成仏不動産

鶴川始

※作中の手管は絶対に真似しないでください。

 とある女性不動産管理業者――黒井るるこには明日の午前十時までにやらなければならないことがあった。

 明日の内見の待ち合わせ時刻までに、彼女が成約させたい部屋にとり憑いた悪霊の除霊を完遂することである。



 悪霊がとり憑いた経緯は以下の通りである。

 黒井の同僚の一人が大家に頼まれてネットに掲載するための部屋の写真の撮影を行っていた。この写真はとても重要である。部屋の写り方はネットでお部屋探しをしているお客様のハートをどれだけキャッチ出来るかに大きく影響するからだ。

 真心を写すと書いて写真である。

 入居してみたら思ったより広くない! なんて文句は言いっこなしで、それは大家を真に想う管理業者の真心が部屋の実情に勝った念写なのです。


 閑話休題。その日の黒井の同僚は悪戦苦闘していた。思い通りの物件写真を取るのにものすごく時間がかかっていたのである。

 床に寝っ転がりながらできるだけアオリでの撮影も試した。脚立を持ち込んでできるだけフカンで撮影も試した。同化しそうなほどに壁と密着しながら撮影もしてみた。しかしどれもイマイチ。

 最早広角レンズに手を出して空間をねじ曲げるしか……と頭に過ぎるが必死に打ち消す。先日それを別の物件でやった黒井が大家に怒られていたのは彼の記憶に新しい。そういうの普通に客にもバレるし。


 決心した彼は部屋の窓を開きサッシに腰掛けた。

 撮影しながら彼は薄々思っていた。この窓の外からなら最高のアングルで撮れそうだと。奇跡の一枚を希求する彼は窓の外に身を乗り出す。中高大と陸上で鍛えた彼の下半身は今撮影技術のひとつとして発揮されていた。素人であればとっくに転落しているほどに身を乗り出しても彼の身体からはバランスが失われていない。

 レンズ越しに彼は確信した。

 最高の一枚が取れる――――きっとそれが彼が最期に思っていたことだろう。



 黒井の元に電話がかかってきたのは午後十時過ぎのことだった。

 彼女は会社のデスクで残業を続けていた。大家に提出した広角レンズの写真が突き返されたので、新たに写真を提出したところだった。とても自信のある一枚だった。それはAIを使って作成された物件画像だった。

 画像生成AIで物件の画像を作ろうとすると、一見それらしい画像ならいくらでも出来上がるのだがよく見るとどれもこれもパースがおかしなことになっている。こことここの繋がりおかしくね? 日光の入り方おかしくね? みたいな部屋の写真がいっぱい出来る。客なら騙せそうな気がするが大家には多分すぐバレる。

 彼女もまた悪戦苦闘していた。

 それでもめげずに最高の一枚を追い求め、

 ――――そして完成した。


 即大家に画像を送った。

 画像生成AIで作った画像だとは言わずに。

 電話がかかってきた。

 大家からである。

 秒で怒られた。

 メタデータに入力したプロンプトがそっくり残っていたので画像生成AIを利用したのだと即バレた。


 念写がバレた黒井は諦めて帰ろうとした矢先――電話がかかってきた。


「すいません、なんかお宅の管理営業さん、死んでるんですけど……」


「は? 意味わかんないこと言わないでください。切りますよ」


「六階の空き部屋の内見用の写真撮ってたらしいんですけど急に窓から転落してきて……」


「すぐ行きます」


 即電話を切り、即会社を飛び出した。

 救急車を呼べ、と大家に指示しなかったのは気が動転していたからではない。寧ろ冷静な判断だった。冷徹と言ってもいいかもしれない。人間が六階から落ちても生きていることはある。当然死んでいることもある。というか普通にそっちの方が多い。死んでいる場合は大抵一目で死んでいると判る状態の損壊状況である。法的な話をすれば医者や警察以外に死亡していると判断できないが、それは法的な話である。転落した死体の状況は様々で、首が曲がっちゃ行けない方向に曲がっていたり、胴体が分離していたりする。奇跡的に五体満足で息が残っている場合もある。そんな場合は大家は管理会社に電話せず救急車を呼ぶ。会社に電話がかかってきたということはそういうことである。


「おーまいがっ」


 現場に到着した黒井の第一声はそれだった。

 物件の大家に案内されたマンションの一角で、同僚は無残な姿になっていた。

 どうします、と大家は黒井に聞く。彼は三十代後半で、ツーブロックの短髪で恰幅のいい男性だった。ちなみに黒井は二十七歳独身で、最近は姫カットの黒いロングヘアを保っている。


「警察には電話しました?」


「まだです。俺から電話します?」


「いえ、私からします。私が今発見したことにしますので話合わせてください。とりあえずなんとかします」


 ぴっぽっぱ、と淀みなく警察に電話する黒井。番号は110ではなく懇意にしている交番の番号。懇意と一言で言うには色々ありすぎたが懇意とさせてください。すいません、黒井です。はい、はい。そうです。また死体が……いや今回は孤独死じゃなくて転落死ですね……いつもみたいにサイレン鳴らさずに来てもらっていいですか、検死や鑑識も署の方に話通してもらって……はい、はい……お願いします、はい……。


「とりあえず大島てる回避しました! 大丈夫です!」


 電話を切った黒井は満面の笑みでそう言った。

 確信の籠った物言いだが、実際はそうでもない。警察に静かに来てくださいという要望自体はなんとかなるが、大島てる回避出来るかどうかはまた別の問題である。大丈夫! と断言できるようなことでなくとも大丈夫! というのは黒井の必殺技だった。黒井に限った話ではなくもしかしたら管理営業の一般技能かもしれない。

 しかし結果から言うと今回は奇跡的に大島てるに載らずに済んだ。やるだけやってみるものである。


 新顔の警察官に「管理会社社員? マジで? 賃貸名義代行使って在籍確認会社に所属してることになってる風俗嬢じゃなく?」「私はそれを弾く側ですよ!」と一悶着あった以外は恙なく終了した。

 筈だった。


 六階の部屋に、かつての同僚が悪霊となって住み着いていたことを黒井が知るのは、それから三日後のことであった。



 冒頭に戻る。

 同僚が住み着いて以来、六階の部屋に入居者はいない。

 管理会社の社員が悪霊になってどうすんだよ! 資産価値落とすなよ! という大家の悲痛な叫びにより、黒井るるこは臨時ゴーストバスターとなった。同僚の仕事を引き継いだ彼女に、同僚に手心を加える気は一切無かった。このままだと大家が専任を外してしまうかもしれない。大家からの篤い信頼を保つために黒井るるこは容赦なく同僚の除霊を決心した。

 

 結果から言うと、黒井は惨敗した。

 最初は塩と御神酒から試してみた。俺血圧高めだったから酒も塩もあんま投げないで欲しいね、と悪霊と化した同僚はのたまうが、言葉とは裏腹にいくら撒いても平気の平左である。もう死んでるから血圧も塩分もアルコールも気にする必要ねえだろ! と黒井は叫ぶが、撒いてる側が言うことでもない。そもそもアルコール撒いたら部屋が傷みかねないことに気付き、即中止。


 次はバルサンを焚いてみた。普通にピンピンしてたので会社の倉庫に眠っていたドギツイ殺虫薬を噴霧器に突っ込み部屋に数台据え付けてモウモウと焚いた。しかし同僚は除霊されない。消毒料の名目で上乗せさせるためのアリバイ作りだったのである意味では成果は出ているが、除霊としては完全に失敗。


 自分ではどうしようもないと思い、大学時代に「霊が見える、除霊もできる」と吹聴していた同じ学部だった黒井の知人の女性に連絡を取ってみた。全然連絡が付かなかった。というかそいつは多分留年だか休学だかしてたので一緒に卒業した覚えがない。というか三年の後半くらいから大学で一切見かけなかったことを思い出した。


 最後の手段、黒井は巫女のコスプレをして自力で祈祷めいたことをして同僚を成仏させるのを試みた。ほぼヤケクソではあるが、黒井の私物のコスプレ衣装は豊富である。それらの衣装は趣味ではなく仕事用。オタクの大家を相手にするときにコスプレをしていくと専任にしてもらえる率が上がる(※本人談)ので、彼女の伝家の宝刀と化している。最近はブ○アカの早○ユウカのコスプレの登板率が高い。人気があるからというよりブ○アカの人気のあるキャラのうち彼女が再現出来そうな乳がそいつくらいしかいないだけだった。

 名前は忘れたけど東○に巫女の装束のやつがいたな……と自宅からコスプレ衣装を引っ張り出し除霊を試みる。部屋の中で半紙で作った大幣おおぬさをばさばさと適当に振り回してみた。「そういう風俗のオプション?」と同僚。「やっぱ君管理営業じゃなくて審査通すためのアリバイ会社に籍置いてる風俗嬢じゃない?」と隣で見ていた大家。ウチじゃマイナンバー制度前から通用しなくなってた手法だろうが! と黒井はキレるが、コスプレ除霊作戦は失敗に終わる。


 無情にも内見の時刻が近付いてくる。あと数分もすれば仲介が客を連れて内見に来るだろう。終わった――と諦めた黒井は肩を落とす。博麗○夢のコスプレ衣装を身に纏いながら。


「うわっ、黒井さんなんちゅう格好しとるんですか」黒井を見た仲介業者は狼狽えたような声を出した。ひと睨みして黙らせようと仲介の方を見た黒井は、見覚えのある顔を見付けた。仲介業者の隣には大学時代に霊が見えると言っていた女性が立っていた。


「え? なんでここに居んの?」「いや、内見しに……黒井さんこそなんでコスプレを?」「聞くな。聞くな。聞くな」などのやりとりを挟みつつ内見へ。そういえば種田おいだとかいう名前だったな、と黒井は霊の見える大学時代の知人の名前を漸く思い出した。


 種田の霊感が死滅していることに一縷の希望を見出していた黒井だったが(さっきまでと逆)、部屋に入る前から「この部屋なんか居ません?」と種田に勘付かれてしまった。そんなわけありませんよはははと笑いながら本当になにも知らない仲介業者が件の部屋に入っていくが、玄関付近に居た悪霊と化した黒井の同僚とばっちり目が合っていた。この人全然霊感とかないのに……。


 厭な空気が流れる。悪霊がとり憑いている部屋なのだから、そりゃそうなのだが、そういうのと別の意味で。


「黒井さん」と種田が聞く。「この部屋事故物件ですよね? いくらまで減らしてもらえます?」投げやりになった黒井は「いやもう半額とかでもいいよ。仲介も大家さんもそれでいいでしょ?」と吐き捨てるように言う。仲介も大家も無言で目を伏せる。無言の肯定だった。


「じゃあそれでお願いします」と言った種田は矢庭に「ハァ!!!!!」と言いながら手印のようなものを切った。瞬間「ぎゃああああああああああああああ」と悪霊と化した同僚は消えていった。


「私除霊もやってまして」と種田はこともなげに言った。「これで食ってけるなって気付いたので大学辞めたんですけど、最近同業が多くて。事故物件の除霊屋、欲しくないですか? 相場より安く請け負いますよ」


 黒井は脱力した。しかし即座に復活し、「よろしくお願いします!!!」と管理営業らしい元気すぎる挨拶を返した。


「……優先的に除霊仕事投げるんで、キックバックとかのっけてもいいですか?」とのたまった仲介業者に蹴りを入れ、黒井のゴーストバスター業務は終了した。




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