地図

「なあ、ちょっと2人共こっち来いよ」

 唐突に星波に大きな声を掛けられ、桂と山崎は顔を上げる。その手招きに仕方なく従う事にする。多分ろくなことではない、気がする。

 桂はカウンターの中に入り、山崎はユカリさんの隣に座った。

「金はいらないから」と星波は言って、山崎の前にコーヒーを置いた。山崎は短く「ありがとうございます」と言い、湯気の立っているそれにそっと口をつける。山崎は猫舌ではない、という知識がひとつ増えた。覚えておこう。

 カウンターの上はナッツの皿が片づけられ、ツネさんとユカリさんのビールも端に寄せられ、山崎の前に控えめにコーヒーが置かれている状態だ。全員の視線のど真ん中にはセロテープで貼り付けられた2枚の紙。新興宗教のチラシと道路工事のお知らせのチラシだ。その裏側は真っ白なので落書きするには持って来いだ。

 一応店の外に便宜的に郵便ポストは取り付けているが、そこに郵便物やチラシが投函される事は滅多にない。ただ古い建物なのでずっと形式的にそれが残されているだけだ。取り外すのも億劫なだけ。投げ込まれるチラシは余程重要な物でなければゴミ箱行きかそうでなければこうして玩具にされる運命にある。あとは酔っ払いのゲロの始末に使う。


 チラシの裏にはとても簡素にこの辺り一帯の地図が描かれていた。この字は星波の物だ。達筆だが達筆過ぎてたまに読み辛い。

 ユカリさんはスマホでグーグルマップを開いているし、ツネさんはニュースサイトを開いている。それでなんとなく何をしているか見当はついた。


「これ、去年からの通り魔事件の位置と順番」

 ツネさんは複数の点を順番に指で追う。ホシクズが7人目、ヤマダで8人目。それを山崎が「合っています」と補足していく。数字は恐らくユカリさんが振ったものだろう、星波とは筆跡が違った。故にわかりやすくその順番が見えた。地図を見て、桂は背筋が凍る。

「なあ山崎、ホシクズはどこで見つかった?」

 星波のその問いに一瞬山崎は躊躇いを見せた。捜査情報だ、そうやすやすとは言いにくいのだろう。

「………今日の昼頃に身元不明の男性の遺体が見つかったのはこの辺りのビルです」

 しばしの逡巡の後、山崎は胸ポケットに差していたボールペンで地図の1か所に点をつけた。それは今日午後のニュース速報の時点で発表されている事だから一応言ってもいいと判断したのだろう。

 詳しく聞けば、それはここから歩いて1分くらいの場所にある3階建ての小さな雑居ビルだった。1階にはラーメン屋と弁当屋、3階には歯医者と整体が入っていて、2階の2部屋は今どちらも空き物件。外に面した階段と、奥にエレベーターがある、古いビル。

 昼の11時から12時頃、客を連れて内見に訪れた不動産屋が遺体を発見した。部屋番号で言えば階段を上がって右側の部屋、201号室、との事だ。施錠はされていたはずだが、鍵は壊されていたという。古い形の鍵なので、ピッキングも難しくはない、と不動産屋は言ったそうだ。新しいテナントが決まれば、希望によっては新しくつけかえる予定でいたらしい。

「最初は身元不明だったってことはじゃあその時点でホシクズは勿論革ジャンも着てなかったし財布もスマホも無かったって事だ」

 その星波の言葉を受け、山崎は「恐らく聞きこみで夕方頃にはある程度絞り込めていたとは思うんですが、先程こちらの店が提出して下さった身分証の写真で確定したんだと思います」と答えた。多分財布とスマホは革ジャンのポケットに入ったままのはずだ。ジーンズの尻ポケットに入れておくと落としやすいからと言って冬はいつも革ジャンのポケットに入れていた。

「ちなみにあいつの財布は焦げ茶色の小さめの2つ折り、現金以外は免許、銀行のキャッシュカードとクレカが1枚づつ、消費者金融のカードも1枚あったかな。ちなみにクレカの会社は◯◯、うちでも調べりゃわかるけどどうする?」

 よく覚えているものだ。星波から得た情報を山崎は全てメモしていく。

「ヤマダさんが着ていた革ジャンは今鑑識に回されていると思うので財布とスマホの有無はすぐ確認出来るはずです、連絡入れておきます」


 ホシクズは今定職についていなかった。

 正規だろうとバイトだろうとある程度まともな職についていれば、そしてそれがまともな職場なら、欠勤して尚且つ連絡が一切取れない事、自宅にもいない事で実家に連絡が行くなり警察への相談なりがあってもおかしくはない。しかし無職の独り暮らし故に、今の彼の動向を詳しく知る者が居なかった。それが身元確認をほんのちょっとだけ遅らせた。


「それでこの通り魔殺人の起きた場所、1番最初がここの空き地」

 先程ツネさんがやったように、星波も点を指先で追う。最初の遺体が発見された駅の反対側の空き地はここから大分歩く場所だ。

「最初が去年の7月頃ですね、それはニュース発表の通りです」

 山崎がそう補足する。最初の被害者はキャバ嬢。

「みーちゃんと仲良かった子だ、覚えてる。確かさくちゃん」

 桂がそう言うと、星波は「誰?」と聞いて来る。みーちゃんは星波の事を好きなあのキャバ嬢だよ、さくちゃんは殺された子、と答えると、やっと名前と顔が一致したようだ。

「殺される前の日にみーちゃんとさくちゃんが一緒にうちに呑みに来たから刑事さんが話聞きに来たでしょ」

 桂がそう嗜めると「それは流石に覚えてる、覚えてるよ、ただ流石に1回か2回しか来てないような死んだ女の名前まではっきり覚えてない」と星波は首を横に振る。冷たいようだが、やはり来る頻度の高い客とそうでない客では解像度が違ってしまう。それはどうしようもない。

「確か7月の半ば、子供の夏休みの始まる時期でしたね。学校が早く終わって遊びに行こうとした小学生のグループが第一発見者でした」

 山崎は記憶を辿りながらスマホとメモ帳を手に情報を補足していく。

「で、この最初の事件の時の事、桂は他に何をどれくらい覚えてる?」

 隣の星波に改めて顔を覗き込まれ、しばらく考え込む。何かわかっていて星波はそう問い掛けてきている。


「………そういえば、あの配送が、ヤマダがこの辺りの担当になったのが最初の事件の直前だったよね?」


 その桂の答えにユカリさんが小さく「ヒィ」と呻く。不意に隣の店のカラオケが聞こえてくる。それがまるで軽薄なBGMのようで、現実感を失わせる。

「そう、去年前任者と一緒に挨拶に来ただろ、丁度梅雨入りの日だったから俺はよく覚えてる」

 その星波の話を受け、山崎が「前任者が辞めた理由はわかりますか?」と聞いてくる。

「実家の運送屋を継がないといけなくなった、って聞きました。その人の父親がまだ若いのに病気で倒れて、命は助かったけど自分は長男だし早く田舎に戻らないとって。結構急だったんですよね」

 確かあの時桂はそう聞いた。

 今は軽微な配達なら大半はドローンやロボットが行っているし、車も列車も無人運転が増えて来ている。しかしそれでもまだ有人による運送、配達には需要があり、その傍らでドライバーの数はなかなか増えないままなのだ。特に地方であればある程それは深刻で、まだ30代前半だった前任者が実家に強く乞われて田舎に戻るのも仕方のない事であった。それでその時別の地域の配送をしていたヤマダがこちらの店の方も担当するようになったのだった。


「犯行現場が段々この店に近付いて来てますね」

 口に手を当てたまま山崎が何か考え込む。

「でも必ずしもうちが目的地、最終地点とは限らないだろ」

 星波はそう言うが、あのドライバーは明らかに桂に好意があった。星波は対応したことがほとんどないから恐らく知らないはずで。それをどのタイミングで言うべきか、桂は悩む。星波を怒らせそうで怖いから。

「その他の被害者で皆さんの知っている方はいらっしゃいますか」

 山崎の質問に、桂はユカリさんと目を合わせる。

「さくちゃんの少し後に、多分3番目か4番目位に殺された風俗嬢の女の子、前にヒモ彼氏に殺されそうになって隣の店に逃げ込んできた事があります、俺とユカリさんが偶然その場に居合わせた」

 言い辛かったが、桂は出来るだけ感情を抑えてそう答えた。ユカリさんは無言で目を伏せ、ビールに口をつける。

「その時に相手の男を山崎さんに引き渡したと思うんですけど」と桂が言うと、山崎は「多分去年の秋頃でしたか、恐らく記録が残っているはずですね。あらためて確認しないと」と頷く。

「じゃあこの店の先で通り魔の餌食になりそうなのは?」

 ツネさんの問いに、皆考え込む。

「場所ならそこの廃墟アパート1択ですね」

 桂はそう答える。一昨年頃に全ての入居者がいなくなり、建て替えか更地になるのではとまことしやかに囁かれていたが何故かそのままずっと取り壊される事もなく放置されている古いアパート。

 聞いた話では20世紀に゙建てられたアパートだそうだ。土地の権利も含めて大分ややこしい事情があるのか、住人が全員退去した後も取り壊されることなくずっとそのままだ。

 鍵が壊れている部屋もあり、たまに子供が侵入しては騒ぐので星波がその度に山崎を呼び付けている。小学生の肝試し位なら可愛い物だが、中高生がセックスのために侵入することも時折ある。しかしそれもそう頻繁なわけではないので、悪人が隠れるには、若しくは何かを隠すには持って来いのロケーションだ。

「人間ならあそこのキャバクラの寮かな、古いマンションのワンフロア借り切ってるけど古いからセキュリティも甘いし訳ありの女が多い、あのマンションはトラブルが多いんだよ俺は知ってる」

 星波はそう言う。古く安いマンションのため、キャバクラの寮以外のフロアも独り暮らしの老人やら外国人留学生やらがやたらと多い。以前はファミリーも多かったマンションだそうだが、今は大分住人が入れ替わってしまったそうだ。弱い人間はどうしても狙われる。

「地下鉄駅のすぐ隣に質屋があるじゃない、ああいうところも犯罪者に狙われる格好の場所なんじゃない?」

 ユカリさんはビールを更にもう1杯頼む。桂は慣れた手つきでグラスを交換する。質屋は老いた男性店主とその娘が切り盛りしている。あの娘で4代目だという話だ。

「俺は質屋の隣の公園かな、昔からあそこは余り好きじゃない。ホームレスは一昔前に比べたらほとんど居なくなったけど、夜中まで酔った若いのが溜まってて週末なんかは特にうるさいだろ」

 ここでツネさんもビールの追加だ。2人共良いペースだ。

「今言われた場所は全て巡回ルートに入ってますね。あそこの地下鉄駅より先、少し歩けば住宅街、下町なのもあってお年寄りも少なくないですし。大体JRの北口を出てから地下鉄駅を挟んでその寮があるマンションの辺りまでがうちの交番の主な管轄、と思って貰えれば」

 山崎は地図に質屋、公園、マンションを書き足す。南口には別の交番があり、北口を出て左側を5分程歩くと警察署がある。


「1度連絡のために交番に戻ります」

 山崎はそう言って立ち上がり、マスクをすると軽く敬礼をして外に出て行った。

 時計は21時近くを指している。


「桂は山崎に言ってない事があるだろ」

 星波が桂の前に水を置く。仕方なくそれを飲み干し「言わないと駄目なの」と不貞腐れる、フリをした。

「お前はドライバーのお気に入りだっただろ、なんで言わねーの」

「なんで知ってんの、いつも俺に配送の対応させて星波くんいつも寝てんのに」

「起きてます」

「今日は寝てたじゃん」

「でも」

「ねえけんかしないで、けんかやめよう、やめようよ」

 ユカリさんが呂律の回らない声で2人を制する。ツネさんは苦笑いだ。桂はユカリさんの右手からビールジョッキをそっと回収し、代わりにウーロン茶をその前に置く。いつものルーティン。ユカリさんの呂律が回らなくなったら否応なくそのビールジョッキを奪い、代わりに任意のソフトドリンクを出す。ユカリさん本人から予てより「ビールは勿体ないけど、お金はちゃんと払うからそうして欲しい」と頼まれているのだ。安全に帰宅するために。慣れている店でしか出来ないお約束だ。

 暗黙の了解。それは沢山の信頼と時間と言葉の上に成り立っている物だ。


 配送の受け取り伝票にはいついかなる場合でも星波の名前を書け、と、この店に住まうようになってから口酸っぱく言われた。

 特にあの配送が来てから。単純にこの店の責任者が、家主が星波だから、と思っていた。この店に住みこの店の雑用をするようになったばかりの頃の桂はまだ17歳だったから尚更。

「最初はそういうのもあったけど特にあの配送はヤバいから桂の名前を教えない方が良いと思ったんだよ」

「なんでそう思ったのー?」

 顔の赤いユカリさんが首を傾げる。そうだ、あのドライバーも最初からおかしかったわけではない。前任者に連れられて来た時はとても大人しかったではないか。それに名前など、黙っていてもバレる時はバレる。


「訛りが桂と全く同じ、多分お前と同じ地域の出身だよ」

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