第7話

『お父様……こっちに来て下さい!』


 私---セバスがロベリア様に命を救われたのは、今から十数年前のことだった。

 魔物の討伐でヘマをしてしまい……死にかけていたところをロベリア様が発見してくださった。当時のロベリア様は三歳ほどだったか。


 幼い少年に命を救われた。

 騎士が何よりも大事にするものは忠義。そして命は決して他に変えようのないものだ。……私はロベリア様に忠義を尽くすことを決めた。


 当時は王国騎士団の団長を務めていたが、元々私は騎士団を退くつもりだった。

 団員に続けてくれとせがまれ……誤魔化しながらやってきたものの、今回の件ではっきりと騎士団を抜けるべきだと痛感した。


 騎士団のみんなには申し訳なかったが……私は騎士団を抜けて、グリーズレット家お抱えの執事となったのだ。


 ---今でもあのときの選択を後悔はしていないが……少々思うところはある。


 ……ロベリア様が小さいときは良かった。

 当主様もお優しい方で、私のような無骨な戦士を暖かく受け入れてくれた。改めて惜しみない忠義を注いでいこうと考えていた。


 ……しかし。

 年月が経つにつれて当主様は変わってしまった。

 王国の政治に明け暮れて、どうすれば己の立場を向上できるかだけを考えるようになった。当時の面影は何処にも残っていない。


 当主様は己の家族すら政治の道具と考えるようになっていった。

 その影響もあってか……心優しかったはずのロベリア様は、他者を見下すようになっていき……王国の宮廷内でよく目にしていた、自分の利権しか考えていないような貴族の姿に近付いていった。


 もう、グリーズレット家は駄目かもしれない。


 そんな折だった。


「帝国に亡命したいから協力してくれ」


 ロベリア様がとんでもないことを言い出した。


 ……何があったというのだろうか。たしかに最近は会話も減って、ロベリア様の心情を汲み取れる機会など無かったが……。

 とりあえず私はロベリア様に質問することにした。


「差し支えなければ理由を聞いても?」

「別に構わん。このままだと……殺されるからだ」


 殺される? 一体誰に?

 念の為に聞き返すと、彼は真剣な表情で頷いた。

 私は長年の経験からある程度は人の嘘を見抜ける。……表情を見るに、どうやらロベリア様は本気で殺されると考えているようだった。


 心当たりを探したが……思い当たる節はない。

 グリーズレット家はまだ暗殺をされるような立場にない。強いていえば当主様---父親に殺されると考えたのかもしれないが……。


 とはいえ、亡命は止めなければいけなかった。

 帝国は実力主義の国だ。今まで自分で金を稼いだことすらない貴族の息子が、厳しい他国で生きていけるとは到底思えない。

 一旦は賛同したように見せ掛けて、その間に納得させる方法を考えよう。


 私はそう考えていたのだが……直後にロベリア様は、私を元騎士師団長だと指摘して、剣術の修行を依頼してきた。


 屋敷の中で、そのことを知っているのは一部の人間だけだ。

 ロベリア様は覚えていらっしゃらないはず……現にこの数十年でルーク様の口から騎士団長の言葉が出たことはなかった。


 ……本当にいったい、何があった?


 つい先日まで使用人に対して暴力を振るっていたロベリア様とは違う。

 まるで……あの時のロベリア様が帰ってきたような。そんな気がしていた。


 私はロベリア様の依頼を受けることにした。

 厳しい訓練で帝国への亡命などという妄言を撤回させようという考えもあったが……今のロベリア様なら、という淡い希望も込めて。


 訓練初日。予想は良い方に的中した。

 騎士団流の訓練は初日から限界まで肉体を追い込む。最近のロベリア様は訓練に熱心ではなかったので、すぐに脱落すると思っていたのだが……彼は「前世の社畜生活に比べればマシだろ……!」と謎の言葉を呟きながら訓練をやり遂げた。


 まさかと思った。

 今までのロベリア様であれば、訓練を途中で投げ出していたはず。

 ……ただ、まだ一日目。騎士団でも脱落者が出てくるのは、ここからである。


 しかし、ロベリア様が諦めることはなかった。

 むしろ積極的に質問を投げかけてきたほどで、何処でそんな知識を覚えたのか……呼吸法や食事について質問をしてきた時には心底驚いた。


 彼は本気なのかもしれない。


 そうして一ヶ月が経過した。

 訓練はいまだ続いている。


 最近のロベリア様は指示されたことで精一杯だったはずのメニューを軽々とこなしている。初日と比べると、かなりの成長ぶりだ。

 ……とはいえ、まだまだ訓練は足りていない。騎士団の隊長クラスや中級の冒険者には好戦すらままならないだろう。


 だがそれは……剣術だけでの話だ。


 ロベリア様は剣術ではなく、闇魔法に長けていた。幾つかの型を教えている間に、ロベリア様は闇魔法を上級まで会得していた。


 異常だった。

 才能のある人間が何年も血反吐を吐きながら努力して、やっと修めることができる。それが上級魔法に対する一般的な見解のはずだ。


 これまでに何人もの魔法使いを見てきたが……10年間真摯に魔法に向き合って、上級魔法を会得できないやつなんてザラにいる。


 ……アレンとかいうクラスメイトがそこまで優秀だとは思えない。

 ロベリア様は魔法も剣術も一ヶ月前から本気で取り組み始めた。一ヶ月かそこらで他人に上級魔法まで会得させられる人間は、それこそ賢者のような天才だろう。


 それに闇魔法は他の魔法と体系が異なり、習得するのはかなりの難易度だそうだ。

 ロベリア様は、そんな代物を独学で上級まで。

 私はゾッとした。

 ……ロベリア様はどこまで強くなるのだろう。

 この時点で私から、ロベリア様の亡命を止めようなんて考えは無くなっていった。


 さらに一ヶ月が経過した。

 私は信じられない光景を目にする。


「どうした?何を見ている」

「いえ……その魔法はいったい」

「ああ、これか。オリジナルの闇魔法がついに完成したんだ」


 とうとう彼は、オリジナルの闇魔法を完成させてしまった。

 オリジナル魔法は世界に一つしかない自分だけの魔法で、作成するには深い魔法理解が必要だ。誰でにも作れる代物じゃない。


 ここまでくると流石の私でも理解する。

 ロベリア様は……天才だ。

 にしか収まらない器とは決定的に違う。……剣聖や賢者のような理外の化け物と同所にロベリア様は存在している。


「とはいえ、剣術の方はまだまだ足りん。引き続きよろしく頼む」

「か、かしこまりました」


 かといってロベリア様は現状に満足していない。

 自分に足りないものは全て吸収し、何処までも突き進もうとするロベリア様を見ていると……ふと、私の中にこんな思いが湧きあがる。


(もしも今のロベリア様が、グリーズレット家の当主についたのなら……)


 それは考えてはいけないことだった。



 自分を諌めながら日々を過ごしていると……更に一ヶ月が経過した。今日はロベリア様が帝国に亡命をする決行日。あっという間だ。


 相変わらず、ロベリア様の決意は固いようで、長年暮らしてきた王国から抜け出すというのに……彼は普段と変わりない様子だった。


 死亡偽装をするため魔物を狩ることになり……ロベリア様はフォレストタイガーと戦闘することになった。あいつの討伐難易度は中級の魔物内でも上位に入る。私でも手を焼くほどの強敵だ。


「チッ……剣術だけじゃまだ無理か」


 ただ……今のロベリア様なら楽に勝てる相手だ。

 剣術だけで挑むのなら難しいだろうが、ロベリア様には闇魔法がある。簡単に勝負は決まるだろう。


 予想したとおりに……ロベリア様は圧勝した。

 オリジナルの闇魔法。【闇の槍】は正直なところ畏怖すら感じるほどの出来栄えだ。フォレストタイガー程度に遅れをとることはない。


 魔物を蹂躙したロベリア様の姿に……私は何故か思いが込み上げてきていた。

 ロベリア様が当主についたのなら……きっとグリーズレット家は再建される。それどころか以前よりも素晴らしい貴族家になるのではないか。


 ……しかし、そんなこと言えるわけがなかった。

 これからロベリア様は他国に亡命するのだ。少し自制が効かなくなったが……私は込み上げてくる言葉を何とか腑に収める。


 ふとロベリア様から声を掛けられた。


「セバス」

「はい?」

「俺は……お前の忠実な働きに感謝しても仕切れない。お前が居なかったら三ヶ月でここまで到達することはできなかっただろう」


 ロベリア様は真剣な表情を浮かべていた。


 三ヶ月の礼を言われただけだ。団長をやっていたときも、団員や民衆から何度も言われてきた。


 ……そのはずなのに、ロベリア様からの感謝の言葉は、まるで甘露のように私を内側から痺れさせた。自分でも理解できないが……ロベリア様の言葉ひとつで、私は至上の喜びを感じているらしい。


「……ロベリア様……御武運を、祈っております」


 私が口にできたのはこれくらいだった。

 お辞儀をして誠心誠意でロベリア様を見送る。彼ほどの人物を私如きが留めていいはずがない。私は心の底からそう感じた。


 頭を上げると、ロベリア様は居なくなっていた。

 フォレストタイガーの死体が地面に転がっており……私は屋敷に戻ることにした。


 私ができるのはロベリア様の行く道を邪魔しないよう、お手伝いをするだけ。私は当主様にロベリア・グリーズレットの死亡を伝えた。










































































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