ホシクズ
昨日のことだ。
「なあ、桂、いるか?」
桂がいつも通りひとりで店の準備をしていると、ドアをノックされた。聞こえて来た声で外にいるのがホシクズと判断し、ドアを開ける。
「何、せなくんなら今出掛けてるしお金なら貸さないよ」
そう言うとホシクズは苦笑いを浮かべ「金の話じゃない、雨降ってるからちょっと中に入れてよ」と、勝手に中に入ってきた。でも今日のホシクズはいつもよりは顔色が良く見えて、少しなら話しても良いかなと思った。カウンターを拭く布巾にするつもりで出していた古いタオルを1枚渡すとホシクズは顔や頭より先に濡れた革ジャンをサッと拭いた。
ライブハウスで働いていた頃の、数ヶ月前までのホシクズはちょっと長めの赤髪で、自分のバンドのライブの時はいつも髪を立てていた。モヒカン?いや、あれはスパイクヘアーとでも言うのだろうか。しかし建築現場の仕事を始める時にその髪をばっさり切って色も真っ黒に戻してしまった。冬なのにその首筋は寒そうだ。
「星波は何時に戻る?」
その質問には「開店時間までには戻るって言ってた、あと30分近くあるけど」と答える。
「先週無銭飲食しようとしたこと、せなくんまだ怒ってるよ」
掃除機を仕舞いながらそう言うと、ホシクズは「ほんと悪かったよ」と殊勝な態度を見せる。
「言い訳するとさ、あの日調子悪くて薬飲んでたから」
薬飲んだ日に酒飲むの止めなよ、と桂は何度かホシクズに言った事があるが、彼はいつも「次からは気を付けるよ」としか言わない。
「火曜は大人しくしてたけどさ、次にやらかしたらいよいようちの店も出禁だからね」
それを本格的に決めるのは店主の星波ではあるが、桂もついキツい口調になってしまう。単純に機嫌の悪い星波はちょっとめんどくさいからだ。本当は仲良くして欲しいし、ホシクズの不調が早く改善されて欲しいと思っている。
「なあ、桂。お前トウキョウ来てどれくらいになる?」
ホシクズに唐突にそう問い掛けられ、桂はしばし口をつぐんでしまう。指を折りながら「………もうすぐ3年かな」と答えると、彼は真剣な顔でこちらを見る。その視線に少し臆してしまう。
「最近変わった事とかおかしな事はないか?」
変わった事?特に大きな事はない、と思う。
「あー、先週店の前で、ていうか隣の店との隙間で猫が死んでて山崎さんに相談して保健所の人呼んだ。それくらいかな。でも前から商店街で鳥とかネズミとかよく死んでるじゃん、特におかしい事とは思ってないけど」
「いや、流石に猫はヤバいでしょ」
「なんで?」
「人殺す奴って先に野良猫とかで練習するんだってよ」
「マジで?」
きもちわる、とつい早口で吐き捨ててしまう。
「この店一応セキュリティサービスは契約してるんだろ」
「うん、俺がトウキョウに来て直ぐ、せなくんが資料いっぱい取り寄せてた。それに最近商店街に防犯カメラも増えたしさ、何をそんな心配してるのホシクズは」
改めて桂がホシクズの方に向き直ると、ホシクズは視線をそっと床に落とす。
「俺のアパートのさ、隣の部屋に今日の昼に空き巣が入ったんだよ。ほら、去年越してきた隣の人偶然俺と似た苗字だって話したじゃん。だからなんか薄気味悪くて。ほんとは俺の部屋狙ってたんじゃないかって思っちゃうべ」
「え、大丈夫なん?」
そういえば水でも出した方が良いかな、と思い、カウンターに入りグラスを手に取るとホシクズは「いや、いいよ」と桂の手をを制する。
「今日午前中にバイトの面接行っててさ、まあ採用されるかはまだわかんないんだけど。そんでコンビニで昼飯買ってアパート戻ったらパトカーいてビビった」
「それ猫の死体より怖いんですけど」
「まあどっちもどっちだけどな」
「ホシクズの部屋は大丈夫だった?」
「一応。こじ開けようとした形跡はあったみたいだけど、俺体調崩してからなんか色々怖くてさ、去年大家に言って鍵を変えて貰ったんだよ。新しい鍵だからなんとか耐えられたらしい。まあ俺の部屋に金目の物なんてないけど」
「でも」
メンタルクリニックの薬があるでしょ、と桂はそう言おうとして飲み込んだ。
オーバードーズしたがる人間はこの世に少なくない。合法の薬を大量に欲しがる人間は決してマイノリティではないのだ。
「大丈夫なの?って聞きたいのはこっちなんだけど。流石に最近のホシクズおかしいよ。もしかしたら空き巣だって本当は借金取りが部屋間違えたのかもしれないし」
真正面から彼の顔を見つめる。出会った頃に比べると少し痩せたと思う。でも顔は浮腫んでいるのだ。
「借金取りの方は今んとこ大丈夫だよ、返済はした。皆誤解してるけど、昔楽器と機材買う時にちょっと大きな金借りたのはほんと。でもその金はこないだの建設現場のギャラでほぼ完済出来たのよ。ギター1本とエフェクター1個だけ手元に残してるけど結局他の機材は売っ払ったし」
人の噂なんて当てになんないんだよ、とホシクズは言い切った。デリケートな話だから気を使って直接聞きたがらない奴も多いけど、それで憶測の話だけすんなって話、と彼は少しむくれる。
「でもこないだ財布預かった時、空っぽだったじゃん」
「ほんとに金はギリギリだけど大丈夫。このままバイト決まらなかったら生活保護の相談しにいけって言われてるけど今度は多分大丈夫。店長探しもまだ続けてるけどそれはオーナーが少し金出してくれてるし」
「あの人まだ見つからないんだ」
「飛んだ直後に似た人を見掛けた、みたいな話はちらほら聞いたんだけど、じゃあ今どこにいるのかはさっぱり」
そこでホシクズは小さく咳をする。
「ていうか何、自分のアパートに空き巣が入ったから心配になって俺達の安否確認だけしに来たわけ?そんなの電話かメッセージでも良いじゃん。俺もせなくんもまだあなたの事ブロックしてませんけど」
やっぱり彼の体調が心配なので水を出す。「咳酷い、飲みなよ」と半ば無理矢理コップを手渡すと、ホシクズは「わりぃな」と言ってそれを飲み干し、数秒黙りこくる。
「桂の昔の事を探ってる奴が身近にいるかもしれないんだよ、まだ確証があるかはわかんないけど気になってて。だから気を付けて欲しい」
星波より先にお前に直接言うべきだと思ったから来たんだよ、とホシクズは言った。やっぱり直接顔を見ないと心配だったから、と付け加えながら。
「………防犯ブザーなら持ってる、小学生がリュックにつけてるような奴だけどね」
「ランドセルな。あのキャラクター物だろ、スーパーの文具コーナーで投げ売りされてたの。あとで電池だけ確認しときな」
桂が硬い顔で頷くと、ホシクズは逆に少し安堵した表情を見せる。久しぶりに彼の柔らかい顔を見られたような気がした。
「今1曲なんか歌ってくれたら投げ銭してもいいよ、清掃のバイト代入ったばっかりだし」
そう茶化すように言うとホシクズは更に頬を緩ませ「今日は喉の調子悪いからパス、次はギター持って飲みに来るよ」と笑った。
「わざわざ忠告するためだけに来たの?優し過ぎない?」
「だって桂がいきなりいなくなったら多分星波が悲しむから」
その言葉に胸が痛む。
過去はいつまで人の心臓をキツく縛るのだろう。
じゃあな、と言い残してホシクズは店を出て行った。その5分後に星波が戻って来た。
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