第2話 猫に好かれるのは?
立花の後に続き生徒会室に入る。
「なんだ、俺たちしか来てないのか」
生徒会室を見渡しても人影を視認することはできない。会長が座る主任席のような場所には誰もおらず、またもや会長が使う少し大きめの机にも何もおいていなかった。生徒会室の中央に置かれた長机と、それを両サイドから挟むように置かれたソファにも人の存在は確認できなかった。
「ん、んん??いや、紅茶でも淹れようか」
少しはてといった風に首を傾げたが、立花はすぐに荷物を置き電気ケトルにスイッチを入れる。
「ありがとう立花」
そう言いながら俺も荷物を下ろす。鞄の中からいくつか書類を取り出し、ソファに腰掛ける。
基本的に生徒会に仕事はない。新入生が入り、三年生が卒業する春や、それなりに行事がある時期以外は特にやることがない。意見箱は常時受け付けているが、基本的に我が校にある「生徒生活支援部」なる有志で集まったボランティアのような存在が意見箱のほとんどの案件を引き受けている。生徒会が主体となって生徒の問題を解決することは滅多にない。6月に一年の風紀委員長が報道部絡みで相談を持ちかけてくるまで俺が生徒会に在籍する前も後も、大した案件はなかったらしい。しかしこれは決して怠惰ということではない。会長曰く
「生徒会は分業体制を基本としているわ。いつからかこの体制が始まったかは曖昧だけど。あなた自身もよく分かっている通り、この生徒会は他の学校のそれとは違う特殊な役割を担っているのから通常業務は少ないのよ」と。
そんなわけで、普通の、平常時の放課後は基本的に何もない。俺と立花、それと会計と書記が放課後児童広場代わりにここを使っているわけである。
「そんな仕事のない生徒会にどんな仕事があるのかな、今日は」
紅茶をカップに入れて立花は優雅にムーンライトを食べていた。カップは俺の前、立花の前、そしてもう一つ置かれていた。とりあえず、立花の問いに俺は答える。
「今日は部活からの要求書にハンコ押すだけの仕事。ほら、珍しく貰った仕事だぞ立花副会長」
立花に書類を渡す。
「えー無償労働はんたーい、というか今日持ってきてないよシャチハタ。サインでもいい?」昨日の夜に一応伝えたはずなんだが。
「残念ながらサインは使えない」これも日本文化というものである。
「はぁー…」立花は大きなため息をつく。
「あ、そうだ!旧姓ってことでいすみくんのシャチハタ使ってよ!」
「まだ高校生だろお前、誰と結婚して立花になったんだお前は」
「いやいすみくんと離婚したんだけど」
「そんな記憶俺にはない!」しかもそれだったら立花が旧姓じゃないか。
「つーか離婚って、何したんだ俺は・・・」
「忘れたとは言わせないわよ!あなたがゆずちゃんと浮気して・・・私も浮気して・・・えーと、と、とにかく許してないんだからね!」
「事実だったらとんでもねぇよ」生徒会内で三角関係とか最悪じゃねぇか。というか原因の半分はお前が作ったのかよ。円満離婚じゃねぇか。
「話は変わるけど、離婚の後ってなぜか女性だけ100日間結婚できないらしいね、なんでかないすみ君?」
「脱線に脱線を重ねるな。ていうか100日?いやよく分かんないけど前時代的な価値観じゃないの。女は男が働いているのに、みたいな」
知らんけど。しかし兎にも角にもこいつの剣幕に押されていてはいけない。立花冥と会話する時に最も気をつけなければいけないことは、こいつのペースに飲み込まれないことだ。無理矢理にでも着地させなければこいつの興味の対象はブラジル辺りまで飛んで行ってしまう程だ。とりあえずはこいつの意識を書類に向かせなければならない。
「とにかく、持って帰るか生徒会に置いておけ。シャチハタは失くしても構わんが書類だけは紛失するなよ絶対に。また会長にどやかく言われたくないだろ、お前も」
こいつは生徒会の重要書類を失くした前科を持つ。あんなにブチギレた会長の姿は見たことがなかった。普段優しい人ほど怒らせてはいけない。
「もう分かってるようるさいな・・・お母さんみたいな小言言ってからに」
不機嫌顔で立花はファイルに書類をしまう。俺に非は全く持ってないはずだが、分かってもらえたならいい。しっかりやるのよ、冥。改めて俺と立花は向かい合うように座り、俺は本を取り出し立花はノートPCを開き、イヤホンを耳につけた。数分が経ちカップを手に取ろうとした時、立花が用意したもう一つのカップが視界に入る。アンゴラうさぎが描かれているそれは生徒会の書記である悠木ゆずの所有物であり、そういえば今日はまだ悠木を見ていないなと思った。
「立花、まだ来てないのに悠木のカップに紅茶を入れてるのは何故なんだ?」
カップに紅茶を淹れた立花に、俺はその真意を聞き出す。
立花はそれを聞いて一瞬フリーズした。が、次の瞬間にはハッとしたように
「忘れてた」と口に手を当て言葉を漏らした。そして立ち上がり、会長の机の下に潜り込んだ。一体何をしているんだと思っていたら、そこから立花と共に連行される犯罪者みたいに罪悪感に満ちた表情をしている生徒会の愛すべきマスコット、悠木ゆずが出てきた。
「えぇ…」俺の口から情けない声が漏れる。えぇ・・・なんだよそれ。
「こんにちは…立花先輩・・・木更津先輩…」悠木は絞り出すように声を出した。その声に覇気は感じられない。とても気まずそうに視線を右往左往させていた。どーすんだこの空気。混乱で頭が回っているところに立花の大きな声が響く。
「なんて事のない推理だよ!いすみくん!」立花は腕を組んでこれでもかといったほどのドヤ顔を顔に浮かべる。その大声にビクッと体を震わす悠木を余所に、立花は語り始める。
「仰々しく言ったけど本当に大した事じゃないよいすみくん。まず生徒会室に鍵がかかってなかったから、誰かいるんじゃないかと思ってたんだよ」チッチッチと立花はどこぞの名探偵のように生徒会室を歩き回る。・・・言われてみれば確かに生徒会室に入る時、立花は鍵を使っていなかった。
「次に、電気ケトルにすでに水が入っていたんだよ、私が入れる前にもう。会長は生粋のミネラルウォーター派だし、滅多にコーヒーとか紅茶を飲まないからね」そう言い立花は続ける。
「極めつきは、というよりいつもなら連絡、もしくはホワイトボードに何か書いてるはずでしょ、ゆずちゃんなら」ピンと突き立てた人差し指は教室のすみにあるホワイトボードを指す。雪は基本的にグループに連絡を入れるが悠木の場合は律儀なことに毎回生徒会室に寄ってきてホワイトボードに書き置きを残しておく。
「そういうわけで、柚ちゃんがどっかに隠れてるんじゃないかなって思ったんだよ」なるほど、説明されてみれば確かにそうだ。だが目星がついているならすぐ呼んでやれよ。というよりも
「なんで悠木は俺たちがきた時にはもう隠れていたんだ?それにすぐ出てこればよかったじゃないか?」悠木は視線を行ったり来たりさせて
「そ、そのイヤホンをしていて誰がきたか分からなくて咄嗟に隠れてしまったんです・・・いつもは私が最後に来ますし・・・す、すぐに出ようとしたんですけど・・・先輩方が浮気とか結婚とか話されてて・・・私の名前も出てきて・・・私、出るに出れなくて・・・」なんだかもう泣きそうな顔をしている。
俺は無言で立花を見詰める。さっきまでの名探偵立花はどこに行ったのやら居心地が悪いように俺から目を逸らす。おいコラ。
「ま、まぁい、いいじゃないかいすみくん、ゆずちゃん。さ、座って。さっきのは冗談だから、立花流ジョークだから、紅茶を飲んでムーンライトを食べよう!カントリーマアムもあるよ!」
こいつは一回本格的に締めた方が方がいいんじゃないんだろうか。釈然としないがソファに座り直し、オドオドしている悠木も座るように手を差し出す。立花の横を指したつもりだったが、悠木は一瞬たじろいだがその手を取り、俺の隣に座った。そういうわけじゃなかったんだけど・・・まぁいいか。立花の横にいると何をされるかわからない。もしかしたら本能レベルで立花の横は危険なのだと判断したのかもして俺の手を取ったのかもしれない。悠木はカバンからカバーのかかっているソフトカバーの本を取り出し、立花はあいも変わらずパソコンを触り、俺は課題の存在を思い出し、筆記用具と数学のテキストを広げた。ベクトルわかんにゃい、数列わーかーんーなーいーと悶々としながら課題に取り組んでいると
「猫に好かれる条件ってなんなんだろうね」
と立花が切り出した。悠木は少しビくっとして俺は顔をあげた。
「猫に好かれる条件?えらく唐突だな」
「私ってなぜかいつも野良猫に威嚇されて近づいても逃げられるんだよ。近所によく出る野良猫がいるんだけど、結構な付き合いなのに全然触らせてくれないんだよ・・・仲良くなりたいから後学として知りたいのさ」
動物も何か危険を感じ取ったんじゃないのだろうか。哺乳類最強の頭脳を持つ人間ですら恐れるのだから。そう言うのを抑えて他の部分に着目してみる。避けられる理由・・・か。
「んー、その銀髪が問題なんじゃないか?日本人離れしているし動物から見ても奇怪なのかもしれないし」
立花は長く伸びた自分の髪にサラーっと指をかけその銀髪を見る。
「だけど猫は色盲っていうし、いやこれはむしろ欠点を直すより万事使える好かれる方法に目を向けるべきなのかな」
短所を少なくするのではなく長所を増やす、なんだか推薦入試を勧める教師みたいだと思うが、しかし動物に好かれる方法か。
「それだと餌付けがやっぱり一番なんじゃないか?うちのばあちゃんちの犬猫もおやつあげてたらよく近づくようになったし」
餌付けは全動物に通ずる、最強の懐かれ法である。人間でさえ無料で飯が食えるとなったらホイホイついていく奴もいるだろう。
「で、でもそれだと本当の意味でななつかれないんじゃないでしょうか・・・」
机下からの必死の告白からそういえば声を聞いていなかったなと思っていた悠木が声を出した。
「本当の意味?」
立花が聞き返す。
「餌付けがきっかけだと餌をくれる人だから、という条件づけがされそうなんです・・・」
その考え方もまた最もなものだった。確かに餌を貰ったらすぐおさらば、ということはよくある。犬ならばともかく猫は一緒に散歩に行くなんてことはしないし、餌付けというのは真の意味で親密になりにくいのかもしれない。
「そのうちパブロフの犬みたいに餌=立花さんと認識して立花さんを食べ始めるかもしれません・・・」
それはないと思うけど。
「それも一理あるねゆずちゃん。よしよし、頭を撫でてあげよう。あごめん触られたくなかった?」
そう言いながらも悠木の頭を撫でる立花。
「うう・・・」
悠木は目を丸くして顔を赤らめている。
普通の情景のはずなのになんだか見てはいけないように感じる。
「無条件に動物に好かれる人っているよなー!」
動揺して大きな声を出してしまった。
「急にどうしたんだいすみくん・・・」
立花は変質者を街で発見したかのような声で、蔑むような目で俺を見る。いやごめんて。
「それは、その人の匂いや立ち振る舞いがたまたま猫の好みに一致しているようです・・・」
立花の手から逃れて、悠木はキャンパスノートからページを一枚破った。そしてそれを机の上に置き、右手に猫のシルエットが描かれているボールペンを手に取った。可愛いな。
1 適度な距離を保つ人
2 匂い
3 静かな人
「他にもありますが、簡潔にまとめるとこんな感じでしょうか・・・」
2はともかく、1と3はアウトだろ立花は。って匂い?
「2番はどういうことなんだ?マタタビでも体につけるのか?」
悠木は耳に髪をかけて
「普段の食生活や、使っている家具によって様々のようです・・・一概に何とはいえませんが・・・最近では猫に好かれる匂いを出す虫除けなんていうものもあるそうです・・・」
「猫寄せスプレー・・・いいね」
立花がふむと首をこくりこくりとさせている。
「飼うとなるとそうなるか・・・でも近づくだけならやっぱり餌付けか・・・」
そんなことを立花が何やらゴニョゴニョ言っている。
「そういえば、詳しいけど悠木は猫飼ってるの?」
目を見張るほどの知識量である。悠木は俺の言葉を聞き携帯を取り出す。いそいそと写真のアプリを起動する。なんてことのない風景やプリントの写真の中に、というより大量の猫の写真の中に風景やその他の雑多な写真が入っている。そのうち一つの写真をタップし
「うちのシオンちゃんです・・・」
「え、めっちゃ可愛い撫でたい」
思わず声が出るほどの可愛さだった。ロシアンブルー?なのかな。
「ロシアンブルーの3歳で、私が中学生の時から一緒です・・・」
悠木は何枚かシオンちゃんの写真を何枚も画面に表示させる。ちょっと多すぎのような気もするが。そういえば、
「立花はなんか動物飼ってたりしない?」
立花は少し目を瞑り一呼吸間を取った。そして
「残念ながら今までどんな動物もお迎えしたことないよ、そういういすみくんは?」
「俺も飼ってないけど、そっき言ったばぁちゃんは飼ってるよ。猫三匹と犬二匹」
「ふーん」
興味なさそうだな、こいつ。悠木のシオンちゃんを三人で眺めていると、ピコン!と軽快な音が鳴り響いた。三箇所からその音は聞こえ、手っ取り早い悠木の携帯を覗く。
生徒会 (6)
Aoi:至急本校舎近くの中庭へ、早く、お願い。網
そこにはいまいち要領を得ない文章が会長から送信されていた。
首を傾げていると
「もしかしたら使えるかもよ?」
そんなことを言い、立花は紅茶を飲み干した。
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