(三)ー2

(三)ー2

 以蔵はあの後、結局軍艦奉行のもとにも居つくことができなかった。武市のもとに戻るでもなく行方をくらましたということは、晋作の耳にも届いてきた。

 一方で政治の大変動が起こり、過激な尊攘運動は一掃される。世の中が静謐になったというその変化は、しかし土佐勤王党にとって地獄の始まりだった。

 武市をはじめとする勤王党の主だった者たちは土佐で捕縛の上収監される。やや時をおいて以蔵も、無宿人となっていたところを京で捕まり、土佐に送還された。

 牢内で拷問にかけられて勤王党の暗部を洗いざらい自白し、武市も同志もそして自分も、のきなみ処刑に追い込み刑場の露と消えた。

 哀れとは思うものの、その感情はあまり強くは湧いてこない。。そういう風にしか生きられなかった男なのだ。むしろそのような破滅の境涯から解放されたことを、彼のために安堵する。

 以蔵が晋作のもとに居候していたころ、晋作は何くれとなく水を向け、家族特に父親のこと、そして生まれ育ちのことを聞きだしていた。

 聞けば聞くほど、以蔵の父と晋作の父の人物像は似通っていた。もし二人が出会っていればさぞ意気投合し、良い友人同士になれただろうと思うほどだ。

 そして反面、以蔵は幼少のころから手の付けられない乱暴者で、あれほど人の好い父親からなぜあんな息子が生まれたのかと言われていたらしい。

 己の中の鬼に気づき、しかし晋作のように知性でその正体を把握することもできず、優しい父への背徳感を強烈に感じて苦悩した。そして武市のところで剣を学び、その凶暴さを真っ当な方向に使う道を見出した。

 武市は恩人であり、暗闇に射した光そのものであっただろう。やがて本末が転倒し、武市こそが家族よりも重く大きいものになっていった。

 武市のもとに居づらくなったのであれば、勤王党を辞めて家に帰ればよかったのだ。その後の政治の変動でいずれ捕縛の憂き目をみたかもしれないが、それでも普通はそうする。

 しかし十年以上武市に依存して支配された頭ではそれを考え付くことができなかった。土佐藩自体を出奔という、選んではならない道を選んでしまい、破滅するにしても一番残酷な形での破滅を始めることになった。

 いや、実りなき人生などと言ってはならない。

 あの文久三年の京都、春の夜に見た、刹那で惨劇を現出した以蔵の動きは晋作の脳裏に焼き付いた。

 速く、力強く、鋭く、正確に。

 一刀流の開祖伊藤一刀斎やその高弟小野忠明は、剣の極意を「ハヤブサが小鳥をとらえた瞬間に屠るが如くに」と断じた。武市と以蔵は一刀流直系たる小野派一刀流の門人である。一刀斎の理想は、営々二百年以上を経て遠い土佐の地で結実したのだ。そして用兵は剣と根幹を同じくする。

 兵学書を無数に読んでも、頭の中にたまるのは言葉だけ、死んだ知識だけだった。実際の戦闘で、それらを生命感をもって繋ぎ合わせ体現させ躍動させられるという感じがしなかった。

 それが、一人の優れた剣士の動きを目の当たりにして、ようやく実感が得られたのだ。

 己の身体と、他人の集合体である軍勢とではむろん異なるが、晋作には長年学んだ知識と天性の勘がある。その三年後の長州戦争で、晋作は軍を己の手足の如くに自在に動かし、幕府軍を撃退し勝利した。

 己自身の才能と研鑽のおかげはむろんある。しかし、あの時以蔵の動きを目の当たりにしていなければ、あそこまでの軍略は不可能だったに違いない……ああ、それにしても何だろう、先刻から自分のすぐそばにあるこの気配は。

 善いものか悪いものかといえばむしろ善に属するものだということは感じるが、ならばそれがうとましいとは? 視界が急に明るくなった。

 十年来見知った、くわい頭(月代を剃らず短めの髪をひっつめただけの髪型。簡便なので幕末志士に好まれた)の痩せた面差しが覗き込んでいる。

 伊藤俊輔はぺこりと頭を下げ、口を開いた。

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