(三)-1

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 枝変わり?

 そうじゃ。木の中で一枝だけ、わけもないのにあがあに色の違う花を咲かせることを、そういう。

 父が指し示した先には、紅の梅が咲いていた。純白の梅の群れの中で一枝だけ、臙脂のように濃い赤の花が咲いているのは確かに異様ではあった。

 不吉なもんじゃでな。ご家老さまにお見せするわけにはゆかん。

 そう言って父は、すでに控えている庭師に向かい、梅を顎で指した。庭師が踏み出し、晋作は慌てて相手と梅の木の間に立ちふさがった。

 切らんでやってつかあさい! 好きで色変わりしちょるわけじゃなかろうもんを、勝手に悪者扱いして切るのは可哀想じゃ。

 父は目を丸くし、ややあって、思い入れ深く晋作の頭を撫でた。

 お前は、まことに優しいのう。家内のことであればお前の思いの通りにしてやりたいが、やはりご家老さまに不吉なものをお目にかけるわけには参らぬでのう。

 何でも家の庭の白梅の木が見事に咲いているということが藩の家老の耳に入り、来臨を仰ぐことになったらしい。

 日ごろきかん気の晋作も、藩の重役の名を持ち出されては従うほかなかった。相手が他藩の人間なら、藩主やあるいは江戸の将軍であろうと、徹底して抗ったかもしれないが。


 自分の中には一頭の鬼がいる。

 暴れ馬どころではない獰猛さと粗暴さで、一度放たれれば目に入るものすべてを滅ぼしつくさずにはおかない狂気のバケモノだ。

 ものごころついて、世界を認識するのと同じように、自分の中にそれがあることに気づいていた。

 正体はわからなくとも、本来あってはならないものだということは直感でわかる。自分以外の人間は誰一人、そういうものを持ってはいないということもだ。

 育った環境が非情で無法な世界であればいっそ苦悩はなかったかもしれない。だが晋作が育ったのは、裕福で温和な、真綿でくるまれるような世界だった。

 父は小忠太の名にふさわしく、真面目で穏やか一方の人物だ。もともとそれが高杉家の血筋で、親戚を見渡してみても自分のような過激な性格の人間は一人もいない。

 犬は飼い主に似るというが逆もあるのか、内面に鬼に住まわれることで、晋作自身の心も激しいものになっていった。周囲からなぜあのような常識人の父親のもとにあんな暴れん坊が生まれたのかと噂されていたのは知っているが、晋作としてはこれでも必死で内面の鬼を押さえつけてきた結果だ。

 それでも、鬼には世話になったこともある。

 元治元年、前年の攘夷の報復で、長州は西洋艦隊の砲撃を受けて木っ端みじんにやられた。その講和の長州代表として、晋作は敵艦隊に乗り込むことになった。

 その時、晋作は存分に鬼を開放した。列強艦隊相手ならば鬼を暴走させてようやく五分だ。後で伝え聞いたところによると、その時の晋作を見ていたイギリス人の一人は「魔王のようだ」と思ったらしい。

 その後有為転変を経て、幕府軍から長州を守り切るという大仕事を成し遂げ、終末の時を迎えようとしている。

 恵まれた人生だったと思う。

 家柄にも家族の情愛にも、何より能力にも充分なものがあった。高い知性と強い意志、それでようやく、己の中の鬼を飼いならせたのだ。

 それがなければ彼のように、娑婆にあっては手ずから大勢の人間を殺し、獄にあっては言葉を放ってまた大勢の人間を殺し、最後は自らも斬首されるという何ら実りのない人生を送っていたのではないか。

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