(二)-4
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以蔵はまず、手紙まで書いてもらったのに結局武市の元に戻らなかったことを詫びた。それは構わないが、幕府高官、それも軍艦奉行で開国派の筆頭たる人物の警護を務めるというのは、自分はいいが武市に知られたらまずいことになりはしまいか。しかし、そういう以蔵の頭の許容量を超えていそうなことを言うのはやめにした。
尊攘とは名ばかりの胡散臭い集団や、ましてや犯罪集団に取りこまれるよりはよほどましだ。
その後店を出て、長州藩邸まで送っていくと以蔵が言うので二人で歩き出した。しばらく歩いて、人気のない小路に入り込んだ時、知らない男たちが五人、ばらばらと駆け寄り、取り囲んできた。
男の一人が、険しい顔と声で叫んだ。
長州の高杉晋作か?
以蔵が「高杉さん」と呼びかけるのを聞かれていたのなら、隠し立てしても無駄なことだ。それ以上に意地張りがあり、晋作は相手以上の険相になって、そうだとしたら?と吐き捨てた。
斬る!
一斉に叫び、男たちは刀を抜いた。月下に銀光が五条、まがまがしく閃いた。
ある勢力が勃興すれば、対立する勢力も生まれてくるのは世の常だ。大きなところでは、昨年末すでに親藩の雄たる会津藩が、京都守護職を拝命して入京し駐屯を始めている。
しかしそんな高級な話ではなく、江戸を中心として東国から、うさんくさい食いつめ者たちが続々と京都に流れ込んできていた。
一応は佐幕ということになるが、本音では「勤王狩り」で名をあげ幕府に取り立てられようというあさましい連中だ。その彼らの中で、高杉晋作の名は今や賞金首と同じ扱いになっているらしい。
以蔵は戦力になるが、さすがに二人で五人相手はきつい。懐にある金をばらまいて、連中がそれに気をとられた隙にとにかく走って藩邸に逃げ込むか。そこまで考えた瞬間、以蔵に突き飛ばされた。
土塀に背中を叩きつけられた晋作の目に、以蔵が地を蹴る様が飛び込んできた。
気合の声も何もなく、相手の構えている刀を透過するかのごとく刀を振り、男たちの腹や首筋や肩口から鮮血を噴き上がらせていく。以蔵に間近に立たれる、それは即死と同義だった。
最後の一人を斬った時になってようやく、最初の犠牲者が地に倒れた。
なんと速く、力強く、鋭く、正確な動きであったことだろう。
恵まれた肉体と身体能力を、涙が出るほど猛烈な基本稽古で鍛えに鍛え、型の殻を厚ぼったくまとうことで内なる天稟が蠢動を始める。天稟はやがて地の底から手を伸ばし、地中たる肉体と地上なる技と結びつく。
心技体が完全に溶け合ったその究極の身体が、さらに一瞬の緩みや不手際が生死を分ける白刃地獄の実戦を潜り抜けることでより研ぎ澄まされる。
言葉でいうのは簡単だが、一体何人がその超常の剣域に到達し、あまつさえ生き延び続けられるものか。
刃のみならず顔も手も衣服も赤黒く染めた以蔵が、緩慢な動きで顔を向けてきた。
青白い月光が刹那の惨劇をものともせずその姿を静かに照らし出し、肌についた血を光らせ、薄紅の雪が降りてくる。いや、違う。京都ならどこにでもある、桜の花びらだ。
身体の真芯をかつてない戦慄が走り抜けた。その後しばらく、晋作は女相手に容易には勃たなくなり苦労することになった。
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