ラヴァルとジェニスⅢ【C.C1795.01.30】
◆
「よぅラヴァル、今日は早いじゃねぇか」
着替えを終えて、寮に備え付けの食堂へ入ると、ラヴァルは寮生の一人に声をかけられた。
粘土状の万能食をちぎり、口に放り込みながら尋ねる男に適当に返事をしながら、カウンターへ向かう。後を追う男に目もくれずにラヴァルは、カウンターに並んだ食料
黒塗りで艶のない円筒型の装置を見据えながら、腰に括りつけたシリンダを指で弾く。
シリンダ内に存在する人工妖精が励起され、同調したラヴァルの思念を装置へと送信する。彼のリクエストを受け取った装置は駆動して、下部の取り出し口から『印刷』されたパンとスープを吐き出す。
あらかじめ設定したレシピに応じて、ストックしたビットを分解・再生成することで物質を生成する機械から出された朝食は、本物と遜色ない色艶と湯気を放ち、トレイに乗って迎えたそれを、ラヴァルは慣れた手つきで取り出した。
「また図書館か? まだ開いてねぇぞ?」
「ちげぇよ、今日は講義の付き添い」
「誰の?」
「ジェナの」
簡素な言いまわしで、後方を親指で指す。
指差されたジェニスは、スカートの裾を揺らしながら「やぁ、おはよう」と気さくに手を振った。
可憐な笑みに数秒固まった男は、ラヴァルの首に腕を回し、手早い動きで隅まで運んだ。
「なんっだよ……」
数メートル引きずられたところで解き放たれたラヴァルは、トレイをテーブルに置いて講義の声を上げる。
男は憐れむような表情を向けた。
「あのな、ラヴァル……いや、わかるぜ? お前らは特待生制度でこの学園に入ってきたからな……でも、あの美少女がジェニスってのは、さすがに無理あるって」
「無理もクソもねぇよ……信じられねぇ気持ちはわかるけどよ」
言葉を選ぶ男に辟易して、横目でジェニスを見やる。ジェニスは連れ出されたラヴァルに眉を寄せるも、特に気にすることもなく胸元に吊るしたシリンダを弾いて装置を起動していた。
胸に灯る淡い光を見て、男はポカンと口を開けて驚愕し、ほらなとラヴァルが肩をすくめる。
天球都市世界の機械は、シリンダ内に収められた人工妖精と同調することのできる人間にしか扱うことはできない。天球都市世界の加工技術と生産効率の大きな転換点となっている機械技術は、人工妖精との同調者の需要を高めた要因でもあった。
「あれ、ジェニスのシリンダなのか……?」
「みたいだぜ。ヨリィから返してもらったって言ってたからな」
「いや、でも……女、だろ?」
ラヴァルは周りを見渡す。
早朝の食堂に集まった数人の寮生たちは全員、朝食を前に満足げなジェニスを見ていた。
奇異、困惑、興味。
「だからなんだよ。女なら見せもんでもいいってか? ああ?」
ラヴァルは声を張って、下衆さを含んだ感情へと凄む。
静かな食堂に重く響いた声が、ジェニスを覗き見る眼差しを散らした。
「そう怒らなくてもいいぞ、ラヴァ。注目されるのは好きだ」
いや、訂正しよう。と、椅子に座って、足を組んでニヤリと口の端を持ち上げた。
「大好きだ。ボクの美貌に、世界が気付いてくれているという証左だからな」
得意げに、恥ずかしげもなく、ジェニスは宣言する。その朗らかで、滑稽ともいえる自画自賛が響くと、凍り付いた食堂の空気が不思議と緩んだ。
「その台詞……マジであのジェニスなんだな。悪いな、変に疑っちまってよ」
恐喝に慄いていた男が、肩を落として謝る。その声は、納得しつつもどことなく理不尽を覚えているかのような響きがあった。ラヴァルは胸に抱えた居所の悪さをため息で吐き出すと、ジェニスの隣に座り「気にすんな」とだけ言った。
「ってことは、学生リーグ総合二位の天才ペアも、これで卒業確定かぁ……来季のプロリーグには期待だな」
ラヴァルの視線が、食堂の角天井に備え付けられたモニタへと流れる。
そこには、燃える灰色の廃墟を背景に、強化外骨格を身に纏い戦う、二人一組の人間の姿があった。
荒い解像度――未だ映像技術は発展途上だ――の映像の中で人間の一人はレバーを握った腕を振り、背部から伸びる三倍近くの大きさをした腕部が連動する。腕部には五指の機能はなく、代わりに対峙した対象の外皮を貫くための回転機構を有した重槍が搭載されている。もう一方では小さな砲塔を円筒に並べた巨大な重火器を右腕部に備え、重槍兵の背後から援護している。
彼らが対峙しているのは、巨大な竜だった。
推定される全長は十メートル級――大型と分類される――で、胸に亀裂のように裂けた傷からは、白んだ光を発している。トカゲを厳めしくした顔に宿る双眸は、三メートル前後の小さな巨人を鋭く射抜き、口元からは焔がこぼれている。
命を懸ける闘士の戦いを、さらに背景にして、画面にはオッズが表示されている。
賭けの内容は『勝てるかどうか』ではなく、『どのように勝つか』についてだ。
重槍で止めを刺すのか、先に回転砲塔の弾丸が竜の頭を潰すのか。重要資源である心臓への損傷はいくつ程度か、あと何分で決着するのか……。
竜は死を腑分けされるだけの標的であり、闘士はその演出家。
天球暦一七九五年。怪物との戦いは、一方的な狩猟を通過し、すでに娯楽競技の域に達していた。
「まだわかんねぇよ」
「そうなのかい?」
「俺はジェナだと思ってっけど、理事会がどうかはわかんねぇ」
パンを小さくちぎり、口に運びながら小首を傾げるジェニスに、ラヴァルはモニターを漠然と眺めながら、手元のパンを噛みちぎる。
「どっちにしても、今はこいつの足らない学習単位を稼いでおかねぇと」
「悪いな。いつも管理を任せてしまって」
「本当にな。必修以外ほぼ全滅してんの、どうにかなんねぇのか……おかげで卒業間近になって俺まで講義受けなきゃならねぇし」
呆れながら語るラヴァルに、ジェニスは気まずそうにそっぽを向く。緩やかに和気藹々としたやり取りを見て、男は安堵したようにラヴァルに視線を向けた。
「まぁ、ジェニスが無事……無事? ともかく、よかったよ。お前も元気そうだしな」
「ラヴァが……?」ジェニスは丸い瞳で隣を指して。
「まさか、ラヴァもケガをしたのか?」
「ああ、違う違う。こいつ、あんたが寝てる間ずっと調べものしててさ……図書館と寮ずっと行ったり来たりして、その様子ときたら鬼気迫ってたもんで――」
「おい」
底冷えする低い声に、男の語りが凍る。
「人の苦労話は楽しいか? 本人の前で好き勝手語ってんじゃねぇよ」
冷ややかな炯眼と再びの恐喝に怯んだ男は、じゃ、じゃあがんばれよとそそくさと席を立つ。
「素直じゃないんだから」
「うるせぇ」
憮然とした表情を崩さないラヴァルの隣で、スープの皿に唇を当てたジェニスが、照れくさそうに笑った。
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