(二)-3
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その後、二人だけの時に晋作はそれとなく以蔵に、実家について尋ねてみた。家族のことを訊かれて嬉しかったのか、以蔵は意外なほど気安く話した。
先祖は農家で何代か前に郷士の株を買って郷士身分になり、以蔵は土佐城下で生まれ育った。
父は縁組の仲人をするのが好きで、町内では「町の出雲の神様」と呼ばれていた。
母は女には珍しく本好きで、学問の素養があった。
唯一のきょうだいだという弟のことを語った時にはやや顔が翳った。
弟は、剣一辺倒の自分とは異なり頭がよく学問に秀でている。自分は跡取りなので(夭逝した兄がいるので長男ではないということだった)剣術修業を存分にさせてもらえたが、それがなければ弟にもっと学ばせてやれただろう。何よりこんな出奔などをして、親を苦しめるのはむろんのこと、弟の将来にも迷惑がかかると思うとそれが辛くてならない。
晋作はお返しの意味も込め、自分の家族のことを話した。
思うところはあるだろうがそれでも男きょうだいがいるのは羨ましい。わしはきょうだいは妹ばかり三人、女だらけの家じゃったからの。
それは贅沢な悩みじゃ、えいろう華やかではないかえ。
そう言ってほころんだ以蔵の面差しには、思いもかけぬほどの愛嬌があった。
綺麗だの可愛いだのという柄ではまったくなく、愛想もないこの男を、一時までの武市がなぜあれほど目をかけたのか。その理由が少しだけ分かったような気がした。
穏やかな時は長くは続かなかった。
尊攘運動の高まりを危惧した藩上層部は、晋作に江戸藩邸の引き払いと京都出頭を命じたのである。じきに国元に帰されるのは明白だ。
晋作がいなくなれば、以蔵も長州藩邸にとどまるのは難しい。そもそも藩邸内に部外者を泊めること自体がおきて破りなのだ。
さらに出奔者であり尊攘激派の札付きたる男など、時代の趨勢と晋作の面の皮の厚さがあったから見過ごされていたにすぎない。
以蔵の行き先として考えつく先は、武市のところしかなかった。出奔して日も浅いし、きちんと反省の色を見せて謝れば許してくれぬ武市ではあるまい。今の武市の地位なら、下士一人の出奔ぐらいなかったことにできるはずだ。
晋作はそう以蔵に説いた。このままでは実家の家族にも会えなくなってしまう、という殺し文句を付け加えることも忘れなかった。
以蔵は、初めて会ったときのような気弱な様子で、口をつぐんだまま見やってきた。実父や武市と同じ、保護者とみなされていると晋作は感じた。困惑はあったが決して不快ではなかった。しかしそれは押し殺さねばならないものだった。
結局半月足らずの滞在で、以蔵は晋作から旅費と晋作直筆の武市宛のとりなしの手紙を渡され、長州藩邸を出て京都に帰っていった。
それを見送り、晋作も藩邸内の家を整理して京都に向かった。到着してしばらくすると、以蔵の動向も伝わってきた。結局武市の元には戻らず、縁故あって幕府の要人の警護を務めているらしい。
その後以蔵本人からも連絡があり、とある飲み屋で会うことになった。久々に会う以蔵は、幕府の高官の世話になっているだけあってだいぶ落ち着いた様子だった。
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