ビットとエス構造群Ⅱ【C.C1795.01.30】
声を上げたのは、教室の端で座る屈強な男だった。彼は丸太じみた太腕を組み、奥歯を噛みながらラヴァルとジェニスを横目で睨みつけていた。
「ラヴァ、誰だあれ?」
「いや、俺に訊かれても……」
「惚けるな。オレを知らないわけがないだろう」
男は立ち上がると、獅子のたてがみのような猛々しい金髪を揺らし、他の生徒たちを押しのけるようにかき分け、二人に近づく。平均的な身長のラヴァルよりも一回り大きい体躯が、二人を見下ろした。
「同じ工学・運用科の同じ競技者の名を、知らぬとは言わせんぞ」
男はインナースーツに包まれた手を憎々しげに握り込んで、拳を突き出す。筋骨たくましい手首のブレスレットには、ラヴァルとジェニスが持つのと同じ金色のシリンダが震えていた。
「この威圧感……覚えがある気がする……」
怒れる男の出で立ちにピンときたのは、ジェニスが先だった。
「えっと、ペンドラの重槍モデル……」
こめかみを叩きながら、ポツポツと言葉を零すジェニスに、ラヴァルは続いて気付く。
天球暦一七九五年現在。記録上では、七つの天球都市間や天球都市内での大規模な戦闘行為は行われていない。それでも人間たちは、競争心からなる闘争心のはけ口として、競技……争いを求めていた。
かつて十日革命の要となった最新兵器であるコフィンは、二人一組で獲物を狙う狩猟競技によってその栄光を繋いでいる。人によっては公式で企業の援助を受けて、広告塔として活躍しているものたちのためのリーグが開催されている。
インナースーツとシリンダを身に纏うフェーヴ一番街学園の工学・運用科の生徒は、狩猟競技の学生リーグを争う競技者であった。
「ああ……たしか、トーマス・ラウス」
「白々しい演技をやめろ、下層民風情がやると卑しさが増す」
「その言葉がじゅうぶん白々しくて卑しいですよ、兄さま」
静かな制止が、トーマスの腰から穏やかに昇る。
回り込むようにラヴァルが横にずれると、トーマスの影に隠れるように佇む、小柄な女生徒がいた。
「セラノ」トーマスは女生徒を静かに見下ろす。
「貴様が言ったのではないか、この女がオレたちを騙していると」
「言ってません、曲解しないでください」ため息交じりに呆れながら。
「彼女と教師が事前に打ち合わせしていれば、仕掛けとして成立するって言っただけじゃないですか」
トーマスとは対照的な、腰まで伸びたしとやかな金髪をインナースーツ越しの指を絡ませるセラノに対し、トーマスは腕を振って反論する。
「それはつまり、騙している可能性があるということではないか!」
「ボクは騙してない。あの先生とだって、打ち合わせなんてした覚えはない」
「だそうですよ。ほら、早くここから出ましょう、レポートもしなきゃですし」
「セラノ! 妹よ! 貴様がそんなことでどうする! かの悪逆を許すというのか!」
「悪逆って……ずいぶんな言い草じゃねぇか」
ラヴァルは関わろうとしないセラノの横顔を人睨みした後、席を立ち顎を上げてトーマスの巨躯と胸を合わせた。
「さっきから卑しいだの騙しただのと……てめぇ何様だ、俺らが何したっていうんだ」
炯眼を突き刺されたトーマスは、怯まずにふっと不敵な笑みを返す。
「貴様らの魂胆はわかっている。その女をジェニスの代わりに仕立て上げることで、退学を免れようとしているのだろう?」
雰囲気に気圧された周りの生徒たちが、困惑のどよめきを見せる。
「知っているぞ。貴様たちは本来、この学園の入学金を支払うことのできない下層民だ。それをドラゴン商会の援助によって在学を許されている。ジェニス・ギールとラヴァル・ギールが狩猟競技のコンビであることを条件にな」
トーマスを睨みつけたまま、ラヴァルの眉が寄る。
「それがなんだ。学園の設けた制度でここにいるんなら問題ねぇだろ」
「よくもそんな口がきけるな。貴様がしでかしたこと、オレは知っているぞ」
その言葉に、今度はジェニスの眉が寄った。
「ラヴァが、ボクに何をしたと」
「ほら見ろ! 彼女は知らない! 知らないはずがないだろう、あれだけのことをして!」
無言のままに、ラヴァルは次の言葉を待った。
「彼は、試合中に貴様を撃ったのだぞ! ジェニス・ギールを! 竜をも砕く一撃でな!」
どよめきが一瞬、静まり返る。
すべてが止まった中で、目を伏せたラヴァルは小さく首を振る。ベルトにつけられたシリンダの揺れる金属音が、大きく響いた。
「それで重傷を負い、一週間目を覚まさずにいたそうじゃないか! それを、目覚めたら女になっていたなどと、信じろというほうがどうかしているではないか!」瞳に炎を宿して、トーマスは糾弾する。
「相方が再起不能になったから、代わりを用意したのではないか! 貴様らは商会の推薦によって選ばれた特待生だ。商会が自身の名に泥を被らせないために、こんな真似をしているのだとしたら、これを卑しいと言わずになんと言えばいいか!」
「ま、待て……待ってくれ」
黙っているラヴァルの代わりに、ジェニスは手のひらを突き出して、回りだしたトーマスの舌を止めに入る。
「じゃあキミは……なんだ、ジェニス・ギールはすでに死んでいて、ここにいるボクは偽物だって言うのかい?」
「その白々しい演技をやめろと言っている!」
「演技じゃない! キミ……妹のほうのキミ! 彼、ちょっとおかしいぞ!」
「そうですね、いつものことです。相手にするほうが悪いですよ」
「無責任じゃないかなぁ!?」
我関せずという態度を崩さないセラノに、呆れと軽蔑を込めて声を上げるジェニス。口論を続ける間に、周りの生徒は口々に疑念や不安の煙を立ち上らせ、周囲に伝播させていた。
ジェニス・ギールは突然女性になった。
女性のジェニス・ギールは偽物である。
真実がどうあれ、どちらの言葉が耳障りの良く、また受け入れやすいのはどちらかといえば、想像に難くない。
ラヴァルもまた、目の前の状況と仮定が、理性的になればおかしいことを十分自覚できていた。
「やめろ、ジェナ」
困惑のままに声を張ろうとするジェニスを止める。
「ラヴァ、しかし……!」
「そこの妹の言う通りだ」ラヴァルは努めて冷静だった。
冷静に見えるよう、薄ら笑いを浮かべ、トーマスに言い放った。
「こんなイカレた奴に関わるだけ、時間の無駄だ」
次の瞬間、トーマスはラヴァルに掴みかかった。
教室に爆発めいた悲鳴が上がる。誰かが教師を呼び戻そうと席を立ち、ガタガタと机が鳴る。
胸倉を掴まれたラヴァルは、しかし怯まずに目の前の大男と視線を結ばせる。
「イカレているのは貴様だ」歯を剥いて、トーマスはがなる。
「どこから持って来たかもわからん娘を相方に仕立て上げておいて……誇りある狩猟競技を穢しておいて、貴様は何の良心も傷まないのか!」
「てめぇがどう思おうが知ったこっちゃねぇよ、トーマス」顔をしかめながらも、ラヴァルはなお笑みを崩さない。
「誇り? 狩猟競技なんて企業が戦争代わりにやってる、金稼ぎのお遊戯だろうが。それに矜持だのなんだと手前勝手に吠えやがって……俺たちの問題に、カビくせぇ騎士道精神掲げて口出しするんじゃねぇよ」
「貴様ッ!」
我慢の限界を迎えた大男の腕が振り上げられる。
セラノとジェニスが制止しようと、手を伸ばす。
「やめなさいっ!」
その時、教室の外から、高く鋭い怒号が滑り込んで、騒ぎの渦中を射抜く。
いつの間にか四人だけになった教室が、シンと沈黙すると、全員が怒号の正体を求めて振り返る。
そこには、菫色の髪に黒縁の眼鏡をかけた女子生徒が、腕を組んで堂々と佇んでいた。
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