(三)-3
(三)-3
「お久しぶりです。ご気分はいかがですか」
「まあまあ……じゃったのにな。起こしよって」
いつの間にかまどろんでいたのだ。思い出した種々の情景があまりにも鮮烈すぎて、眼前の平凡な光景の方が夢のように思える。そんな晋作の思いも知らぬげに俊輔は軽く頭をかき、
「それは申し訳ありません。おうのさんに、買い物に行きたかった所なので留守の間見守っていてくれと頼まれまして」
そこでいったん言葉を切った。ややためらいの空気があったが、やがてまた口を開いた。
「藩の御用で京都に出張するので、その前にご挨拶に上がった次第です」
「京都?」
「上方全体の情勢を探るのと、薩摩の真意をつかんでこいとのことで」
薩摩と長州は昨年初めに協力を約束した仲だが、それは行動を一にするということではない。
幕府と干戈を交えた長州と異なり、薩摩は幕府と融和する道も残されている。対立か融和か、体のいい二股膏薬だ。
長州だけでなく水戸や会津とも盟約を結んだことがあり、幕府とも一応はあからさまな対立はせず、この動乱の中を巧みに泳いできた。乱暴なのに狡猾でもある、晋作にとってはどうにも昔から虫が好かない国だった。
それはともかく、俊輔には適した役回りだろう。人には向き不向きがある。不向きなことでもやってやれないことはないとも、またわかっているのだが。
二年前の元治元年十二月、晋作は藩の俗論派を排撃すべくわずかな手勢を率いて挙兵した。しかし、長年の同志や後輩たちはだれも呼応せず、傍観を決め込んでいた。
小雪舞い落ちる馬関で、晋作は心底追い詰められた気分だった。
西洋艦隊に乗り込んだ時とは違う。鬼は本当に肝心の時には役立たずだった。何もないところに戦を起こすという事態だからなのか、どこかに隠れてどうしても出てきてはくれないのだ。
今まで誇りにしてきた知力も出自も役に立たない、完全に丸裸だった。
その時、力士隊を率いていの一番に駈けつけたのがこの俊輔だった。冴えない風貌の小柄な身体が一瞬、本当に光を放って見えた。
その後ぼつぼつと他の隊も参加を始め、晋作は俗論派を追い出して藩の実験を握ることに成功し、今に至る。
生まれや能力だけでなく、出会いにも恵まれてきたと思う。
狭い萩城下で出会った師匠、先輩、親友は、ひいき目抜きでこの国随一の傑物揃いだった。しかし彼らに対して、あの時の俊輔のような「光」を感じたことはない。
成り行き次第では、以蔵が武市に依存したように自分もこの男に依存していたのだろうか。
こんな年下で、百姓上がりの、いい年をしていまだに子供っぽく落ち着きのないチビに? 晋作は皮肉な調子で言った。
「薩摩、か……憧れの大久保さんと会えるのが楽しみちゅうわけか」
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