会話
「………やば、ストーカーじゃん………」
ユカリさんの怯えた声が静かにそこに横たわる。
「でも同じ地域の出身なんてどれだけいると思ってんの、そりゃトウキョウに比べたら日本全国大体田舎だし人も少ないけど。でもゼロじゃない、あの辺の出身者が全体的に方言強いの当たり前、それ言ったらホシクズだって関西でしょ」
桂は口を尖らせる。つい早口になっていることに気付く。
ああ、焦っているんだ自分は。
しかし桂の生まれ育った町だけでも現在住んでいる人間が何千人いると思っているのだ。
地方ではあるが少し特殊な町だったので、未だにそれなりの数の住民がいるはずだ。桂の出身地はめちゃめちゃな町だ。中途半端に栄えていて、その癖抗えない理由のせいで閉鎖的だった。
あの男が本当に同郷の人間だったとして。
追い掛けて来た理由はわかる。思い当たる節はある。
直接の面識は無かったとしても、あの男は桂の事を一方的に知っている。それはもう仕方がない。しかしどうやってここに辿り着いたのだろうか。よくこのトウキョウで桂を見付けられた物だ。
「俺は知ってんの、『気持ち悪い』を『ケが際どい』って言うの多分あの辺でもお前が住んでた町だけだよ。方言ていうかお前の町の暗黙の独自言語だ。それ以外は関西系統の方言だけどさ」
星波のその言葉に桂は言葉を返せない。確かにそれは、こちらに来てから何度も星波に直せと言われ続け矯正された言葉だった。まだ時々バグを起こしてしまうのだが。
その時再び山崎が店のドアを開けた。ドアに取り付けた鈴が店内に響く。背の高い彼はマスクを外さず、微かに震えた声で「桂さんにお話があります」と告げた。
「………俺ですか?」
また自分だけ、ヤマダの話をしなくてはならないのだろうか。桂は指先が強張るような、そんな気がした。
「出来れば桂さんと私だけでお話がしたいです。交番まで来て頂いても良いのですが、お仕事もあるでしょうし一先ずパトカーの中で少しお話させて下さい」
その時の星波の少し怒ったような顔、ツネさんとユカリさんの心配そうな顔。桂はしばらく夢に見るだろうな、と思った。
桂は無言でガスマスクを掴んで山崎の後を追って店の外に出る。振り返らなかった。
パトカーは廃墟アパートの前に停められていた。
いつもヤマダが車を停めていた場所。ここにパトカーを停めてしまえば、規制線など張らなくても誰もアパートの中に入ろうとは思わないだろう。多分山崎はこのアパートの中で「何か」を見つけたのだろう。それ位は察しが付く。
「何かわかったんですか」
後部座席に座った桂はミラー越しに運転席に座る山崎を見る。山崎もそこでようやくハーフタイプのマスクを外すと、小さく息をつく。
緊張する。桂は僅かに俯いて唾を飲み込んで、改めて山崎の方に向き直る。
「ヤマダさんは三重出身、桂さんも確か関西の方の出身でしたね。トウキョウに来たばかりの頃に比べたら少し癖も抜けてきましたけど、まだ関西の訛が残ってますね」
「はい」
それは素直に認めつつ、山崎の顔色を再び窺う。なんの話をされるか、ここから先は腹の探り合いだ。
「ヤマダさんは地元では少し大きな食品工場の社長の三男で、高校を出た後ずっとそこで働いていたんですが人探しのために上京してきたそうです。彼が探していたのはイトウケイタさん。年齢や身長、見た目の情報などから察するにその探し人はあなたにとても似ている」
久しぶりに人から本名で呼ばれたな、と思った。
ほんのり胸が傷んだが、意外に冷静な自分に驚く。自分は失踪届が出されている可能性もある立場にある。警察がその気になればすぐに身元などバレてしまうだろう。それでも生まれ故郷の話は出来ればしたくないのが本音だけれど。でも覚悟はしていた。ここ最近はどこか気が緩んでいたのは否定出来ないが。
「桂さんも星波さんも、この廃墟アパートの2階からあなた方の部屋がある程度見える事はご存知ですか?普段一応カーテンはしてるみたいですけど、今まで何かおかしな事はありませんでしたか?」
きもちわるい。これはこういう時に使うのが正しい。いつから監視されていたのだろうか。
「………俺は特に気になる事はありませんでした、それこそこのアパートに人が住んでた時から。星波くんがどう思ってたかはわからないけど」
ここは嘘をついても仕方がない。相手は警察。相手は警察。ついてもいい嘘とついてはいけない嘘を瞬時に判断して話さなくては、と頭の中がぐるぐるする。寒い日なのに背中に汗が滲む。迂闊な事を言えばあの町に連れ戻されてしまう。それだけは嫌だ。あそこは地獄だ。
「このアパートの2階には3部屋あります。表から見て左側の角部屋、あなた方の店に最も近い部屋に未だに人が居た形跡がありました」
山崎は淡々と続ける。嫌な情報。知りたくなかった。
「ところで、何故桂さんはトウキョウに来たんですか。三重の出身で、心機一転新しい生活を始めるのに大阪や名古屋ではなく何故トウキョウを選んだんですか」
山崎の口調は柔らかいが、これは尋問だ。背中の汗が冷たい、なかなか引いてくれない。
「前にも言いませんでしたっけ、星波くんは親戚なので。新しい生活を送るのに親戚を頼るのはおかしい事なんですか」
引きこもりだったんで、それならこっちで仕事手伝えって言われたんですよ、と続ける。
これはトウキョウに来てからずっとつき続けてきた嘘だ。ペラペラとよくもまあスムーズに口に出て来るものだ。全て嘘というわけではないが、全て本当というわけでもない。ただ生まれ育ったあの町が狂っているから嫌だった、というだけの話ではない。
「でもね桂さん、17歳にバーを手伝わせるのは正直無しですよ。星波さんの店はコンビニやファストフード店とは違います、田舎から出て来た何もわからない17歳を立たせて良い店じゃない」
諭すようなその山崎の言葉に桂は何も言えなくなる。
それはそうだ、一応この国はまだギリギリ法治国家なのだから。水商売は水商売。それは決して悪い仕事ではない。でも。
しかしそれなら桂の住んでいたあの町に法などあったのだろうか。あの空気が怖くて無茶をして星波に着いて来たというのに。
「それに首の後ろの黒子もうまいことタトゥーで隠しましたね。でもやっぱり17歳にタトゥーは法的にアウトなんですよ。あなたにその施術をしたスタジオ、ムサシノのスタジオですよね。トラブルが多くて少し前に潰れましたけど」
あの時は駅を出てすぐ、目の前にあったのが美容外科ではなくタトゥースタジオだったから。
トウキョウに着いてすぐの桂は保険証も所持しておらず、自費でやるなら金額も大して変わらない目の前のスタジオに飛び込んだだけだ。偶然にもホシクズの知り合いのスタジオだったのだが、違法なのは百も承知で金を積んだ。無論それが危険な綱渡りだった自覚はある。
「でもあの時の俺には星波くんの隣しか居場所がなかったんです」
これは本当。目を伏せて桂がそう答えると、山崎はしばらく押し黙る。伏し目は桂の精一杯のぶりっ子だが、それが山崎に簡単に効くはずがないのはわかってる。山崎は次に何を話すべきか、逡巡しているような顔を見せた。しばしの沈黙が流れるが、眼球の動きでなんとなく相手の感情はわかる。
怖い位にパトカーの中は静かで、桂を縛り付ける。そして静寂はとても冷たい。
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