第5話 吹奏楽の愉快な人達
一瞬、シンと静まり返った音楽室の空気を部長はなかったことのように快活な明るい口調で
「藤村創君って言うんだね。経験者かな?何かやりたい楽器とかあるかな?試しに吹いてみる?」
私は、しばらく音楽室内に置いてある楽器を眺めて、知っている楽器より知らない楽器のほうが多くて驚いた。一体、どんな音を出すのかもわからない。
私は申し訳ないように
「部長、すみません。僕、本当の初心者で何もわからなくて…何かお勧めの楽器があればそれをやりたいのですが…」
部長は、眉間にしわを寄せて、腕組みして考え込むように
「本当の初心者ってことは、楽譜も読めないってことだよね。」
私は、ただ黙って首を縦に振ると
しばらく思案していた部長は、意を決したように
「わかった。みんな!この子は、私が面倒を見るわ!」
それを聞いた音楽室内の先輩方は、黄色い歓声を上げて
「さすが部長!」
「よ、姐御!」
「出た鬼軍曹!」
部長は、一瞬、般若の様な鋭い目つきをして
「誰が年増だって!!」
と、足で床を思いっきりドンと蹴ると、音楽室は再び静けさを取り戻して、先輩方は、一斉に首を横に振った。
私の耳には、誰もそんなこと言ってないと思うのだが…私はあえて黙っていた。
部長は、私の腕をグイグイ引いて
「さあ、藤村君こっちよ。」
と音楽室の一番奥にあるちょっとした小学生並みの大きさのある、所謂金管楽器と呼ぶと思われる楽器の前に連れてこられた。
その巨大な楽器の前に部長は、腕を腰に当てて誇らしそうに立つと
「さぁ、藤村君!この楽器の名前判るかな?」
と、ニコニコした顔でグイグイと迫ってきた。
まずい、判らないと言えない迫力がある…しかし、本当に判らない…
途方に暮れた私の隣にいつの間にか吉田君が現れて
「部長、バス別名チューバですよね。」
部長は、会心の答えで機嫌が最高潮になったのか満面の笑顔で
「そう、その通り!正解!100点満点!」
と、吉田君に指をさし
「みんな、ペットとか、サックスとか行きたがって、誰も見向きもしないのよ…それに…」
と、部長は一人でブツブツ言っている中、周りの先輩方は
「ああ、また始まった。」
「また、自分の世界に行ったわね。」
「やだわ、また面倒な事になったわ…」
と小声で囁いている。
そして、部長は急に大きな声で
「ねぇ、藤村君判るでしょ、この楽器の気持ち、ねぇ、ねぇ!」
と、興奮した状態で、私に迫ってきた。拒否権がない私は、思いっきり首を縦に振ると
部長はテンションが最高潮になったのか鼻息を荒くしながら
「そう、それさえわかれば、藤村君は数少ない選ばれたチューバ吹きよ!合格!」
と顔を真っ赤にして私の背中をバンバン叩いた。
その時、部長の後方から綺麗なストレートロングの穏やかな目をした先輩が現れて
「彩、いい子、いい子。わかってるわ、うん、わかってる。ちょっと休みましょうね。」
と、部長をなだめながら、グイグイと強制的に楽器準備室へと連れて行った。引きずられている間部長は、興奮しながら何かを叫んでいた。
しばらくすると、急に準備室から部長の叫び声が聞こえなくなり、何事もなかったかのように涼しい顔でその先輩が準備室から出てきて
「申し遅れてごめんなさい。私、新谷 恵子 と言うの。ここの副部長をしているわ。担当はフルートね。」
私は、恐る恐る副部長に
「あの…部長は…」
副部長は、立てた人差し指を口に当てて
「内緒…大人の秘密よ。」
私は、その秘密が知りたいと思わざる得ないが、何事も知らぬが仏と言ったもので、あえて追及するのを諦めた。
そして、仕切りなおすように副部長は
「チューバは、主に吹奏楽では、低音を担当していて、まさに吹奏楽でいう土台の役目をしているわ。所謂縁の下の力持ちね。ドラムセットで例えるなら、キックドラムみたいな所ね。大きい楽器だから、その分、楽器を鳴らすにも結構な肺活量が必要だわ。その点、難しいリズムは多くないから、楽譜を読むにはそんなに難儀しないと思うわ。ただ、メロディーラインを吹く機会はあまりなくて地味…」
その時、部長が準備室から飛び出してきて
「何を言っているの!恵子!チューバがなかったら、そもそもバンドとして成り立たなくて地味なんて…」
そして、何かを叫ぼうとしている部長を副部長が、まるで掃除でゴミ拾いをするかの様に、鮮やかな手業で拘束して、
「彩、わかってる。わかってるわ。さぁ、行きましょう。行きましょうね。休みましょうね。」
と、なだめながら穏やかな口調とは正反対に強引に準備室へと連れて行った。
しばらく部長の叫び声が続いたが、急に静かになって、副部長が準備室から出てきた。
「彩が言っているように、チューバは目立たないけどとても重要な楽器なの。それを忘れないでね。」
と、副部長はにっこり微笑んだ。
これが、私の吹奏楽部での個性的なスタートとなった。
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