(三)-5

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 単純に死への忌避と恐怖がまずある。

 常に死と接していれば気丈になるというのは場合によりけりだ。健康な人間が好き好んで危険に飛び込むのと、病に侵され、目が覚めている時はすべて死魔にもたれかかられているのとでは意味合いはまるで違う。

 その底意地の悪さ、無情さ、不気味さは、感じ取った者でなければわからない。

 そしてもちろん、無念さもある。

 あの程度のことが俺の全業績であってたまるか!

 新将軍は幕府軍の洋式化を猛烈な勢いで進めているという。長州赦免を選択の一つに入れているとはいえ、金力にものをいわせた洋式の大軍で再び攻めてこられたら一大事だ。一人の親としても何もしてやれていない、

 ただ一人の子である息子はいまだ数え四つでしかない。たとえ男児でも遺す子がたった一人では家の存続上あまりにも心もとない。

 先立った者たちがどれほど慕わしくとも、まだ再会したくはない。かつての師匠、親友、同志たち、そして我が分身が従容として受け入れてきたものであっても、そして晋作自身が大勢の他人に与えてきたものであっても、嫌なものは嫌なのだ。

 胸の奥に冷たい点が生まれ、それは瞬時に熱塊と化して猛烈な勢いでのどを駆け上がってきた。すでに幾度となく味わっている鉄臭い味を口中に刻み、外にまろびでる。白い敷布の上に広がる臙脂色を見て、晋作は呆然としつつ、むしろ歓びを覚えていた。

 二十年以上前、不吉扱いされて切られた梅の花々だ。

 あの後どうなったのか、どうしても思い出せなかったが、こんなところにいたのか。

 いつもいつでも自分の中に居座って、いとわしく、時にはあえて利用して、しかし本当に肝心の時には役立たずで、それでもいざ戦いが始まれば、鬼が自分か自分が鬼かというほど一体となって戦ってくれた。

 戦が終わって病の床に就いた時、自分の中から鬼が消えているのに気付いた。感じたのは、確かに、寂しさだった。

 世間並みの形とは明らかに違うが、お前もやはり、確かに俺の大事な友だったのだ。

 涙が滲む目で見つめ、微笑みを浮かべながら、晋作はその臙脂色をいつまでも撫でさすっていた。

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