第21話 目指せ、普門館へ
部長の周りには、おびただしいスコアがバラバラと散らかっていて、本人は頭を抱えて、かなり悩んでいる様子だった、日が傾いているので、表情はよく読み取れないが、大体おそらく苦虫を嚙み潰したように渋い表情をしているのは簡単に想像できる。
そんな、部長に吉田君は、恐る恐る近づいて、気遣うようにそっと
「部長、大丈夫ですか?」
と言うと、部長はひぃぃと、悲鳴を上げた後、私たちの存在を認めたのか、私たちの前にスクっと立って、取り繕うように眼鏡のブリッジを押さえて
「さ、三人ともどうかしたのかな?」
と、笑顔で応えてきたが、それが見かけだけのものであるのが、読心術の心得がなくても判るものだったからなおのこと威圧感があるのだった。さらに教室内は薄暗くなっているので、必要以上に恐怖心すら私たちに与える印象であった。
吉田君は、散らかっているスコアの一枚を取り上げると、しげしげと見つめて、こぼす様に
「ライジング・サン?これって課題曲なんじゃ…」
部長は、諦めたように、ぼそりと呟いた。
「だって、恵子が、みんなの前で模範演奏聴くときに、あらかじめその曲の特性くらい判らないと、アマゾンのピラニアだらけにの沼に生きたまま沈めるから覚悟しろと言われたんだもん。恵子なら、やりかねないから…課題曲のスコア見てたけど、今年の課題曲マーチだけど、みんな、いい曲だね。だと、赦してもらえるかな。どうかな、藤村君?」
と、助けを求めるように、切実な視線を私に向けてきたが、いかんせん相手が悪かった。
「部長、残念ながら、僕はただ黙って部長がピラニアに食べられていくところを指を咥えて見てることしかできませんよ。僕は、初心者だし、副部長が、いいわ。いい判断だわ。と言うとは、短い付き合いですが、思えませんから…」
と、最後、しぼむように小声に私が言うのを聞くか聞かない、部長は頭を抱えて
「嫌よ、私生きたまま、ピラニアに食べられて骨になるなんて、私の人生これからなのに!」
と、言うのとほぼ同時に、音楽室の扉が開いて
「誰が、人生これからなんや、ホンマ終わりにしとこか。」
と、最悪のタイミングで副部長が登場した。無論、十分殺意の波動が音楽室内で充満した。
またしても、部長は、情けなくひぃぃぃと言った後、まるでなかったことの様に精一杯の虚勢を張って
「だ、大丈夫よ。恵子。ぶ、分析は完了したわ。」
と、声と足がガクガク震えている。「部長、副部長でなくても心の中筒抜けですよ。」
と、思ったがさすがに私は思ってはいてもさすがに気の毒に思って黙っていた。
そんな、怯えている部長に副部長はさらにプレッシャーをかけるように、カツカツ足音を立てながら部長に詰め寄ると
「それはいいことや、なら、一体われらにはどの曲がいいんか、教えてもらいましょか?」
と、まさに、断頭台の執行人の様に無慈悲に部長に問い詰めると、部長もやはり命が惜しいのか、視線を泳がせながら、プルプル震えながら
「そ、そう、所謂、芸術的な行進曲だわ、いかにも前衛的ね。あまりにも前衛的で常人には理解できなかったわ。」
そんな、薄っぺらい感想を部長が言うと、まるで猟犬が獲物を追い詰めるように副部長はさらに畳みかけた。
「ホンマでっか。そない理解できないものを、全日本吹奏楽連盟が選んだでっか。ホンマ難儀でんな。」
と、副部長は部長を労うかのように手を置くと、小声でまるで独り言のように
「わからんのなら、判らんと言えや。どうせ、スコア見たり、模範演奏聴かないで一週間遊び惚けていたんやろ。われが誰やと思っているんや。」
と、言葉とは裏腹に神様の様に慈悲深い笑顔をしながら穏やかで優しい口調で言った。副部長はキレている。うん、毎度のことだ。恒例の公開処刑が宣告された瞬間だった。
しかし、副部長は、思い直してか
「とりあえず、みんなが来るから、首洗っといて待ってや、終わったんなら可愛がるさかい。」
と何事もないかのように、死の宣告を告げると、部長は完全に真っ白になって、教室の隅でまさに灰になっていた。
そんな、部長を部員は見て見ぬふりをして、模範演奏会試聴会が始まった。
課題曲 1 マーチ ライジング・サン
2 マーチ 「夢と勇気、憧れ、希望」
3 五月の風
4 ラ・マルシュ
一通り聴いた後、副部長は、部員の前に立つと、黒板にチョークで書きながら
「1は木管も金管も穏やかだけど、それは逆に繊細な曲と言えるわ。ひとつ失敗すれば後戻りできないリスクがあるのが特徴ね。
2はオーソドックスなマーチね。特徴がないのが特徴かしら、その中でどう表現するのかむずかい所ね。
3はインパクトのあるイントロに、印象的なテーマが特徴ね、難易度は高めがネックね。
4は一見簡単に聴こえる曲だけど。スコアを見ればわかるけど細かいところが要求されているから。本当に極めるのは至難の業だと思うわ」
と、副部長は、特徴を黒板に書いた後、私たちを見渡して、おもむろに口を開くと
「これから、投票で課題曲を決めたいと思います、みんな、課題曲の番号だけ書いてそこにある箱に入れてね。」
私は、何もわからいので、単にかっこいいテーマの五月の風がいいと思って3と書いて、投票した。
そして、全員投票が終わって開票してみると…
副部長は、チョークを手に一言、私たちを鼓舞するかのように
「みんな、私たちの課題曲は 五月の風 よ!いざ、目指せ普門館へ!」
と、威勢のいい声と共に大きく3に大きく丸をした。
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