第6話 素敵だと思わない?

副部長は、コホンと軽く咳払いをすると


「実際の吹き方の練習方法は彩でないと駄目ね。ちょっと待ってね、彩を連れてくるから。」


と、にっこり笑って、手を振りながら楽器準備室へと入っていった。


しばらくすると、目の焦点が合ってない、部長がフラフラしながら副部長に手を引かれて連れて来られた。


「恵子は神様…女神様…恵子の言うことは絶対…逆らったら殺される…」


と、ブツブツ部長は、なんだか物騒な事を呟いている。


そして、副部長は、チューバの前に部長を立たせると、笑顔で私に


「ちょっと、待ってね。彩を起こすから。」


と、言った。でも、目は全然笑っていない。変ことを言ったりすると、ただでは済まないと、目で私をお脅していた。


そして、副部長は、部長の前に仁王立ちにすると


「彩、仕事よ!起きなさい!」


と、パンパンパンと三回大きく手を叩いた。


すると、急に部長は、目に生気が宿り正気に戻ったのか周りを見渡して


「え?私が食べようとしたイタトマのモンブランはどこ行ったの?今、まさに食べようと口を開けたのに。取り上げるなんてひどいわ。母さん、どこにやったの?意地悪しないで、私の好物だって知ってるんでしょ。」


と、残念ながら正気には戻ってはいないみたいだった。部長は、独りでイタトマのモンブランを要求している光景を、副部長は舌打ちしながら、誰に言うわけでもなく、小言で


「まだまだ、教育と修正が必要ね。」


と、意味深で物騒な事を呟いた。一体、準備室で何が行われいるのか。謎が謎を呼ぶ状態だった。


そして、副部長はかつてないくらいの真剣な表情で意を決したのか


「こうなれば実力行使よ!」


と、思いっきり副部長は部長の頬を平手打ちした。


ーーーー ぱーーーん ーーーーー


静寂の中、快音が音楽室の中に響いた。


すると、部長は、周りを見渡して


「あれ、私、何をしていたのかしら?」


と、首を傾げて、腕組みしながら考え始めた。


そんな光景を、副部長は満足げに見ながら、聞こえるか聞こえないかの様な小さな声でボソッと


「やっぱり、一番手っ取り早いのは昭和式解除法ね。」


と、言うのを私は聞いてしまったが、やはり黙っているのが正解だと思って、聞かぬふりをした。


そんな、混乱してる部長に副部長は、まるで女神さまの様な慈愛に満ちた笑顔で


「彩、大丈夫?ほら、今、藤村君にチューバの吹き方を教えようとしていたじゃない。忘れっぽいんだから。ダメよ。しっかりしなくちゃ。」


と言いつつ、副部長が私にウインクしてきた。暗に話を合わせろというんだろ。私は、逆らったら何をされるか判らない恐怖で自然と背中に冷や汗がツーッと落ちていくのを感じた。


私は、ぎこちない笑顔でたどたどしく


「そうですよ、部長。これから、吹き方を教えようとしたじゃないですか。」


と言った後、副部長に視線を送ると、渋い顔で睨んでいた。どうやら、残念ながら私の演技力は及第点には遠く及ばなかったらしい。


そんな大根役者の私の演技に疑問を持つわけでもなく、部長は急に天啓が降りたかのように


「そうよ!そうだったわ。ごめんね、藤村君。基本的に金管楽器は、マウスピースっていう、楽器の一部があるんだけどそこから音を出して、その音が管を通って音が鳴るっていう作りになっているんだけど、ちょっと待ってね。」


と、部長はガサゴソと、楽器ケースに手を突っ込んだ。しばらくすると部長はにんまりと笑って金属製でまるでトイレのお掃除用具スッポンのミニチュア版の様な物を天高く掲げて、一言


「まうすぴ~す~」


と、どこかの猫型ロボットの様なセリフを吐いた。


ーと間髪入れず、副部長が部長の脳天にチョップを入れて


「まじめにやりなさいよ!」


と、活を入れたが、部長のメンタルと脳天は丈夫らしく


「なんでやねん!」


と、部長は副部長の肩を叩いて突っ込み返しをしていた。


私は、吉田君が遠路はるばるやって来るくらいの名門の吹奏楽部がここじゃなくて、本当は漫才同好会の集まりなんじゃないかと疑問を持ってしまったが、そんな部長は突然本当に真剣な表情で


「試しに私が吹いてみるわね。よく聞いて頂戴ね。」


と、そのマウスピースを楽器の本体に差し込んで、部長は楽器に唇を当てた。


ー ポー ポロロー ロー ー


と、穏やかでどことなく暖かな優しい音が響いた。その音が紡ぎだすどこかで聴いたことのあるメロディーはどうしようもなく私の心を揺さぶった。


隣にいる吉田君が腕を組みながら感心したように


「パッヘルベルのカノンだね。ソロの定番曲だけど、ここまでの音を出せる人はそうそういないよ。」


と、説明してくれた。さすがにずぶの素人の私でさえも、部長こと松田 彩が相当な奏者であるこに何の疑問も持たないくらい素晴らしいと感心してしまった。


よほど私が呆気にとられているのがわかったのか、部長が満足げに一言


「ね、チューバって素敵だと思わない?」

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