぐ。いやしかしと逡巡している間に、ジェニスはさらに畳みかけた。


「キミは、ボクがただのか弱く可憐な超絶美少女で、そんな人間が天才ジェニスのはずがないと言うのだろう?」


 言ってねぇだろ……。と端から小さく横槍を入れるラヴァルも無視して、ジェニスはインナースーツによってしなやかさの強調された指を胸元に寄せた。


「なら、ボクが証明すればいい」

「どう証明すると」

「イドに降りて、『竜』を討伐する」


 トーマスは険しい表情で腕を組んだ。

「お前のような小娘が、フェーヴのイドに住まう魔物リビルドを倒せるものか」

 無謀を咎めるトーマスの口調に、「だからこそやる価値がある」と真正面から立ち向かう。


「ジェニス・ギールが狩猟の天才であることを証明できれば、キミだって納得するだろ」

「しかし」

「小娘だというなら、キミに見せつけてあげようじゃないか」


 ジェニスは腕を伸ばし、スクリーンを手で指し示す。図らずそこには、先の問題で使用されていた降下作戦の映像がそのまま残っていた。

 棺のまま空から飛来し、人型の巨人となって襲来するその姿。

 人々が棺持ちと呼ぶその姿を指して、ジェニスは宣誓した。


「天才・天姿・天上天下に轟くジェニス・ギールは、女になっても健在だということを!」


 それは五人しかいない物寂しい講堂に、高らかに響いた。もとは聖堂であった場所であるのも鑑みると、その宣誓にはいっそ、神の忘れ去られた世界に神聖めいた純真さを顕出させた。

 天啓を告げられた四人の使徒は、かしずくことも、祈ることもなく、ただぽかんと口を開けたまま黙っていた。

 やがて……我に返ったヨランドが咳払いが、静まった空気をひとたび起こすと、ラヴァルもまた、依然変わらない、不遜で、雄大な自身の有様に、微かな喜びを滲ませて呆れた。


「大仰な言い方はともかく……理事会も似たようなことを考えてるわ」


 ヨランドは今まで抱えていたタブレットを……少しの躊躇いの後に、ラヴァルに渡す。

 ラヴァルはベルトのシリンダを指で弾いて念じ、タブレットを叩く。黒い画面を映していたタブレットは、人工妖精に同調したラヴァルの操作によって、光を発した。

 タブレットには、ジェニスの詳細なプロフィールと学園内の成績が、入学当時の顔写真と一緒に表示されていた。

 その中でラヴァルが気になったのは、成績欄にある『学外活動による特殊単位』の項目だった。


「ここ」と指差して。

「前はもっと高かったよな?」


 そう問いただすと、苦虫を噛み潰した顔でヨランドは答えた。


「彼……違う、彼女が……この学園に属しているジェニス・ギールであるのは認められた」気まずい表情のまま。

「でも、彼女が以前と同じ成績のジェニス・ギールであるとは認められなかった……女性になったことで、コフィンの操作技術や運動能力などが変動しているはずだってね……」

「つまり……?」

「このままだと、あんた卒業できないわよ」


 おそるおそる尋ねたジェニスの瞳が、大きく見開かれる。

 ラヴァルとジェニスが所属する工学・運用科はコフィンを始めとした機械の開発や運用を専門とする学科である。経営学科や生物学科とは違い、特殊な素質の人間が操縦する機械の習熟や鍛錬をカリキュラムに含むこの学科では、特に訓練が必要な戦闘用補助外骨格による狩猟成績を単位に還元する制度がある。


「そ、それじゃあラヴァは……?」


 愕然とした表情のまま、おずおずと尋ねるジェニス。


「俺は定期試験で赤点を取ったことねぇ……けど」


 そういうラヴァルもまた、気難しい表情で腕を組んだ。

 勤勉なラヴァルと違い、ジェニスの取得単位はこの狩猟成績による特殊単位に担保されていることが大きい。天才を自称するジェニスであるが、それは学業においては例外であることは語るまでもない。


 取得単位が削られているということは、単位不足による留年の危機が迫っている。

 そして先のトーマスが言うように、二人一組で在学を許される特待生制度において、ジェニスの留年はラヴァルの留年をも意味していた。


 ヨランドはラヴァルからタブレットを取り上げると、もの言いたげなトーマスと、その後ろで無関心そうに髪を弄ぶセラノに向けた。


「理事会だって考えなしに権利を認めてるわけじゃないのよ……これで少しは満足?」


 フンと苛立たしげに鼻を鳴らしたヨランドの眼差しを、トーマスは憮然とした表情で受け止めた。


「それこそ茶番ではないか。本来なら退学だというところを貴様たちは――!」

「はいはい、もういい加減にしてください」


 もう何度目かわからない憤怒を制止したのは、傍観者に徹していたセラノだった。


「セラノ……!」

「もう、いいで……しょうっ。これ以上は本当にみっともなくて、恥ずかしいがすぎて死んでしまうのでっ」


 まるで暴れ馬をなだめるように、彼女はトーマスの丸太のような腕を両腕で抱えるようにして講堂の外へと牽引すると、一旦ラヴァルたちに向き直って、恭しく頭を下げる。


「兄さまがご迷惑をおかけしました。ご卒業できるよう、健闘を祈っております」


 教科書を読むトーンで社交辞令を一通り並べてから頭を上げたセラノに、ラヴァルはいけ好かなさと疑念を折半した視線を送る。

 セラノはそんなラヴァルをチラリと一瞥して、兄を引きずって出て行った。


「なんなんだ、あいつらは」


 ラヴァルは頭を掻いて悪態をついてから、呆然と肩を落とすジェニスを見やる。


「ヨリィ」ジェニスは沈んだ肩をそのままに、額に指を置いた。

「卒業までに、ボクはあと何体、リビルドを狩ればいい?」


 そうね。とヨランドはタブレットを遠い目で観察しながら、唇を噛んだ。


「今は一月末……定例通りなら卒業式は三月中旬だけど、成績発表と修了認定までには単位を取らないといけないから……」ブツブツとした考察の後。


「普通の狩猟任務だと、二月末までにざっと二〇頭ってとこかしら……」


 絶望的ね。と、大きく嘆息する。


 狩猟任務にかかる時間は最速でも丸一日。場合によっては一週間もかかる中で、残り一ヶ月の間に二〇頭を狩らなければいけない。


 鉛のような重たい感覚が、ラヴァルの心臓を吊るす。

 しかし、フフッと不敵な笑みを浮かべるジェニスを見て、彼もまた克己した。


「だとしても、やらないわけにはいかねぇだろ」

「ああ。落胆したままの陰気なボクは似合わないからね」


 背筋を伸ばして、凛と立ち直るジェニス。


「それに、ヨリィならすでに動いているだろう?」

「簡単に言うんじゃないわよ、あんたたち……」


 タブレットを肩を置いて、頭を振るヨランドを見て、目を細める。ラヴァルには、眼鏡の奥にほんのりとあるクマが見えていた。


「わりぃな、苦労かけてよ」


 その言葉は彼なりの、本心からの謝意だった。

 しかしヨランドは体をピタリと膠着させ、険しい表情でそれを受け止めた。


「謝るくらいなら」と誰に聞かせる気のない、小さな声で。

「昨日のこと、撤回しなさいよ」


 ラヴァルにしか聞こえない懇願に、彼の表情が曇った。

 脇目を振った彼の視線の先にはヨランドの手にあるタブレット……女体化する前のジェニス――線の細く、中性的な赤髪の美少年の写真――が待ち構えていた。


「狩猟任務の申請はもう済んでる。バロにはコフィンを運ばせてあるから、午後までに臨時休学の申請出しといて」


 ヨランドはそんなラヴァルから背を向けて、ジェニスに言った。


「イドに降りるわよ」

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