(三)-4

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 南の獅子たる大薩摩は、いまや西郷と大久保という軽輩上がりの二人組が我が物顔で切りまわしているというのは誰もが知るところだった。しかし晋作は、掛け違って一度も面晤の機会がない。これからも、おそらく永久にないだろう。

 そしてこの俊輔は藩の中堅として何度か彼らに会っているが、そのうち大久保という男のことをやたらと褒めるのだ。陽気で開けっぴろげに見えて、俊輔があれほど他人を手放しで賞賛するのを晋作は見たことがない。

 俊輔は苦笑を浮かべた。

「いえ、謦咳に接したいのはやまやまですが、あの方は今は私の相手などなさっている暇はありません。大事な会議が控えているそうで。長州赦免にも関わることなので我らにとっても他人事ではありませんが」

「……伊藤の俊輔さんはまっこと大した男じゃのう! ご立派すぎて、己の月旦にかなう人物は長州三十六万石ごときにはないといわんばかりじゃ。七十二万石ならば、人物の貫目も倍というわけか」

 口元を笑みの形に歪ませたまま大声で言い放った。今の晋作の身体では、それすらも辛いことではあったのだが。さすがに俊輔は顔をしかめた。

「そねえな言い方……」

「やかましい!」

 肺に収縮感が生まれ、晋作は激しく咳込んだ。俊輔は顔色を変えた。

「高杉さん!」

 晋作は自力で身体を反転させ、肘を立てて上半身をやや床から離した。それだけで渾身の力を込めねばならなかった。荒い息をつきながら声を絞り出した。

「構うねや……医者を……」

「い、今すぐ!」

 俊輔の立ち上がる気配を感じ、走り去る足音を聞きながら晋作は体勢を変えず荒い息をついていた。

 あんなひがみを、まして長州を貶めるような言いざまを自分がするとは。まさに末期だ。

 京も薩摩も、むろん政治も、自分にはもう関係がない。

 元気な人間に会って元気をもらえるという段階はとっくに過ぎている。俊輔の生命力にあてられて、身体中に巣食った病魔が反発し活動し始めた。とんだ死神だ。その思いが、否応なしに一つの言葉を肺腑から引きずり出した。

「しにたくない……」

 昨年に不穏な咳をして以来ずっと心の奥底にわだかまっていた、誰にも言えずに抱え込んできた思いはようやく形をもって吐き出され、そして誰にも受け止められることなく宙に溶けて消えた。

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