6. いじめの自覚ないの?

 私が小学生の頃、初めて彼女と関わった。


 先に言っておくと。

 私は典型的な「いじめられっこ」だった。主に男子から。

 だから、からかう言葉や虐げるようなセリフは、何千何万と聞いてきた。

「キモい、ブス、うざい、菌、害、死ね」

といった言葉だ。

 本題はそこではない。


「彼女」も、似たようなことを言われていた。あえて私と違う点を言うなら。

 ――たぶん、とても人望がなかった。

「あの子、全然あいさつしないよね」

「車に乗せてあげても、ありがとうも言わなかった」


 なぜ、彼女とともにいたのか。確か、こちらから近づいて、あちらが離してくれなくなったのだ。


さて。彼女からの仕打ちを、あえて箇条書きで表してみよう。

・傘で攻撃される

・雨上がりに傘を道路に投げられる

・帽子を砂場へ放り投げられる

・筆記具を男子トイレに投げられる

・物を貸しても返ってくるのは不満

・「おんなじ係りになろうよ!」と言ったあとには、係りの仕事はこちらに丸投げ

・本来の帰り道より遠回りの、彼女の帰り道(一時間近く)を歩かされる

・音楽の授業時に、彼女の楽譜に音を書かされる

・流行りのドラマの真似事で「汚らわしい!」と言い平手打ちされる


 ……ん? こんなにあったっけ?

 字にすると、まあまあ色々あったものだ。

 これらは全て彼女からしてみれば「遊びの一環」という感覚しかないだろう。

 しかし、当時の私からすれば、なぜこんな辛い状況を許していたのか。謎だ。去る者は追わず来る者は拒まずにもほどがあろうに。


 このように。

「いじめ」といっても、本人が「いじめられている」と認識できていないような、遊びの延長としての「意地悪」もある。


 例えばもし、今。私が言えるのなら。

・傘はさすもの、人に向けてはいけません

・他人の物を投げてはいけません、私は犬じゃない

・借りておいて堂々と不満を言うのは、とても失礼なこと

・やる気がないからといって、こちらに丸投げするのはいかがなものか

・「通学路」というものはご存じか

・楽譜くらい自分でおやりなさい、私は奴隷でも従者でもない

・なんで私が悪役? 暴力反対、ふざけすぎだろう


 いっそ、平手打ちをお見舞いしたいのはこちらのほうだ。しかし、もはやそんな労力も惜しいくらいに今は離れられた。物理的にも、心理的にも。


 このようなことを、もし誰かにしていたら。又はされていたら。

 どうか目覚めよ、まだ間に合うかもしれない。

 

 ――それはどう見ても「いじめ」だ。

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