お姉ちゃんの憂鬱

芳乃しう 

お姉ちゃんの憂鬱は

昔からお姉ちゃんは口酸っぱく僕に対してこんな事を言っていた。

「Just do it」

と。お姉ちゃんは純日本人である。続けてこう言った。

「継続は力なり」

さっきと言ってることが違う。英語と日本語に分けた理由は何だ。どうにも一貫性がない言葉だったが、しかしこの二つの言葉は僕の人生で道標になっていた。何をするにもまず初めてみる、そして続ける。勉強が続けられたのも、楽器や部活を続けれたのもこの言葉のおかげだったと思う。お姉ちゃん自身もこの言葉に励まされていたのか、習字で『just do it』、『継続力也』と書かれた半紙が部屋の至る所に貼られていたのをよく覚えている。

「やらなきゃ‥‥‥やらなくちゃいけないんだ‥‥‥」

呪詛かと思った。大学受験の時にこの半紙の数と呪詛を唱える回数はピークを迎え察するに自分の言葉に縛られて大変な思いをしたらしい。机への打撃音は藁人形に釘を打つが如く響き渡り一階リビングで食卓を囲むほか三人は責任の所在を次第にあやふやにするようになった。受験勉強をけしかけた母さんですら娘の狂気から次第に目を背けるようになり父さんはそんな姉の姿を見て

「仕事あるから……」

と書斎に引きこもった。酷い話である。そんな訳でゼウス(しば犬)とクロノス(三毛猫)、そして僕(小学生)が三人(犬? 猫? )体制で姉と対話を行っていた。最初のうちは我々に泣きつくだけであったが受験勉強も追い込みの正月の時期になると、親戚が多く集まる中で自分だけ部屋に閉じ込められている状況にいよいよ限界が来たらしい。受験に係る教材一式を庭に投げ捨て暖を取ると言ってキャンプファイヤーを始めた。渋谷の中央寄りで行われた限界キャンプファイヤーは瞬く間にインターネットの世界を駆け巡りもう色々限界だった。引っ越しもした。しかしそんな限界を超えた努力もあって、お姉ちゃんは第一志望の大学に合格した。念願叶ってお姉ちゃんは解放されたのである。母さんと父さん、そして僕の三人も解放されたと言える。しかしここからが真に問題となるところであった。引っ越しをしたことによりお姉ちゃんはあの『just do it〜継続は力なり〜』部屋から否が応でも離れることになった。ここからお姉ちゃんの新しい人生が始まる。誰もがそう思い、入学式の日は祇園に宴会会場を取り親戚総出で宴会を行なった。ジジイ連中が騒ぎたかっただけの入学祝いパーティで居心地が悪そうにオレンジジュースを啜るお姉ちゃんをよく覚えている。それが直接の原因かは因果関係を精査する必要があろうが、お姉ちゃんの大学四年間は何とも金箔になる前の引き伸ばされた金のように薄っぺらなものとなってしまった。端的に言えば燃え尽き症候群に陥ってしまったらしい。ふらふらと風の吹くままに大学生活を送っていた。河原町に行くと一言言い残し帰ってこなかったと思うと貴船神社で発見されたり、お酒が飲める歳になると夜中まで帰らないことが多く木屋町の芝生で発見されることが度々あった。学問を疎かにし、しかしその場しのぎのハッタリやかませに関しては天賦の才があるらしく単位を落とすことはなく、サークル内でもただ酒を飲むための策を百は持っていたというのはお姉ちゃん本人が言っていた話である。本当かは疑わしい。

「私はもう十分やったんだ」

この言葉が大学三年生辺りからの口癖になった。おそらく就職活動に対する一切の情熱がない事を表明する言葉であり、かつて『Just do it』と僕に強く語っていたお姉ちゃんはもうそこにいなかった。どこか遠くを眺めながら鬼ころしをストローで吸い、クロノスを撫でるお姉ちゃんは、親戚に一人はいる『何をしているかわからない人』になっていた。責任は誰にあるのか。目を向けすぎ、しかしだからこそ目を逸らしてしまった母。仕事を理由に姉と向き合わなかった父。そしてどうすることもできなかった僕。ゼウスとクロノス。放任主義は優しさなのだろうか。お姉ちゃんは大学を卒業し、ニートとなった。もうすぐで二年になる。


何も時間を無碍にしていたわけではない。確かに大学の授業は興味のあるもの以外ほとんど出ていなかったし風見鶏が如くふらふら右へ左へ右往左往していた。だが私は何もしていなかったわけではない。むしろ普通の大学生よりか勤勉に勉強をしていたと言える。晴れた日には哲学の道で神話を読み、雨の日には河原町のリプトンでScienceの起源についてその終わりなき学問の地平を歩いていた。大学におけるこうした私のような達観した学生は、畏怖と敬意と侮蔑の意味を込めて「教養人」と呼ばれていた。一年が経った頃、私は一人の先輩と出会うこととなった。とある日のことである。戯れに岡崎公園を歩いていた時、私はある人物に声をかけられた。京都国立近代美術館の前に差し掛かった時のことであった。腰ほどの長さの黒髪に、死んだ魚のような目、その下にあるクマは慢性的な寝不足を思わせた。スラッとした痩せ型の体型にそれを包み込むような白衣、そして口元にはタバコ。残念な美人というのが第一印象だった。第二印象は「関わりたくない」だ。

「こんにちは、私の名前は茅ヶ崎綾瀬。今は大学院の一年生。あなたは鎌倉片瀬さんで合っているかしら」

そう言って残念美人もとい茅ヶ崎綾瀬はタバコをポイ捨てした。私は咄嗟に手を出してしまった。左頬を平手打ちされた彼女は鳩が豆鉄砲をくらったような顔を一瞬したが、白衣の内側に忍ばせていた缶コーヒーの缶の中に吸い殻を捨てた。

「聞いていた話より随分武闘派なのね……」

「私は煙草を吸う事に対して思うところはありませんが吸う方のモラルについては思うところはあります。京都の景観を汚すヤニカスは積極的にしばくのが吉です」

茅ヶ崎さんは私の説教を聞いた後、少しだけ悲しそうな顔をした。彼女の名前は私の知るところであった。学内随一の「教養人」として知られる一方、彼女の所属する映画サークルは度々いい意味でも悪い意味でも話題に上がるのである。抽象化されすぎてもはや映画的キュピズムの領域に達したとも評されるその作品は鑑賞者の誰一人として理解できるものはおらず、私も昨年の学年祭で彼女のサークルが作る映画を見たが、やはり理解の及ぶことはなかった。

「ごめん、気をつけるよ」

小学生のように謝る先輩は少し可愛らしかった。

「何の用でしょうか。私はこれから美術館に入る予定ですが」

「ちょうどいいわ。私も美術館に入るところだったの」

「実は京都市動物園に行くつもりなんです」

「私も」

「平安神宮にお参りするんです」

「分かったわよ。奢るから一緒にenfuseに行きましょう」

「行きます」

「現金だねぇ……」

お金のない大学生にとってタダより魅力的なものはないのである。

「私のいるサークルに入らないかしら」

茅ヶ崎先輩は唐突にそう言って、私に手を伸ばした。

「入ります」

私はその手を受け取った。それは先輩の顔を、近くで見るためでもあった。


そうして私は二年生の初めに映画サークル「バナネ」に入った。フランス語では『アホ』を意味する言葉らしい。サークルのメンバーは軒並み教養人で構成されていた。入学と同時に『善の研究』を読破した者、数学の勉強のしすぎで四次方程式の解の公式と結婚したもの、漫画の重量で下宿を破壊した者。多種多様な教養人がそこにいた。彼らに共通しているのはやはり大学という機関とその期間に対する危機感の欠如であり、どうにも俗世離れした超然的な雰囲気を纏っているところであった。茅ヶ崎先輩はそんな彼らを取りまとめるサークル長であり彼女はその意味で彼らより何処か超然的な部分が薄れているように感じられた。ちなみに茅ヶ崎先輩が大学院で研究しているのは妖怪学であった。映画サークルを名乗っておきながら映画は文化祭用に一つ撮るばかりで他では週に何回か木屋町や先斗町、祇園辺りに飲みに行くのが主な活動というどうにも狐に摘まれたような活動がほとんどであった。夜の二○時辺りから飲み始め、同席した客に対して無用な教養を説き代金を払ってもらう。これが映画サークル「バナネ」の通り名「教養ヤクザ」の由来である。しかし文化祭が近くなるとその活動は活発化した。教養人同士の会話は健全であり、いやそれが実際健全であるかどうかは一抹の不安が残る。私とて遍く学問その他の雑多な教養を水のように摂取している人間だからこそサークルのメンバーと共鳴し合うことができているのであり、外から眺めた時それは論理を失った支離滅裂とした会話でしかないようにも思われたからである。

「次の映画はどうします?」

「私は常々思うのだ。映画はコピーであろう。しかしそれでいてコピーではない。映画館で上映されているコピーを見る私はコピーを見たわけではないのだ。再現不可能、反復不可能な映画の限界であり映画館の限界なのだ。映画館から切り離された時私たちは映画を見られていない。もう一度映画館に入らなければ映画は映画でないのだ」

「ならば映画館を数式で表そう。全ては数学的ミクロのうちに分解することが可能だ。私がやろう。そうだな、ざっと一京通り以上にはなるが問題はいらない。学校のスパコンを使わせてもらおう」

「いやいや待て、それはどう上映するかの問題であって、中身の話をしようよ。ストーリーだったりビジュアルだったり。そう言ったもの全てを表現しないと」

「それすら数式で表現して見せよう」

「はいはい分かったよ。とりあえず私がコンテ描くから君は演出、君は数式への変換、君は劇場の設定ね。ところで片瀬ちゃんはどう思う?」

「普通の映画が撮りたいです」

この年の文化祭では普通の映画が上映された。


映画サークルで過ごす日々はどうにも酒を飲んだ記憶しかない。私にとって映画サークルは先輩との関係を繋ぎ止めるだけの存在であったようにも思う。先輩はいつもラーメンの匂いがした。彼女の下宿が一乗寺のラーメン二郎の近くにあったからである。私を頻繁に誘い、胃袋の限界をゆうに超える麺をすすりそして帰り際には毎回

「一生行かないわ……」

と言い、次の日にはまた同じ量を食べに行く。腹ごなしに散歩に行くことがある種のルーティンのようになっていた。先輩が大学院の博士課程を卒業する頃になった時、私たちは雪の積もった糺の森を歩いていた。私は散歩の途中でふとこんな質問をした。

「私は思います。“このままで”果たして良いのかと」

私はもう十分やった。そう思う。母に強制され、一時は限界に陥ったあの経験をした私はもう、十二分に頑張った。が、しかし本当にそうなのだろうか。本を読んでいる間はそんなことなぞどうにでも良くなる。しかし本を読んで数日も空くとまたこの思考に襲われる。だ から私は本を読む、読み続ける。

「その思考ができる間は大丈夫よ。まだ、完璧な教養人とは言えないわ」

「なら、どうして私を映画サークルに誘ったんですか」

「私と出会うため、じゃ駄目かしら」

「……それもいい答えですね」

無言のまま私たちは糺の森を抜け、鴨川デルタに足を運んだ。中央の石段の上に先輩は座りこう言った。

「弘前大学の教授から研究を手伝わないかって連絡が来たの」

先輩は教養人である事をやめるらしかった。

「おめでとうございます」

「本心?」

「そういう考えもあります」

私は少し強がってそう言った。先輩は立ち上がって私の目をジッと見つめた。それは死んだ魚の目ではなかった。先輩は白衣の内ポケットをまさぐり、お札のようなものを取り出した。

「片瀬ちゃんも、まだ何とかなるはずだよ」

そう言って先輩は私の前から消えた。その冬に私は卒業要件を満たし、大学を卒業した。見事なストレートでの卒業であるが、一方で就職も進学もしていないにニートに進化を果たした。教養人として生きていくことを決意したのである。本を読んで眠るだけの生活が数ヶ月経った時、ふと先輩と別れた時のことを思い出した。学習机の引き出しを開け、先輩が残したお札を見る。幾何学的な紋様をしたお札の真ん中には平仮名で『よろず』と書かれていた。何となく扉に貼る。貼った瞬間は何も起きなかった。しかし数分した時、唐突に扉は左右に縦に揺れる奇妙な挙動をし始めた。そして収まったかと思うと三回ノックがされた。先輩かもしれない。期待に胸を膨らませて

「どうぞ」

と言うと

「コン」

と狐が一匹私の部屋に入ってきた。結論から言って仕舞えば、先輩が私をサークルに勧誘したのはこの役目を引き継がせるためであった。


「なんですか、これ」

「いやぁごめんごめん。言おう言おうと思ってたけど結局一度も言えなくてね。代々『バナネ』の教養人がその職務を引き継ぐんだよ。古今東西あらゆる世界と時空からやってくる相談者の対応をね」

「意味が分かりません。早く帰ってきてください」

「片瀬ちゃんが前を向けたらすぐ外れるはずだからさ」

そう言って先輩は一方的に電話を切った。

「話は終わったかな、新たなる我らが預言者よ」

キタキツネが私の顔を見てそんな事を言った。


毎日変わるがわる相談者は私のところへやってきた。自称神様、動物、人間。私の部屋はもはや異界と化していた。

「明日は晴れる?」

「知らん」

「我が民はどちらへ向かうべきか」

「自分で考えてください」

「謎を出すスフィンクスをどうにか」

「そのうちどうにかなります」

「飢饉が起きてしまってな……」

「小麦を育ててください」

そんな日々が二年ぐらい続いた。


お姉ちゃんの部屋から変な物音が聞こえるようになったのはニートになってから数ヶ月経った頃である。大きな生物が動く音や、話し声、獣の匂いがしてきたりと一体部屋の中で何をしているんだこの姉はと心配よりも怒りが勝りかけてきた時、お姉ちゃんがげっそりとした様子で部屋から出てきた。

「妹、散歩に出るよ」

「う、うん」

実に二年ぶりの会話だった。自宅から市バスに乗り、清水寺を目指す事になった。清水道を歩く中でお姉ちゃんから質問の嵐にあった。

「ゼウスとクロノスは元気? お母さんとお父さんは?」

「げ、元気だよ」

「そっか。ところで七里も元気?」

「僕は元気だよお姉ちゃん……ところでお姉ちゃんは?」

「毎日毎日知らんやつの相手してて死にそうよ」

そう言って頭を掻きむしるお姉ちゃんは、大学に入る前のお姉ちゃんのようだった。清水寺に着くや否や飛び降りようとするお姉ちゃんを何とか抑え込み、心を落ち着かせるためちょうど真下にある甘味処へ寄る事にした。僕の奢りである。高校生に奢らすなよ。

「もう何がなんだか分からないの……。この原因を作った先輩は連絡が取れなくなったしどうやってこの生活を終わらせることができるのかも分からないし」

正直色々意味がわからなかった。ニートになってから何をしていたんだ。

「と、ところでさ、お姉ちゃんの大学の話を聞かせてよ。お姉ちゃんが大学の時は全然お話しできなかったし」

「うん……」

お姉ちゃんは半分泣きながら先輩の悪口を言い続けた。甘味を食べ終わっても話し続けるお姉ちゃんと僕は店員に座敷から追い出され、電池が切れたように話さなくなったお姉ちゃんを僕を市バスに連れ込み四条大橋で強引に下ろした。お姉ちゃんはちょうど橋の真ん中の辺りで急に鬼ころしの蓋を開け、ストローも使わずにゴクゴクと飲み始めた。

「少女よ、お前の姉は今どう映っておる?」

どこからともなく声が聞こえてきた。それが足元の狐が発した声であると気づくのには時間がかかった。

「狐が喋ったッ!」

「これうるさいぞ。質問に答えよ、少女」

狐は僕の肩に乗り、口をペシっと軽く叩いた。今の姉の姿。どうだろうか。僕が知っているお姉ちゃんの大半は高校生までのお姉ちゃんで、大学生のお姉ちゃんは家にいる時以外はさっき甘味処で話を聞くまで、よく知らなかった。けれども分かった。きっとお姉ちゃんは大学で自分を見失っていた。『教養人』なんていう言葉に惑わされて、超然的になったふりをしていて。けれども、だからと言ってその全てが否定されてはいけないはずだ。全てが間違いだったとも思わない。そんなお姉ちゃんだったからこそ

「どうにもこうにも、これが僕の姉ですよ。周りに振り回されて、それに必死で応えちゃうような、そんな自慢のお姉ちゃん」

今のお姉ちゃんがあるのだ。

「そうか」

それだけ言って狐は僕の肩から消えていった。狐が消えた後、狐の一本の毛がお札へと形を変えた。幾何学的な紋様の真ん中には漢字で『解呪』と大きく書かれており、どこか引き込まれそうな感覚を僕は感じた。ふと、鼻に冷たいものが当たった。それはすぐに溶けてしまい水となった。顔を上げてみると、河原町の暗闇にしんしんと雪が降り始めていた。街灯に照らされ、黒い影を点々と歩道に映す。お姉ちゃんが雪を指差し楽しそうに僕を手招きしている。僕が目の前まで来た時、お姉ちゃんは少し悲しそうに、けれども嬉しそうに笑ってこう言った。

「死にそうな毎日の方が楽しいのっておかしのいかな」

「ううん」

「そっか!」

そう言ってお姉ちゃんは少し前を向いた。

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お姉ちゃんの憂鬱 芳乃しう  @hikagenon

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