山崎
廃墟アパートの持ち主はあそこの不動産屋に確認すればすぐわかるはずだ。この辺りで1番幅を効かせている地主一家の管轄だろうか。それとも全く別の人間か。放置されている以上、一筋縄ではいかない事情があるのだろうが。
今日不幸にも雑居ビルでホシクズの死体を見つけてしまったのは不動産屋の30代男性社員で、この仕事を始めてからこんな経験をするのは初めてだと嘆いていた。
あの商店街にある不動産屋は事故物件を幾つも抱えているらしいのだが、ずっと健全だったはずの物件が事故物件になる瞬間に立ち会ったのは初、だそうだ。
山崎は懐中電灯片手にアパートに入る。
埃が酷い。ガスマスクをしていなければ恐らくカビの匂いも酷いだろう。
このアパートから人がいなくなったのは確か昨年か一昨年か、そんなに前ではないはずだ。
しかし今はまともに管理する人間もいないようで、中は全く掃除されていない。外壁も塗装が剥げ、ツタも絡まり始めている。本当に絵に描いたようなお化け屋敷で、マスク無しではとてもじゃないが中に入る気にはなれない。
手入れしてホラー映画の撮影にでも貸し出せば金になるだろうに。持ち主はどこで何をしているのだろうか。
正直若者は幾ら金が無いとは言えよくこんな場所でセックスしようなどと考えるものだ。マスクをしたまま?そんな色気の無いセックス、自分はしたくない。
繁華街の中にポツンと佇むここはアパートというよりは古い下宿屋、とでも言う方がしっくりくる。1階の玄関ドアを開けると三和土があり、靴を脱いで上がる形式だ。しかし山崎は靴を脱がずそのまま中に上がる。床が軋む。
1階には2部屋。あとはキッチン、共同トイレ、共同シャワー。2階は3部屋。間取りは頭に入っている。
よくこんな古き良き昭和と年配の上司達が揶揄するような建物がつい最近まで住居として機能していたものだ。昭和。自分に取っては歴史の向こう側でしかない。下手をすれば山崎の親すら生まれていない頃に建てられた物件のはず。大昔の映画や大昔の漫画で見たような造りだ。この数十年のありとあらゆる災害をこのぼろアパートが乗り越えたことに驚きを隠せない。ちょっとした風でも壊れてしまいそうな外観に見えるのに。
昔は1階が雀荘か何かだったのを改装したという話を聞いた記憶があるが、それはきちんと調べないとどこまで本当かわからない。時折驚く程事情がこじれた不動産というのが存在するから。だからこのアパートも住民が全て退去したというのにまだ取り壊されずに屹立しているわけで。
山崎がわざわざ廃墟アパートに来たのは先程一旦交番に戻った際、気になる事を聞いたからだ。
亡くなったヤマダは関西出身、一昨年の秋頃に故郷を出た。
トウキョウに来たのは去年の年が明けてからで、ウィークリーマンションやネットカフェ、同僚の家等都内を転々としていた。昨年春からこの辺りに部屋を借りて業務スーパーで働き始めた。ドライバー不足というご時世もあってか、早くにバイトから社員昇格の打診があったと言う。業務スーパーの同僚に話を聞いた刑事がうちの交番に立ち寄り、山崎に聞いてきたのだ。
「人探しのために東京に来た、3年前に未成年で家出した親戚を探している、と同僚に言っていたそうだ」
もしこの界隈でその条件に当て嵌まりそうな人物がいれば報告して欲しい、と言ってその刑事は去って行った。ヤマダのアパートには既に人が向かっているという。その刑事はこれからホシクズのアパートに向かうと言った。
ヤマダの探していた親戚の名前はイトウケイタ。
年齢は今生きているならハタチ。写真を撮られる事を嫌ったタイプ故に幼少期の写真が1枚あるだけで、人に協力を仰ぐのが難しいとぼやいていたそうだ。両親も祖父母もかなり高身長の家系だったのでこの3年で背はかなり伸びているかもしれないが「まるで絵に描いた美少女」のように色が白く面長の綺麗な顔をしていて、耳の後ろに少し特徴的なホクロがある。そして少し癖のある関西訛。
山崎は1人、その条件に思い当たる節があった。桂だ。
名前はよくある名前でそう珍しくは無い。その程度の情報なら別人の可能性も大きい。しかもヤマダは数え切れない位あの店に出入りしている。もしヤマダの目的が桂なら、何故その存在を認知していながら何ヶ月も直接手出しせずにいたのか。桂の話を聞く限り、ヤマダが彼を無理に地元に連れ戻そうとした形跡はなかった。むしろヤマダの行動は全て、自らの素性を明かさず「様子を伺っていた」としか思えない。その辺りがよくわからない。本当は2人の間に面識はないのだろうか。ただヤマダだけが一方的に彼を知っていて桂を追い回しているだけなのか。何故この数ヶ月、この街で通り魔として無関係な人間を何人も殺した?わからないことだらけだ。
何もかも気のせいだとは思いたい。
でもそのヤマダの探し人は桂のような気がしてならない。
ただ、今届け出のある桂の名字はイトウではなかった。普段は皆して彼を「ケイ」と呼ぶ。ならばあの店主の星波………真山星波の指示で徹底して偽名を名乗らせているのか。若しくは何かしら手を尽くして桂に偽の戸籍をあてがった可能性がある。頻繁にあの店の界隈を訪れる山崎すら気付かない程徹底された嘘があるのかもしれない。
星波と桂は親戚だと言っていた。
親がイトコ同士なんですよ、だから俺とせなくんはハトコ?になるんですよね、と桂が笑って教えてくれたのを山崎は覚えている。子供のような屈託のない笑顔。自分とそれ程年齢も変わらないはずだが、全く違う人生を送って来たのだろうなと思う。
「田舎の高校を入学してすぐにドロップアウトして引きこもってたんですけど、色々あって東京で星波くんに面倒見て貰うことになったんです」
そんな桂の明るい言葉を恐らくあの界隈にいる誰も疑っていない。むしろ疑っても本人に直接問い正したりしないのがあの辺りの暗黙のルールだ。
ホシクズのように死んでしまえば噂の的としてあることないことあらゆるすべてが溢れ出すのだが。
そしてこの廃墟アパート。
普段の巡回では基本的に1階しか見て回らない。2階まできちんと見て回るのはせいぜい3回に1回程度。普段は階段の下から2階に向かって声を掛け、不審な音を聞いたら上に上がる。本当なら毎回全て見て回るべきなのはわかっているが、時間が無いときはどうしても形式的な確認だけになってしまう。
先程、あの店で桂が「何かあるなら廃墟アパート」というような旨の発言をした時にふと思い出したのだ。
ここの2階の窓からあの店の2階住居部分が見えるはずだ。
ヤマダはいつもここのブロックが最後の配達で、この廃墟アパートの前に車を停めていたと桂は言っていた。
つまりアパートの入口を塞いでいた。恐らく自分だけがここに出入りしやすいように。
ここには何か秘密がある。
「誰かいますか」
そう声を出して中を一歩進む。
手にしていた懐中電灯で階段を照らす。
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